今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

896 城崎(兵庫県)城の崎でぬくぬくとして氷雨かな

2019-12-30 11:44:59 | 大阪・兵庫
城崎温泉のお湯の感想を最初に言っておくと「実によかった!」となる。冷たい雨模様の朝だったから、余計に良かったのだろうか、外湯の「一の湯」に浸かっていると、ぬくぬくと、身体の深いところから温まって来るテンポがわかる。私は上州・草津温泉近くの工房に通って8年になるから、温泉についてはうるさい。そんな私をして「ああ、いい湯だ」と詠嘆せしめるのだから、城崎の湯は折り紙をつけて間違いない。



志賀直哉が『城の崎にて』を書いていなければ、この旅で温泉を思い付くことはなかったかもしれない。「山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした、其後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた」と始まる掌編だから、城崎が但馬北端の日本海に近いあたりだとは察している。しかし豊岡からは2駅10分の近さで、今は合併して豊岡市に含まれるとは思いがけないことだった。急遽、一風呂浴びることを思い立った。



外湯めぐりが特色の湯治場らしく、浴衣にどてら姿の泊まり客がカラコロと下駄の音を響かせて行く。私が入ることにした「一の湯」の辺りは、作中では「一の湯の前から小川は往来の真ん中をゆるやかに流れ、円山川に入る。或所迄来ると橋だの岸だのに人が立って何か川の中の物を見ながら騒いでゐた」とある。そぞろ歩く作者は31歳。脊椎カリエスの発症を恐れながら、蜂・鼠・ゐもりの生と死を観察している。



たったそれだけのことを、小説の神様が書くと湯の町の宝となるようで、温泉街の裏通りには立派な文芸館がある。志賀直哉を中心に、温泉を訪れた文人墨客の資料を丹念に並べている。開館23年ということだから、当初は城崎町立でスタートしたのだろう。しかし文学館は展示が地味になりがちで、入館者は私の他におばさんが一人だけ。「写真は自由です。SNSなどで大いに紹介してください」と館員に頼まれた。



なんとか持ちこたえていた曇天が、堪えきれずに雨を降らせ始めた。湯の帰りに降られるのは、かの吉田兼好と同じである。「しほらしよ 山分け衣春雨に 雫も花も 匂ふたもとは」と詠んだ法師は、南北朝の殺伐とした時代、都から但馬までどのような旅をしてきたのだろう。徒然なるままに、私も対抗して一首詠もうと試みるのだが、相手は春雨、こちらは氷雨で勝ち目はない。土産物店街はカニと観光客が溢れている。



志賀直哉が「小川」と書いた温泉街の流れは、大谿川と言うようで、小川より広くて深い印象である。『城の崎にて』が発表された8年後、北但馬一帯はM6.8の巨大地震に襲われた。その復興で護岸が整備され、鯉が泳ぎ、両岸の柳が葉を揺らす現在の姿になったのかもしれない。3週間の湯治の効果か、彼の病状は深刻にならずに済み、米寿を全うしている。城崎で見つめた死は、作家の中でどう熟していったのだろう。



豊岡のホテルから、ホテルの備品のタオルを借りてやってきた私は、湯の町にいささか場違いだったかも知れない。場違いといえば、私は旅の前から右脚の付け根に違和感を覚えていた。旅でたくさん歩いていたせいか、帰宅するとその部分がポッコリ膨らんでいる。観念してかかりつけの内科医に診てもらうと、即「鼠径ヘルニアです」との診断。あれあれと言う間に、大学病院での手術が決まってしまった。(2019.12.20)
















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