今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

894 豊岡①(兵庫県)懐かしい柳行李の鞄かな

2019-12-28 15:08:49 | 大阪・兵庫
私は鞄が好きだ。いや、そのデザインに関心があると言う方が正確だろう。ランドセルが学生鞄に成長し、やがてバックパックに親しんだと思ったら、いつの間にかビジネスバッグが戦友のようになっている。そして今はショルダーバッグが離せない老いの日々。単なる持ち運びの道具ではあるが、鞄は人生の年輪そのものであり、個人の好みで選べる楽しみがある。知恵と技量が詰まった鞄の、豊岡は国内最大の産地なのだ。



日本の鞄には4大産地があるという。製造から小売まで鞄関連事業者が加盟する「日本かばん協会」のホームページを見ると、協会には4つの地方組織がある。東京、大阪、名古屋、豊岡で、これが4大産地なのだろう。東京などの大消費地に並んで、人口4万人程度(合併前)の豊岡が肩を並べている。これはなかなか大した地場産業である。鞄好きなら行かなければ。



豊岡の「鞄」は1000年余の歴史があるそうで、盆地に自生するコリヤナギを使った柳行李は、日本中の家財物流で活躍した。私は柳行李にお世話になったほぼ最後の世代だ。衣類や本を行李に詰め、国鉄のチッキで東京の下宿先へ送るのは、段ボールと宅配便の現在を思えばだいぶ不便だったが、当時は他に手段がなかった。行李が段ボール函に取って代わられると、豊岡の職人たちはその技を鞄作りに転換し、時代の変化を乗り切った。そして今や鞄生産日本一である。



ただ「鞄の街」は、長く「鞄縫製の街」であった。販売業者らが発注するデザインを、受託縫製する街だったのだ。21世紀に入ったころだろうか、これでは発展性に乏しいと考える職人たちが「豊岡鞄」をブランド化する活動を始めた。長く有田焼の商標に甘んじていた長崎県の波佐見焼きが、「HASAMI」ブランドを立ち上げたことや、低価格の輸入品に対抗して「今治タオル」を地域ブランド化した動きと似ている。



東京でも「豊岡鞄」の商標を見かけるようになったことを、鞄好きの私が見逃すはずがない。いつかその「地場」に行ってみようと、機会を伺ってきたのである。豊岡は兵庫県でも「陸の孤島」と呼ばれていたというほどで、東京からはなかなか遠い。それでもやってきた甲斐があったのは、地方都市にしては中心商店街の灯がよく保たれ、子供たちはきちんと挨拶し、名物の出石そばを打つのは思いっきり美人だからか。



《カバンストリート》があって、職人が作りながら売る鞄店や組合員の共同ショップビル、鞄職人養成学校などが並んでいる。脱サラして4年、ようやく店が持てたという職人オーナーと話し込んで、豊岡の鞄作りを聞く。鞄のデザインにも流行り廃れがあり、その流れを捕らえられるかが難しいところのようだ。ただ生産者がこれほど集積していると、パーツは業者の方から持ち寄ってくれて、仕事がし易い街だという。



皮革は姫路から、染物は京都から、織物は全国からと、鞄にふさわしい部材が集まってくる。それらをどうデザインし、しっかりと縫製するかは職人の腕だ。今では「豊岡鞄」を自分の街で見つけることはそう難しくない。それに「物を入れて持ち運ぶ」という鞄の用がデザインを制約し、地場だからといって必ずしも珍しい鞄に出会えるわけではない。それでも鞄好きなら、一度は歩いてみるといい街だ。(2019.12.19-21)

















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