WALKER’S 

歩く男の日日

西原のぼくとわたし (3)

2013-08-22 | 日記

 毎日放送の森本アナウンサーの話を聞く前にも、校歌に関心を持つきっかけがありました。それは題名のない音楽会の校歌特集でした。今年の2月に放送された校歌特集では井上ひさし作詞、宇野誠一郎作曲の釜石小学校の校歌が紹介され、多くの視聴者の共感と感動が寄せられたようですが、ぼくが見たのはもっと昔の放送です。あまりに昔すぎていつのことだったか全く思い出せないくらいです。2回あって、2回目は録画して、山田耕筰が作った東京高等師範学校の校歌や武満徹が作った専門学校の校歌は音を拾って楽譜に起こしたりしたのですが、1回目がいつ頃放送されたか全く分かりません。2回目は20年くらい前だったはずですが、1回目がその5年前だったか10年前だったか、さらに前のことだったか、全く何のよりどころもありません。でも、その中で放送された東京のとある小学校の校歌は未だに忘れられずにいます。谷川俊太郎さんが作詞したその歌は「教室は宇宙船、どこへだってゆける」という言葉で始まる。ほかのことは全て忘れてしまったけれどこのフレーズだけはなぜか未だに忘れられません。

 インターネットは恐ろしいですね。「教室は宇宙船・谷川俊太郎」で検索をかけると全部出てきました。いつ放送されたかは分からなかったけれど、それ以外のことは全て詳しく調べている人のブログを見つけることができました。

 田無市立西原小学校校歌

 教室は宇宙船
 どこへだってゆける
 けやきのこずえにつづくあおぞら
 大きなゆめをもとう
 西原のぼくとわたし

 教室は魔法の部屋
 だれとだってあえる
 昨日と明日にひびく歌声
 ゆたかな心をもとう
 西原のぼくとわたし

 教室は小さな国
 なんだってできる
 ひとりひとりが力合わせて
 正しい世界めざす
 西原のぼくとわたし

 素晴らしいでしょう、でも西原のぼくとわたしはもういません。10年前からいません。田無市は保谷市と合併して西東京市になって西原小学校は西東京市立けやき小学校になってしまいました。同時にけやき小学校校歌が作られ西原のぼくとわたしはいなくなってしまいました。市町村合併では多くの場合◇△市立という冠が変わって学校名はそのままという場合が多いのですが西原小学校は合併と同時に西原第二小学校との統合が行われ名前も変わってしまいました。どちらかの校歌をそのまま使うとなれば廃止された方からクレームが出ると考えるのは公務員として当然のことでしょう。誰からも文句のでないようにするには新しい校歌を作るのが一番、ぼくが職員でもそう考えたでしょう。でも、一つの素晴らしい校歌、芸術作品がむざむざ消滅してしまうのは本当に残念で悲しいことです。