歩く人が多くなれば道ができる。しかし
★もう、耳にタコができるといわれそうなくらい、くりかえし、くりかえし、話してきたことだが、学校・家庭・地域の個人や団体という、MINAMI地域の教育を構成する点と点と点……とのあいだに――「点」の存在ではなかなか力が発揮できないので――つながりを創りだし、それぞれの立場で、自由に、気軽に参画できる教育システムをつくろうというのが、すこやかみなみネットの理念だ。 そのためには、学校・家庭・地域の教育を総合的にとらえ、それぞれの活動や気持ちを、つながりのあるものにする、中核となるエネルギーが必要だ。 歩く人が多くなれば、道ができる。 しかし、まず最初に歩く人がいないと、なにもはじまらない。 多少の困難はあっても、まず、わたしが歩く、歩きつづけるという人物=「中核エネルギー」が必要なのだ。 すばらしい実践の裏には、必ずこの「中核のエネルギー」が存在する。
「中核エネルギー」の候補として、いちばん先に排除されるのは「学校」だ
★学校・家庭・地域の教育を総合的にとらえ、それぞれの活動や気持ちを、つながりのあるものにする「中核エネルギー」の候補として、行政、学校、地域の有志、PTA等……、いくつか考えられる。 結論的にいうと、われわれは、これらのなかから「PTA」を選択した。 理由は、あとで述べる。
消去法でいくと、まず、いちばん先に排除されるのは、「学校」だ。 学校は確かに中核エネルギーとしての能力を有している。 十分すぎるくらい有している。 しかし、現在の教育危機を招いた元凶は、学校の教育独占体制(学校の教育丸抱え体制)なのではないか? 学校の教育独占体制が、家庭や地域の教育力を弱め、学校と家庭と地域の教育のバランスを崩してしまったのだ。 なのに、その学校が「中核エネルギー」としての役割を担い、それが機能しはじめると、バランスがさらに悪くなるのは、目にみえている。 もう少しいうと、抱え込みすぎて、今、学校はパンク状態なのだ。 パンクして、学校、家庭と同様に、教育力を低下させている。 そこに、この「中核機能」まで持ち込むことは、ほとんど○○行為だ。 しかし、周囲を見回すと、こういうたぐいの実践が少なくない。 たとえば、こういう言い回しに気をつけなくてはいけない。 「もう一度地域の人が結集するシンボルとしての学校を見直そう」(清水潔・発言当時=文部科学省生涯学習政策局長。のち事務次官。2012年1月退官)。 あるいは、こういう言い回しにも気をつけなくてはいけない。 「さまざまなネットワーク活動を意図的に立ち上げて社会のつながりをつけ直すことが必要だと思う。そのためのひとつの有効な方法として、いい学校をみなで作ろうということを目指した、学校を拠点とした地域と学校の連携を深めるネットワーク活動がある」(金子郁容氏) こういうことでは、100年たっても日本における「学校の教育丸抱え体制」は変わらない。
★次に排除したのが、「行政」だ。 戦後、行政主導で、星の数ほど、社会教育団体が誕生した。 しかし、行政にオンブに抱っこの社会教育団体をいくらつくっても日本社会は変わらなかった。(社会教育団体が全部ダメ……といっているのでは決してない。有益な団体も多い。念のために。) これには説明はいらないだろう。 敗戦後、日本の社会教育失敗の最大の原因がここにあるといっていい。
教育コミュニティーの中核になるのは、PTAだ
★ここで、残ったのが「地域」と「PTA」だ。 「地域の有志」が、中核となり、学校・家庭・地域のネットワークを形成し、具体的な活動を積み重ね、教育コミュニティーづくりに成功している例が、僕たちの街にもいくつかある。(ここでは具体例は割愛する。近いうちに大特集を組む。)
★僕らは、これらの実践から実に多くのものを学びつつ、(かつ、PTA主導→地域主導へ……という岸裕司氏らの秋津コミュニティーからも学びつつ)、しかし、教育コミュニティーの中核になるのは、PTAだと考えている。
ここで、その理由を述べる。
(1)PTA会員は、学校の保護者であり、かつ地域の住民である。 だから、PTAはその存在自体がネットワークの芽を内包している。
(2)PTAは自主自立の精神に富み、高い実践力を有する社会教育団体だ。 社会教育団体にもピンからキリまであって、中には、先にも述べたが、(過渡期的に行われてきた)行政からの指導・助言・支援におんぶにだっこの団体もないわけではない。 この点、各小・中学校のPTA(連合PTAに対して単PTAと呼ぶ。単Pと略すこともある)は、正真正銘、ほんものの社会教育団体だ。(もちろん、学校の「教頭」におんぶにだっこの単Pもないわけではないが……。)
(3)人材の宝庫である。 毎年、ほぼ「自動的」に30代~40代の会員を多数獲得することができる。 資金面でも比較的めぐまれている。
(4)組織の維持・継続のシステムが優れている。 今述べた上記の(3)も、このシステムに含まれるが、加えて、リーダーから次のリーダーへという人のつながりが形成しやすい。 また、前号でも触れたが、PTA独特の「規約」(+前例)の存在も大きな役割を果たしているように思う。 もちろん「規約・前例」に縛られ、活動がマンネリ化する傾向もあるが、僕からすれば、これもPTAの魅力だ。
以上、(1)~(4)、粗く、教育コミュニティーの中核にPTAを選択する理由だ。
僕は、青少年の健全育成をめざす教育コミュニティづくりは、やはり子どもの親であるPTAが中核になるべきだと考えている。
今、実は「壁」にぶちあたっている
★以上、教育コミュニティづくりの中核エネルギーがPTAである事情について、復習した。 「このこと」を前提にして、ここ、数年、、地域の方々に応援されながら、PTA幹部とともに、すこやかみなみネットの実践に取り組んできた。 だが――残念ながら、ここから話の流れが大きく変わる――大きな、大きな成果を生みだしつつも、今、実は「壁」にぶちあたっている。(職員室通信1号分のスペースを超えたことと、僕のエネルギーが尽きかけていることの2つの理由で、中途半端だが、いったん、この号を閉じることにする。つづきは次回に。)
★画像は、すこやかみなみネット発足当時の地域情報交換会&事業推進委員会
|
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます