子どもが元気な街は、歩いていて気持ちがいい。何より少子化が危惧される時代、賑やかな笑顔に出会うと「頼もしいなあ」と声をかけたくなる。加古川駅近くの寺家町商店街は、ちょうど高校生の下校時に当たっていた。シャッターの目立つ通りが元気を取り戻す時間帯で、女子高生がカメラにポーズをとってくれた。よく見ると視線は私の隣りの方向だが、とてもかわいく撮れたので、加古川代表としてここに掲載させていただく。
もう一つ、街の元気を量る指標として、観光案内所で街のパンフレット類を収集する手法がある。その量、質とともに、いかにその編集が訪問者のために心配りされているかがポイントである。ありきたりのマップや飲食店紹介でお茶を濁している街が多い中で、加古川の案内パンフは種類が豊富だ。豊富すぎて選択に難渋するほどだが、希望のコースを決めたらこれほど心強いガイドはいない。加古川が元気な街である証だろう。
私のささやかな旅体験が元だから、余り断定することは控えたいが、京都駅の案内所はwelcome精神が欠如している。たくさんの観光客が押し掛けるから疲れてしまうのかもしれないけれど、日本を代表する観光都市の案内所としては表情が暗い。また日本一標高が高いJR小海線の玄関・小淵沢駅前の案内所は、玄関としての意識が欠落している。清里について聞くと「隣りの町のことは知りません」と、hospitalityの意欲も発想もまるでない。
逆に四国は、どこの町に立ち寄っても案内の丁寧さに感服する。自分たちの町だけでなく、四国全体の案内も取り揃えていて、「荷物になりますが」などと言いながら袋に詰めてくれたりする。お遍路さんへの慈しみに培われたお接待精神があるからだろうか。そして案内パンフの優秀さでは長崎の「長崎さるく」だろう。観光スポット別に実に歩きやすい地図と、手頃な解説が各4ページにまとめられている。「手頃な量と見やすさ」が秀逸なのだ。
さて、加古川である。この街では「加古川をもっと好きになってもらおう」と願うおじさんたちが、郷土検定などを通じて賑やかに活動している。街を歩いていて、そのグループの町散歩に出会った。後ろにくっついて行くと、三島由紀夫が徴兵検査を受けた役場(現市立図書館)や、ニッケのレトロな社宅群などに案内され、土地の生活者ならではのエピソードを聞くことができた。
検定で加古川マイスターの称号を許されたというおばさん解説員は「いえいえ、昔の女工さんはお給料も安かったから、外食などめったにせず、それは慎ましい生活だったそうですよ」と説得力のある話をしてくれる。加古川名物「かつめし」の店の前でのことである。こうした街の色合いは、一見の旅人だけでは知りようがない。
大和王権と覇を競った吉備王国は、加古川までがその版図だったという。さすがにそれは遠い昔語りであるが、播磨屈指の古刹・鶴林寺に足を延ばすと、この街が西国街道の単なる宿場町には留まらない歴史を堆積していることが分かる。西の法隆寺と呼ぶにはいささか境内が落ち着きに欠けるものの、国宝の太子堂はさすがに美しい。
人口27万人の、これといって特色に乏しい(と、地元ではそう感じているらしい)加古川の街を、元気にしていこうという勝手連的な活動が健在なら、加古川少女の笑顔もますます輝いて行くことだろう。(2009.6.27)
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