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阿蘇に登ることにはいささか感慨があった。熊襲の地を「火国」と呼ばせた山とはいかなる巨魁か、対面する日をずっと楽しみにして来たのだ。しかし結論を先に述べると、期待はずれの拍子抜けという始末だった。つまらないとか、来たことを後悔したわけではないのだけれど、想念が膨らみ過ぎていたのか、あるいは火口まで車で乗り入れるという横着が祟ったか、山の霊気に触れたといった厳粛な気分には至らなかったのである。
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阿蘇山は、正式には阿蘇五岳(ごがく)というのだそうだ。最高峰は高岳(標高1592m)で、その隣りで活発に火山活動を続けているのが中岳(1506m)、東端にあってギザギザの山容が特徴的なのが根子岳(1433m)だ。全体像を理解するには、遠く外輪山から望むといい。阿蘇山上を訪れた翌日、久住高原から眺めたその姿は、決して高山ではないけれど、広大な外輪山を従えた姿は雄大で、さすがに特筆されるべき山容だと感じ入った。
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阿蘇山上へは快適なドライブコースが通じている。山焼きを終えた直後らしい黒ずんだ山肌の中を登って行く。この日はガスの発生がさほど危険ではなかったのだろう、山上の料金所で「喘息や気管支炎の有無」を確認されたものの、公園道路を火口近くまで車で登ることができた。火口周辺はまさに公園のように整備されていて、硫黄の塊を売る店も並んでいるが、よく見ると待避壕が点在する「火山ガス発生中」の危険地帯なのだった。
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富士山のお鉢に比べれば規模は小さいし、蔵王のお釜ほど神秘的でもない。だが阿蘇の凄さは、煮えたぎった火口から絶えずガスが立ち上っていることだろう。中国か台湾か、車いすの人たちのツアーも山上へやって来ていて、火口の写真を撮りながら歓声を挙げている。電動車いすのパワーは相当なもので、火口が見渡せる位置まで斜面を縦横に登っていく。大型バスには車いすごと乗り込めるリフトが備わっていて、快適なツアーのようだ。
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こうした遠来の客まで惹き付ける阿蘇の魅力とは何だろう。それはやはり「地球の素顔にいくらか近づける場」というところにあるのではないか。普段われわれは大地を踏みしめながら、足もと深くにマグマが煮えたぎっているなどということは考えもしない。しかし「私はどこから来てどこへ行くのか」「私は何者なのか」と考えたがるのが人間である。前者を「人生の時間軸」とでも言えば、後者は「地球軸」といえそうな命題である。
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ふと地球軸に思いが広がる時、人は己の足もと深くを探求してみたくなる。そしてマントルとプレートからなる地球が、その構造故に多様な命を育む環境を維持していることを思い出す。それはまたマグマを噴き出して大地を焼き尽くし、地震や津波ですべてを破壊し飲み込んでしまうことも考える。およそ人知の及ばない領域に近づくとすれば、活火山は数少ない手がかりであり、私たちは噴火口へ、そのつぶやきを聞きにやって来るのだ。
火口では、雨水が貯まったのだというけれど、不気味な緑色の液体がブツブツと煮えたぎっている。私は恐る恐る覗き込み、耳を澄ました。すると「人間は小さい。しかし生命は大きい」と語る地球の声が聞こえたような気がした。「草千里」で晴れ晴れとし、「米塚」で野焼き後に芽吹いた新芽を見つけたりしながら山を下った。雄大さ、ということでは北海道の屈斜路カルデラに譲るとしても、阿蘇は「つぶやき」が聞こえる。(2013.3.28)
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阿蘇山は、正式には阿蘇五岳(ごがく)というのだそうだ。最高峰は高岳(標高1592m)で、その隣りで活発に火山活動を続けているのが中岳(1506m)、東端にあってギザギザの山容が特徴的なのが根子岳(1433m)だ。全体像を理解するには、遠く外輪山から望むといい。阿蘇山上を訪れた翌日、久住高原から眺めたその姿は、決して高山ではないけれど、広大な外輪山を従えた姿は雄大で、さすがに特筆されるべき山容だと感じ入った。
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阿蘇山上へは快適なドライブコースが通じている。山焼きを終えた直後らしい黒ずんだ山肌の中を登って行く。この日はガスの発生がさほど危険ではなかったのだろう、山上の料金所で「喘息や気管支炎の有無」を確認されたものの、公園道路を火口近くまで車で登ることができた。火口周辺はまさに公園のように整備されていて、硫黄の塊を売る店も並んでいるが、よく見ると待避壕が点在する「火山ガス発生中」の危険地帯なのだった。
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富士山のお鉢に比べれば規模は小さいし、蔵王のお釜ほど神秘的でもない。だが阿蘇の凄さは、煮えたぎった火口から絶えずガスが立ち上っていることだろう。中国か台湾か、車いすの人たちのツアーも山上へやって来ていて、火口の写真を撮りながら歓声を挙げている。電動車いすのパワーは相当なもので、火口が見渡せる位置まで斜面を縦横に登っていく。大型バスには車いすごと乗り込めるリフトが備わっていて、快適なツアーのようだ。
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こうした遠来の客まで惹き付ける阿蘇の魅力とは何だろう。それはやはり「地球の素顔にいくらか近づける場」というところにあるのではないか。普段われわれは大地を踏みしめながら、足もと深くにマグマが煮えたぎっているなどということは考えもしない。しかし「私はどこから来てどこへ行くのか」「私は何者なのか」と考えたがるのが人間である。前者を「人生の時間軸」とでも言えば、後者は「地球軸」といえそうな命題である。
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ふと地球軸に思いが広がる時、人は己の足もと深くを探求してみたくなる。そしてマントルとプレートからなる地球が、その構造故に多様な命を育む環境を維持していることを思い出す。それはまたマグマを噴き出して大地を焼き尽くし、地震や津波ですべてを破壊し飲み込んでしまうことも考える。およそ人知の及ばない領域に近づくとすれば、活火山は数少ない手がかりであり、私たちは噴火口へ、そのつぶやきを聞きにやって来るのだ。
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火口では、雨水が貯まったのだというけれど、不気味な緑色の液体がブツブツと煮えたぎっている。私は恐る恐る覗き込み、耳を澄ました。すると「人間は小さい。しかし生命は大きい」と語る地球の声が聞こえたような気がした。「草千里」で晴れ晴れとし、「米塚」で野焼き後に芽吹いた新芽を見つけたりしながら山を下った。雄大さ、ということでは北海道の屈斜路カルデラに譲るとしても、阿蘇は「つぶやき」が聞こえる。(2013.3.28)
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