今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

898 赤穂(兵庫県)赤穂には旨い塩あり義士に牡蠣

2020-01-03 06:00:00 | 大阪・兵庫
播州赤穂といえば元禄・赤穂事件を抜きにして語れないことはわかるけれど、駅に掲げられた浅野内匠頭と大石内蔵助の辞世句に始まって、駅前ロータリーの内蔵助像から延びるお城通りを歩いていると、余りの忠臣蔵過多が鬱陶しくなってくる。極め付けは大石神社参道に並ぶ四十七士像で、何やら秦の始皇帝陵の兵馬俑のようである。そんな赤穂散歩で、弓道部員らしい女子高生を見かけほっとしたのは何故だろうか。



赤穂市は兵庫県最南西端の人口47000人の街だ。 お隣は岡山県備前市になる。市のホームページが「気候は温暖で雨量が少ない典型的な瀬戸内海型気候」というように、自然条件や海上交通に恵まれた土地なのだろう。そのうえ古くからの塩田開拓があるから、私は「赤穂藩は財政的に豊かだったに違いない」と予想した。そして城跡を見て回ると、天守台や庭園などの贅沢な造りに、予想は間違いないと思えるのだった。



しかし街の歴史はそう単純ではないらしい。赤穂藩は1651年、播磨の国主・池田家の分知として立藩され、その後は浅野、永井、森と主家が替わり、明治まで続く。3から5万石といった石高だからあまり大きな藩とはいえない。しかも「事件」は浅野家時代の元禄だけでなく、池田、森家時代にもあり、改易や藩政分裂という騒動を繰り返している。贅沢な城跡は、むしろ藩財政を困窮させた証拠でもあるようだ。



城下町を訪れると、藩祖らの凛々しい騎馬像に出迎えられることがある。彦根の井伊直政、弘前の津軽為信、松江の松平直政像などを思い出す。私は自分の街にこうしたモニュメントが欲しいとは思わないけれど、一応市民が納得しているから像は存続しているのだろう。赤穂の場合、像を建てて讃えたい「名君」はついに出現しなかったということか。だから内蔵助の討ち入り姿が、どこか不釣り合いに駅前を飾っている。



200年余に亘った藩政は、元禄事件以外に語るものはないのか、そんなことはあるまい。お城通りに再現されている上水道跡は、井戸水に塩気の混じる低地の城下に、千種川の浄水を7キロも引き、町民の生活を潤したという。江戸時代の日本3大上水道と言われるらしいこのインフラは、池田、浅野、森の3藩リレーで整備が続き、昭和19年まで使用されたのだそうで、これなどは赤穂市民が大いに誇っていい遺産だ。



さっきから「義士臭が鼻につく」と悪態をついているのは、私が歩いたエリアが観光客向けの特殊な地域だったからなのかもしれない。そもそも私の赤穂訪問の動機がよろしくない。備前焼の里を訪ねる「ついで」に途中下車し、赤穂という街を見ておこうという横着な考えだったのだ。尾崎・御崎地区まで歩けるだろうかと訊ねたおばさんが、言下に「無理です」というものだから、日和ってしまったのが心残りである。



もう少し頑張って城下を離れ、塩田の痕跡などを訪ねればよかったと悔いている。ただ城内で、女子高弓道部員を見かけた際は、いかにも城下町らしい清々しさを覚えたのだった。この地には、藩政時代をはるかに超える長い暮らしがある。その営みが、武士の時代の良さも含めて受け継がれている思いになったのである。折しも牡蠣の季節で、街は味めぐりの幟だらけ。赤穂の牡蠣は確かに美味であった。(2019.12.21-22)




























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