今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

504 小国(熊本県)山里に湯煙浴びて鯉のぼり

2013-04-16 17:25:17 | 熊本・鹿児島
坂本善三(1911-1987)という画家がいる。熊本県北奥の小国町に生まれ、東京―パリと活動の場を広げながらも、制作の軸はいつも阿蘇の大地に置いた画家である。戦後の抽象絵画で作家の位置を固めたけれど、世俗的な意味での有名画家というわけではない。没後、郷里に「坂本善三美術館」が建てられた。「行ってみたい」と思い続けているといつかは実現するものらしく、山を越えてやって来た私は、座敷で作品と向かい合っている。



三男・善三が生まれると父親は醸造業に乗り出すが、事業はうまく行かなかったようだ。絵を描くことが好きだった善三は、中学を出ると上京、新聞社に夜間勤務しながら美術学校に通う。このころ母と兄らは移民としてブラジルに渡る。一家に何があったのか、善三には兵役が待っていた。寡黙な22歳の若者に対し、先輩画家らが後援会を結成した。絵の才能に加え、善三の人柄に先輩たちを突き動かす何かがあったのだろう。



戦火ですべての作品を失って、善三は故郷に帰る。阿蘇を遠望する丘に通い、四国を遍路し、パリに渡る。そうやって前衛画家が生まれて行く過程を、郷里の美術館で確かめたかった。町は生家近くに古民家を移築、杉林を背景にした豪農の館のような構えの美術館を建てた。すべてが畳敷きという心地良い美術館である。ただ遠来の鑑賞者にとって、企画展のために本人の作品展示が極めて乏しかったことには、得心が行かなかった。



小国郷は阿蘇北外輪山の北側に広がる山村である。地元の意識は「阿蘇郡ですから、ここも阿蘇の内です」ということで、りっぱに火の国のメンバーなのだった。だからだろうか阿蘇から国道212号線を北上すると、ひんぱんに温泉郷の案内が現れる。私たちは南小国町の黒川温泉に宿を取っているのだが、小国町の杖立温泉ではちょうど鯉のぼりの季節だと聞き、行ってみる。



川の両岸に立ち並ぶ温泉旅館にロープを渡し、色とりどりの鯉のぼりが泳いでいる。その数はどのくらいになるか見当がつかない。比較的新しい鯉には名前が大書してある。息子の成長を願う近年の流行りなのだろう。1800年もの歴史がある湯治場なのだそうだが、鯉のぼりに比べ人影は極端に少ない。温泉郷の入口に「素通りもできます」とわざわざ書いてあったが、バイパスができ、素通りする車さえ減っているのかもしれない。



「九州島」のほぼ中心部になるこのあたりは林業が盛んだ。里山に植林された杉はきちんと手が加えられ、整然と成長している。国内林業の危機が叫ばれて久しく、放置された林を見慣れるようになってしまったけれど、枝打ちをし、下草が払われた植林地がこれほど美しいことをすっかり忘れていた。林業が追いつめられたのは、ひとえに輸入材との価格競争に敗れたからだが、小国郷の美しい森を見ると、活路はあると信じたくなる。



昭和が終わるころまで、この山里に鉄道が延びて来ていた。久大本線から別れて山を越え、谷を渡って26キロの宮原線で、肥後小国駅まで都会の匂いを運んで来ていたのだろう。そのレールの最後の部分が保存され、駅舎跡は道の駅に生まれ変わっている。地方を旅していると、時おり見かけるモニュメントだ。これを「切ない」と思うのは、旅人の感傷に過ぎないのかもしれない。次の駅は「きたざと」とある。小学校の教科書で習った北里柴三郎は、この町の出身なのだった。(2013.3.28-29)

(坂本善三「作品82」1982=図録より)





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