今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

897 朝来(兵庫県)古き世の城は滅びて街残る

2019-12-31 06:00:00 | 大阪・兵庫
令和元年、新時代の始まりだと世の中ははしゃいでいるけれど、そんな単純なものではないだろうと年寄りは一人、丹波から但馬へ、師走の旅を続けている。これから播磨灘に出て備前焼の里を目指すのだが、豊岡から山陰線で南下、途中でローカル線に乗り継ぐことになる。つまり兵庫県を北から南へ縦断するわけで、地図を見ると八鹿、養父、朝来といった街を通過する。どの地名も読めない。古希を過ぎた身が恥ずかしい。



「ようか」「やぶ」「あさご」と読む。いずれも律令時代の郡名など、長い歴史を刻む土地らしい。養父市の小さな駅で大きな看板を見た。「決してここで降りないでください。居心地がよく、住みたくなり、帰りたくなくなります」とある。養父市は「日本住みたい田舎」ランキングの近畿エリア総合1位の街で、中山間地農業改革の国家戦略特区に指定されているらしい。せっかくの居心地の良さも、濃霧で何も見えない。



和田山駅で列車待ちの間に、駅前を朝来市役所までぶらぶらする。ゴミが落ちているわけではないものの劣化した建物、空き地の雑草、シャッターの錆など寂れが痛々しい。そして乗り継いだのは、初めて知る播但線である。「ばんたん」というのだから、播磨と但馬を結んでいるのだろう。次の駅が竹田だと分かって思い付く。あの「天空の城」の街ではないかと。途中下車し、次の列車までの1時間、城下を歩いてみる。




和田山駅前の寂れを知った眼には、驚くほど清浄な家並みが広がっている。城下町とは言っても、中世の山城に拠る地方豪族の街である。清々しいけれども全てに慎ましい。但馬で耳にする覇者の名は山名や赤松であり、それは応仁の乱の世界である。竹田城は15世紀半ば、山名宗全によって築かれ始め、関ヶ原の年に廃城となる。要衝を眼下にする山城は今や観光名所だけれど、城下は静かな暮らしが続いているようだ。



街は朝の動きが一段落したようで、駅にも通りにも人影はない。歩いているのは私一人。たまに車が通り過ぎる。霧はすっかり消えて冬晴れである。背後の丘陵を見上げると、稜線に石積みが延びている。天空の城の端がわずかに見えているのだろう。山際に4つの寺が甍を並べる寺町通はさらに清々しい。澄んだ用水が流れ、白い土塀に黒松が影を落とす。散歩のおばあさんに挨拶される。城跡への登山道は冬季閉鎖中だ。




天空の城の情報館で、四季折々の写真を眺めていると、確かに雲海に浮かぶその姿は奇跡としか言いようがない景観である。だから誰もが見たくなって、結果オーバーツーリズムの害を生む。朝来市が観覧有料化に踏み切ったときは、ずいぶん話題になった。そうした物見高い眼が、この城下までは押しかけないでほしい。円山川の蛇行でわずかに生まれた平地に、こちらも奇跡のように残る中世城下町の面影である。



兵庫県は摂津、播磨、但馬、丹波、淡路の5国を束ねる大県だからだろう、姫路城を筆頭に22もの国史跡がある全国最多の城大県なのだそうだ。竹田城もその一つで、初代城主の太田垣光景の供養塔は寺町・常光寺の裏山にひっそりと立っている。苔むした石塔はバランスが良く、朝の日差しを照り返す城下を展望する風情がまことによろしい。雲海に浮かぶ城跡は、駅前の大パネルで我慢することにしよう。(2019.12.21)























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