![]() 設定の根拠については、4人が存命中なので触れることはできないが、いずれも、かつて、僕と同じ空間に存在した人物だ。 4人の時代はそれぞれ異なる。 やがて、みんな、別々の空間へと別れることになった。 つらい別れだった。 悲しい別れだった。 この「4人」の目を意識、あるいは想起すると、どんなにいい気になっていてもスッと覚める。 ま、4人は、いわば人生の北斗七星というわけだ。 ![]() 万にひとつの確率で……いや、万にひとつどころではない……もっともっともっと小さな確率だった。 結論。 「今のオマエの姿で、その人の前に立てるか?」 残念ながら、立てなかった。 願わくは4人の前でこうありたいと思う姿との「ズレ」がむき出しになってしまった。 僕は絶不調に陥った。 現れなければ、僕は絶不調に陥ることはなかったと思う。 ま、好調とはいえないが、ちょっといい気になって、それなりの安定したペースで、ずっと生きていったと思う。 そのほうがよかったのか、絶不調に陥るほうがよかったのかは、微妙だ。 この絶不調を知らないで、生きていくというのは、また大きな不幸でもあるように思う。 ![]() 苦しいのはイヤである(ノ△・。)。 僕は「職員室通信」でよく次のような記述をする。 ――「空間軸上の人間関係の崩壊が、それと複雑に絡みつつ形成されている時間軸上の自己の崩壊につながる。 いわゆる日本的美意識としての無常観に少し似ている。 僕はキライではない。 しかし、子どもが長期間、この精神状態にあることは危険だ。」 冗談ではなく、僕がその「危険」な状態に陥ったのだ。 以来、ずっと立ち直れないで、本日に至っている。 ★ただ、最近、少し考えが変わってきた。 この「5人」――数年前に新たに1人加わった――の前でも、いい気になれないと……いい気になる「強さ」がないと、結局、ダメなのではないか……? 次のステージに進めないのではないか?……と思いはじめた。 これは、僕の考えが、「少しだけ」変わったのか? いや、「ガラッと」変わったのかは、現段階では、わからない。 ![]()
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