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日本で絵に描かれた山は、おそらく富士山が最も多いのだろうが、錦江湾に浮かぶ桜島も、画家の魂を激しく揺らす姿なのだと思われる。私もかつて、城山に建つホテルから初めてこの山を観て、気持ちが高鳴った経験を持つものだから、そうした画家の衝動は理解できる気がする。だからもう一度、心ゆくまで眺めてみたいと長いこと思い続けて来た。鹿児島市内に着いたのは午後もいささか遅くなっていたから、急いで城山に登った。
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60万人の人々が暮らす街が広がり、その先に海が広がり、そしてそのすべて受け止めて荒々しい火山が屹立する。イタリア・ナポリの、ベスヴィオス火山を望む景色に似ているのだそうで、鹿児島はナポリと姉妹都市を結ぶ「東洋のナポリ」なのだとか。市中に「ナポリ通り」があったが、そういうことか。それならナポリは「西洋の鹿児島」かと、つい鹿児島びいきになってしまうほど、城山からの眺めはよくできた風景である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/de/2390f0179efeaca4fa29de8a562ff184.jpg)
暮れなずむ中天に満月がかかり、そこに向けて?噴煙が上がった。「アッ、噴火だ!」と興奮したのは私たち遠来の者だけで、隣りの土地っ子は「こんなのはしょっちゅうです。今日のは小さい」と驚きもしない。このような風景を日常の中で観て暮らすと、人間の性格はどんな具合に成るのだろう。「薩摩藩」が日本近代史で主役を演ずることになったのは、桜島の存在が密かに関わっていたとは考えられないか、などと珍説が浮かぶ。
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古くは隼人、中世以降は島津が統治した薩摩は、東国から望めば異境のニオイがする不思議の国である。政治の中心を遠く離れながらも確実に国力を貯え、中央何するものぞと傲然と構える南洋的風貌の人々。だが「日本の南端」とは東京からの視点に過ぎず、むしろ東シナ海に開けた「日本の先端」なのかもしれない。だから、と言ったらこじつけになるけれど、私が知る鹿児島人の異様に上昇志向の強い性向も、薩摩の郷土色かもしれない。
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鹿児島の市街地の、繁華なことに驚いた。平成の大合併のせいで人口からだけでは街の賑わいを想像しにくくなっているけれど、天文館通りなど鹿児島の繁華街を歩いていると、熊本市(人口73万人)や岡山市(同71万人)よりもアカ抜けた専門店街が続いているように思える。背後を丘陵に囲まれた限られた土地が、市街地の集約化を進める結果になったのかもしれない。九州新幹線の全通も、街の活況を後押ししているのだろう。
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鹿児島中央駅近くの朝市に行くと、柑橘類の山が鮮やかに眼を惹く八百屋さんと、新鮮な魚がこぼれ落ちんばかりに並ぶ魚屋さんが共に賑わっていた。場内の食堂でいっしょになった女性二人は鹿児島大学の卒業生で、三重と北海道から10年ぶりのセンチメンタルジャーニーの途中だとか。「マンションやビルが増えて、街が余りに変わって驚いています」と言いながら、サツマイモの天ぷらを私たちにも分けてくれた。
朝市から甲突川を渡ると、西郷隆盛生誕地という聖域があった。城下のはずれのようなこのあたりが、維新の英傑を多く輩出した地域らしい。それにしても鹿児島県人の西郷贔屓は徹底していて、どこへ行っても「西郷どん」である。大久保利通などという名は、われわれがうろついた範囲では一度も目にすることがなかった。薩摩人の西郷どんに寄せる想いは、噴火を続ける桜島の如く、いまも荒々しく燃えているのだろう。(2013.3.25-26)
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60万人の人々が暮らす街が広がり、その先に海が広がり、そしてそのすべて受け止めて荒々しい火山が屹立する。イタリア・ナポリの、ベスヴィオス火山を望む景色に似ているのだそうで、鹿児島はナポリと姉妹都市を結ぶ「東洋のナポリ」なのだとか。市中に「ナポリ通り」があったが、そういうことか。それならナポリは「西洋の鹿児島」かと、つい鹿児島びいきになってしまうほど、城山からの眺めはよくできた風景である。
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暮れなずむ中天に満月がかかり、そこに向けて?噴煙が上がった。「アッ、噴火だ!」と興奮したのは私たち遠来の者だけで、隣りの土地っ子は「こんなのはしょっちゅうです。今日のは小さい」と驚きもしない。このような風景を日常の中で観て暮らすと、人間の性格はどんな具合に成るのだろう。「薩摩藩」が日本近代史で主役を演ずることになったのは、桜島の存在が密かに関わっていたとは考えられないか、などと珍説が浮かぶ。
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古くは隼人、中世以降は島津が統治した薩摩は、東国から望めば異境のニオイがする不思議の国である。政治の中心を遠く離れながらも確実に国力を貯え、中央何するものぞと傲然と構える南洋的風貌の人々。だが「日本の南端」とは東京からの視点に過ぎず、むしろ東シナ海に開けた「日本の先端」なのかもしれない。だから、と言ったらこじつけになるけれど、私が知る鹿児島人の異様に上昇志向の強い性向も、薩摩の郷土色かもしれない。
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鹿児島の市街地の、繁華なことに驚いた。平成の大合併のせいで人口からだけでは街の賑わいを想像しにくくなっているけれど、天文館通りなど鹿児島の繁華街を歩いていると、熊本市(人口73万人)や岡山市(同71万人)よりもアカ抜けた専門店街が続いているように思える。背後を丘陵に囲まれた限られた土地が、市街地の集約化を進める結果になったのかもしれない。九州新幹線の全通も、街の活況を後押ししているのだろう。
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鹿児島中央駅近くの朝市に行くと、柑橘類の山が鮮やかに眼を惹く八百屋さんと、新鮮な魚がこぼれ落ちんばかりに並ぶ魚屋さんが共に賑わっていた。場内の食堂でいっしょになった女性二人は鹿児島大学の卒業生で、三重と北海道から10年ぶりのセンチメンタルジャーニーの途中だとか。「マンションやビルが増えて、街が余りに変わって驚いています」と言いながら、サツマイモの天ぷらを私たちにも分けてくれた。
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朝市から甲突川を渡ると、西郷隆盛生誕地という聖域があった。城下のはずれのようなこのあたりが、維新の英傑を多く輩出した地域らしい。それにしても鹿児島県人の西郷贔屓は徹底していて、どこへ行っても「西郷どん」である。大久保利通などという名は、われわれがうろついた範囲では一度も目にすることがなかった。薩摩人の西郷どんに寄せる想いは、噴火を続ける桜島の如く、いまも荒々しく燃えているのだろう。(2013.3.25-26)
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