真に力のある学校 地域・家庭を構想する
★教育は、単に学校だけで行われるものではない。 家庭や地域社会が、教育の場として十分な機能を発揮することなしに、子どもの健やかな成長はあり得ない。 いわゆる「生きる力」についても、学校において組織的、計画的に学習しつつ、家庭や地域社会において、親子の触れ合い、友達との遊び、地域の人々との交流などの様々な活動を通じて根づいていくものである。 しかし、現実の本校生徒の生活は、感覚的には左図(生徒の活動時間の学校・家庭・地域の割合)のようになっている。 これを僕流にいえば「学校の教育独占体制」あるいは「学校の教育丸抱え体制」(われわれがこの体制を望んだわけではないが……)である。 このバランスの悪さが、教育危機を増大させている。 これをなんとしても改めたい。
★夏期休業中はそのよい機会である。 真に力のある学校・家庭・地域に近づく、絶好の機会だ。 教育の荷をたくさん抱え込んでいる側(学校)が、力のある地域・家庭を構想しつつ、下記の(1)~(3)の観点で、コーディネーター機能(調整)を発揮していくことが大切だ。
(1)学年・学級(学年教員)で、あるいは、部活動(顧問)で、個々の生徒の社会教育活動(学習塾・稽古塾を含む)の実態を、可能な限り把握し、そのうえで、個々の生徒の社会教育活動が円滑に行われるように配慮する。 家庭行事についても同様だ。
(2)地域で行われる社会教育活動や公的な社会教育活動への参加を奨励する。 部活動と重なる場合も多いと思うが、各部顧問は、ここで充分、学社コーディネート力を発揮してほしい。 中学生の地域行事への参加は、確実に次世代を育成し、「力のある地域づくり」、さらには「学校・家庭・地域の教育のバランスがいい校区づくり」につながっていく。
(3)部活動の休止日については、これまでの通り(①第1・3日曜日 ②他の週については、土・日のいずれかを休止日とする)であるが、長期休業中の土・日は可能な限り休止日とし、教職員も自身の家庭や地域で過ごす。
★ただ、バランスの悪さを改善していく際、気をつけなければいけないことがある。 教育危機に対する認識は、同じなのだが、実際の対応には、粗く2つの方向がある。
ひとつは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭や地域で支援してやろう、応援してやろう」(支援タイプ)という発想だ。 もうひとつは、「学校が多くの荷を抱え、苦しそうだから、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に、適切に分担しよう」(分担タイプ)という発想だ。 ふたつは似て非なる発想である。 「支援」も「分担」も連携だから、一見、似ている。 しかし、「支援タイプ」は学校が荷を抱えたままであるのに対して、「分担タイプ」はこれを改めようとする。
★今、このことについて詳しく述べるスペースも僕のエネルギー&時間もないので、いいたいことだけを言って終わるm(_ _)m―― 学校が抱えている荷をそのままにして、「たいへんでしょう。だから、支援してあげましょう」という、いってみれば「そのまま、ずっと抱え込んでいろ」的な発想では、事態の好転は、ほとんど望めない。 バランスがさらに悪くなり、教育危機が増大するだけだ。 学校が抱えている荷のなかで、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に……と、適切に分担(この「分担」も「連携」の一形態)することにより、学校の本来の教育活動が充実する。 同時に、分担することにより(場合によっては現状より、負荷を背負うことになるかもしれないが)家庭も生き返る。 地域も生き返る。 学校・家庭・地域のバランスがよくなれば日本の教育はまだまだよくなる。 日本の学校には力がある。 家庭もそうだ。 地域もそうだ。 ただ、今、バランスが悪いだけなのだ。 バランスがよくなれば、日本はまだまだ大丈夫だ。(逆にバランスが悪いままだと、なにをやってもなかなか効果はあがらない。)
★日暮れて道遠し。 正直なところをいうと、僕は毎夜、悲嘆にくれている。 でも、あきらめてはいない。 夏季休業中における教職員の学社コーディネート力の発揮は、強い日本を取り戻す貴重な一歩だ。
もちろん、学校側の判断のみで無制限にダムの水を放流するように丸抱え体制を解除することはできない。 大混乱が目に見えている。 抱えている側の、慎重なコーディネーター機能(調整)が求められている。
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