今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

899 備前(岡山県)旅をして備前の獅子とにらめっこ

2020-01-03 09:43:56 | 岡山・広島
日本の陶磁器の世界で、備前焼ほど独自の風合いを維持している産地は他にない。釉薬による彩色やコーティングを避け、ひたすら土を焼き締めることによって器を成す。弥生時代にまで遡るかもしれない土器の系譜を、最もよく伝える焼き物なのではないか。出荷量は美濃や有田といった大産地には及ばないものの、そんなことはどうでもいい(かどうかは知らないけれど)と、備前は「備前」を焼き続けているのである。



我が家の棚にも備前焼は何点かある。若い日に岡山へ出張した折、空港で購入した花入れが備前焼だった。「いい眼をしてるね」などと煽てられたものだから、その後の私の焼き物への関心を誘う足掛かりになった一品だ。改めて手にしてみると、耳付きの典型的な備前的形状をして、灰が生んだ胡麻模様と手馴れた轆轤捌きがいい。私の財布の範囲内での買い物だから、有名作家のものではないだろうけれど、確かにいい。



ようやく「備前焼の里」を訪ねる機会を得たのだが、どこに里があるのかわからない。資料を漁っていると備前市西部の「伊部」という街に窯元が集中していることを知る。これで「いんべ」と読む。おそらく「忌部」であろう。街のはずれに忌部神社が祀られている。とにかく古い土地柄のようである。瀬戸内海沿岸には古代の窯跡が点在しているが、その中で伊部が生き残り、発展してきたのはその「土」のおかげだろう。



備前の土は田の下から採る。独特の肌を生む鉄分を含む土が堆積しているのか、あるいは生成されているのか、その土がなければ備前は生まれないらしい。そこに作家が山の土などを混ぜて寝かせ、独自の味わいを生むのだという。その土が、枯渇し始めているらしい。伊部町内に江戸後期の「天保窯」が保存されている。昭和の初めまで100年以上焼き継がれた窯だ。一体どれほどの備前焼がここから生まれて行ったか。



旧の山陽道だという街路の両側に、窯元の直販所やギャラリーが並んでいる。店をハシゴしているうちに、どれも「備前の約束事」に囚われた、似通った作品であることに飽きが来る。1000年余の歴史がある備前焼だから、花器にしても皿類にしても、備前焼はこうであるとする世の中のイメージは根強いものがある。作家たちはそれぞれ独自性を出そうと苦闘しているのだろうが、もっと大胆にぶち壊せないかと歯がゆい。



伊部駅前の備前焼ミュージアムに行くと、人間国宝の部屋があって5人の作品が展示されている。さすがにこのクラスになると素晴らしいと言うしかないが、なかでも金重陶陽の小さな獅子と、伊勢崎淳の角花瓶には溜息が出た。備前に挑む若手作家が増えているのだそうで、私にとっては楽しみも増しそうだ。備前焼ストリートの中ほどに、そうした若手の3人が共同で作品を展示する店があって、カップを買って帰る。



備前市は岡山県南東部にあって、人口は32000人ほど。戦後、片上町と伊部町が合併して備前町を名乗り、さらに市へと発展して30年近くなる。私は赤穂から伊部まで列車に揺られ、帰路は伊里から吉永までバスに乗った。備前市を大まかに横断・縦断したことになり、入り組んだ海岸線と平地の少ない山里の街であることを知った。片上では旧山陽道から内陸へ延びて行く道に「津山街道」とあった。(2019.12.22)









































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