今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

501 五木(熊本県)私とて盆が早よ来りゃ早よ戻る

2013-04-13 21:59:14 | 熊本・鹿児島
九州の地図を眺めていて、人吉からまっすぐ北上する道の先に「五木」と「五家荘」があることを知った。子守唄と、平家の落人伝説が思い浮かぶ里である。私のイメージではいずれも秘境中の秘境のはずだ。訪ねてみたいけれど、無事に帰って来られるだろうかという思いも湧く。そこで五木村観光協会を探し、電話で問い合わせてみる。「普通の車で行けるでしょうか?」。対応に出た女性は「大丈夫ですよ」と言ってホッホと笑った。



球磨川の支流、川辺川を遡ることになる。人吉から2時間余、道路は山が深くなるほどむしろ整備されて来るようだ。五木村の中心部・頭地に着くと、道の駅など真新しい観光施設が並んでいて、崖の下には新設されたばかりらしい村立中学と県立人吉高校五木分校が並び建っている。道路脇には「学校に御用の方はボタンを押してください」とインターホンが設置してある。天空に架かる橋は、3日後の開通を待つばかりの新設橋だという。



秘境(私が勝手にそう言っているだけで、それほど辺鄙なところではない)は、ダムの湖底に沈むはずであった。だから川沿いに営まれていた集落は高台に移転し、学校も湖畔になるはずの位置に引っ越したのだ。「川辺川ダム」である。東京では余りニュースが伝わらなかったが、群馬の八ッ場ダム同様、建設を巡って長い論争が続いたダム計画だ。八ッ場は造られるようだが、こちらは集落の移転が完了した後、中止になった。



村民は、ダム計画に翻弄され続けて来たのだろう。家も道路もピカピカになって、かつての生活の場は眼下に草ぼうぼうだ。「跡地」をどうするかがこれからのテーマです、という声をいくつか聞いた。その街道はこう歌われた。「おどんが打っ死んだちゅうて だいが泣いてくりゅうか うらの松山 蝉が鳴く おどんが打っ死んだら 往還ばちゃ埋けろ 通るひと毎ち 花あぐる」。村のパンフレットにある正調「五木の子守唄」である。



「守子唄」と言った方が似合うこの唄を、私も幼いころに耳で憶えた。「おどまカンジン(勧進)カンジン アンシトタチャヨカシュウ(良か衆) ヨカシュ ヨカ帯 ヨカ着モン」と今も歌うことができるけれど、意味も分からず歌っていたのだろう。ただカンジンとは貧しい人で、ヨカシュが贅沢をするからカンジンが苦しむのだと、幼いなりに世の中の矛盾を考えたようだった。



人吉の球磨川のほとりに「子守唄の碑」が建ち、「球磨地方の年季奉公の娘たちが口ずさんでいた唄」だと書いてある。人吉の商家などが奉公先だったのだろうか。カンジンの歌詞は正調にはなく、戦後の新しい唄らしい。人間社会はカンジンが減り、少しずつ豊かに平等になってきたかに思える。理想社会はまだまだ先だとしても、われわれは今、どの辺りまで来ているのだろう。



観光協会に電話で問い合わせてから数日して、村の案内がたくさん届いた。「お越しを心よりお待ちしております」と手書きが添えられていた。協会に寄ってお礼を言うと、電話でホッホと笑った女性が、「まぁ、わざわざ」と美しい笑顔で新しいパンフレットを渡してくれた。



五家荘は断念して八代に出る峠道を目指す。村境に展望台があるようだが、霧が深くなって何も見えない。峠の一隅に陶芸家夫婦が窯を構えていて、「この4キロ四方で、住んでいるのは私らだけです」と笑った。何やら仙人のような風貌であった。(2013.3.27)












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