職員室通信・600字の教育学

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「場面設定シナリオ式発声&音読練習案」を提示し、乱氏のクリンチを振りきり、事務室に行くとアキラ主任が

2011-02-14 19:47:59 | Weblog
2011
02.15
教育の情景の枠の中に僕のカラダを被投的投企


★出先から、はなむけ号(折りたたみ自転車)で学校に帰ったら、玄関付近の見晴らしのいい場所で、3年生が記念撮影をしている。

 ああ、ここは、ずっと以前、勤めていた中学校だ……と僕はつぶやいている。

 海の近くの高台。
 海抜54.2メートル。
 港から出漁するイカ釣り船のエンジン音が響いてくる。
 夕陽がきれいだった。(僕の人生では夕陽の美しさ№1=天王寺七坂・源聖寺坂から眺める夕陽、そして№2が、ここだ。)

 玄関にはなむけ号を止めようとしたら、大島写真館の松館さんに「写真に入ってしまいますので」と注意され、急いで折りたたみ、抱え、玄関の中に入れる。
と、玄関で待ちかまえていた乱氏がへばりついてきた。
 教師の発声がなっていない……何を指示しているのか、何を発問しているのかが、よくわからない……これでは教育効果があがるわけがない……急いで対策を立てるように……と言われる。
 僕が、職員朝会のときに短い時間でいいから「発声練習」をセットしようと提案すると、「発声練習というのは、たいてい自己満足で終わってしまうものだ。『語り』の向上にはつながらない」と却下……。
 では「音読練習」をセットしてみようと提案すると「発声練習も音読練習も同じようなものだ。どちらも『語り』につながらない。もっと実践的な案はないか?」と、へばりついてくる。

 うん? 乱氏はこんなに粘着質だったかなぁ~……と横目で乱氏を見ながら、僕はつぶやいている。

 「場面設定シナリオ式発声&音読練習案」を提示して、ようやく乱氏のクリンチを振りきり、事務室に行くと、アキラ主任が「こういう方がお待ちですよ」と名刺を差し出す。
 ○○☆子。
 おお、学校を出て、初めて担任した学級の生徒じゃないか!
 会いたい!
 会いたい!
 会いに行こうとネクタイの結び目を直していたら、職員室内で待ちかまえていた生徒たちが押しかけ、悩みとか勉強の仕方とか、もういろいろと、次から次に質問してくる。

 早く会いたいのだけれども……とあせりつつ、ひとつひとつ質問に答えているところで目が覚める。



★前回の記述の復習――僕だけのための覚書^^;。
 
 「夕方、静かになった職員室で、液晶プロジェクターを使って、乱氏とプレゼンテーション用のスライドを点検していたら、スクリーンに夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになる」――この世界の内側に限定して、(別の言い方をすれば)教育に関する学校・家庭・地域という舞台、あるいは情景の枠の中で、一種の憑依状態で、うわ言のように「教育」を語りつづける。

 これが今年の僕の、いや、僕の人生、最後の生き方だ。

★ただ、ここでひとつ問題がある。
 この「舞台の枠の中」と限定することと、ブログで再三くりかえしている、「今年の僕のテーマ=茫漠の時空間疾駆」との関係をどうとらえるか?という問題だ。

 念のために「僕のテーマ」をくりかえす。
――今年の僕のテーマ=「僕のアイデンティティの横軸(=空間軸=人々との交流)と縦軸(=時間軸=僕の過去・現在・未来)を取り払った「茫漠の時空間」を疾駆する。

★この問題に対して、前回は次のような結論に至っている。

 「疾駆」は、「夕日の赤色が職員室のスクリーンに差しこみ、壮絶な色合いになる――世界」(「舞台の枠」)の内側に限定する。
 「茫漠の時空間」といっても、決して宇宙、無限の時空間ではない。
「茫漠の時空間」の「時空間」は、「夕日の赤色が職員室のスクリーンに差しこみ、壮絶な色合いになる――世界」の内側である。

 「茫漠の時空間を疾駆する」と威勢のいいことをいっていたのだけれど、 なんだか「お釈迦様の手の上の孫悟空」に、ちょっと似ている状況。

★この結論でいいのかどうか?
 昨年末から新年にかけての僕の思考と整合性があるのかどうか?
 連休中、チェックしてみた。

 2010/11/30に次のような記述がある。
 ――空間軸上の茫漠、時間軸上の茫漠の中に存在している。
 これは、新しい心境というより、小さな企みを積み重ねてきた結果。
 ただ、このままでは、ほとんど身動きできない。
 「百尺上の竿頭、なお一歩を……」の覚悟に近いところの、あと2、3ミリの「企み」が必要だ。

★「あと2、3ミリの企み」。

 粗くふりかえれば、ここ2ヵ月の思考は、この「2、3ミリの企み」をめぐって、一つは「方向」、一つは「技術」に関するものだったといえる。
 「方向」の結論が、「茫漠の時空間」の「時空間」は、「夕日の赤色が職員室のスクリーンに差しこみ、壮絶な色合いになる――世界」の内側。
 「技術」の結論が、その時点時点の僕の情景&心情を一即座にアウトプットする「装置の開発」と、疾駆のエネルギーである「エキサイト・プルースト現象の訓練」。(何のことかわからないと思うが、何のことかわからないように――自分だけにわかるように書いている。スンマヘン。)

★画像は、僕のカラダを被投的投企のイメージ 上=『命を賭したヒトの遊び』(酒井健)から・下=『東京・堕天使』(田中秀典)から


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