三瀬谷駅、6時14分発の電車に乗り込みます。駅にはぼく一人、日曜日だしね。
特急の停まる駅なのに三瀬谷駅には券売機もない、従って車掌さんに支払う、切符は出てきたけれど、どうせ車掌さんに手渡すのでそのまま車掌さんが引き取って、ぼくの手には渡らないまま、そのまま降りてください、と言われました。6時48分に大内山駅に到着しました。
ここはすでに標高173m、昨日三瀬坂を降りてきてからはほとんどフラットな道程、とすれば三瀬坂峠は思っていたほどは登っていなかったのかもしれません、今日最初に登るツヅラト峠も標高は357mだけど、200mも登らない。
現在は営業していない駅前旅館、江戸時代から明治にかけてはこの場所にはなくてはならなかったはずで相当繁盛したであろうと思われる。世界遺産になったといっても全部が全部通しで歩く訳ではない、むしろ一番ワープしやすい位置だからどうしてもこうなるということなのでしょうか。
駅から250mほど脇道、そのあとは2kmほど国道を歩きます。
駅から23分で国道を離れるポイント、大きな道路標識に熊野古道、ツヅラト峠に矢印。
右折するとすぐ踏切を渡ります。
踏切を越えてすぐ橋を渡る、渡ったところに古い道しるべがありました。
二つ目の橋を渡る。
三つ目の橋、この先にある四つ目の橋は渡らない、
こちらでも、峠だけを歩くバスツアーがある、それもかなりの頻度で、ということでしょうか。
県道を左折して峠へ向かう、ここが登り口ではなく、登り口へ向かうエントランス。
大きな道しるべがあるから迷いようがない。
すぐ地道が始まります。7時32分、駅から47分でした。
しっかり山道ですがほとんどフラットです。
朽ちかけた橋の横に新しい橋、新しい方も結構時を経ている感じです。
完全に山の中ですが、まだあんまり登ってはいない。
一旦舗装道に出てきます。この道はぼくの地図にもはっきり出ている道。
この橋もぼくの地図には載っていて、どこまで来ているか確認できます。県道を離れてから峠までの距離の3分の2くらいは来ているはずなのにまださほど登っていない。
県道を離れて22分でようやく本当の登り口です。道しるべがいっぱい。
4年前の熊情報、逆にいえばこの4年間は出ていないということ。四国では熊情報にお目にかかったことはない。鹿や猿には出会ったことはありますが。
登り口から15分、これはもしかして、
ちょっと急な階段を登りきったところがツヅラト峠でした。三瀬坂の半分の時間、ちょっと拍子抜けするくらいの楽な山道でした。
峠からは海が見えました。駅から1時間25分、最初の休憩をとります。
この峠が伊勢と紀伊の国境だった。知らなかった、だから荷坂峠を行くよりは先ずこちらの峠を歩かねば。
10分休憩して、すぐ下山です。ちょっとした急坂で足場もあまり良くない、下りとしては一番苦手の部類、433m降りてくるのに9分もかかりました。時速3kmだから登りとあまり変わらない。
872m降りてくるのに18分、3kmペースは変わらない、かなりしぶとい下り坂。
下ってきた石畳をふり返って見上げる。きれいに見えるけれど下りだと相当疲れます。
峠から1500m下りてきたところ、35分かかりました。登り口から300m来たけれど、まだずっと下っています。
舗装道にはなったけれど結構な勾配。
峠から40分かかってようやく里の風景が見えてきました。昨日8日目の宿、岩代荘から着信が入っていたので、電話します。金曜か土曜かの確認でした。
今日はここまで7km歩いてきたことになります。
この地図でもツヅラトの意味がよく分かるし、下りの大変さも分かるというもの。この地図では道程は紀伊長島駅へ向かうけれどぼくはもちろん途中からはずれて次の峠へ向かう。下りの途中ですれ違った人も、今日は紀伊長島駅から歩き始めてツヅラト峠、荷坂峠を経てまた紀伊長島駅へ戻る日帰り登山の人でした。ガイドブックで推奨しているコースでもあります。
ツヅラト峠の手前でも見かけた熊野古道の道しるべ、でも峠道がここで終わるとともに、ここから先は
この郵便局の手前で紀伊長島駅に向かう道と分かれる、分岐ポイントには矢印も道しるべもありませんでした。島地峠を避けて国道を行く方がかなり近道になりますが、国道はトンネルも通るので、古道全歩きならこの道をいくしかない。
島地峠は突き当たって右ですが、やはり矢印はありません。
島地峠へはこの国道422号を西へ向かう。
国道を3kmほど歩いて、紀伊島原郵便局のすぐ先で左折して国道を離れたところ。
4kmぶりに熊野古道の道しるべ、島地峠を歩く人はさほどに少ないのか、
古道の雰囲気が残る道も久々、
峠をトンネルで越える自動車道を横断します。
歩きの峠道へ向かう細い道。
出てきたところも結構太い舗装道、この道も横断して細い道が続いていたのでそちらが峠道かと思って洗濯をしていた女の人に訊いたらこの道が峠道でした。ここにも左折の矢印はなく残念です。まあこういう峠道だと古道歩きは回避する人が多いのは仕方がないのかもしれませんが。
登り始めて9分で島地峠に到着、ずっとこういう道で道しるべも全くなく、ここが峠であるという看板もありません。古道から見放されているようなちょっと寂しい道でした。
10時23分、登り口から23分かかって島地峠を踏破しました。距離が2km前後だったからスピードは平地よりほんの少し遅いだけです。舗装道の下りはちょっとひざに負担を感じるほどの傾斜でした。
踏切を渡ると国道に合流、右折します。
コンビニの駐車場のすみで15分の休憩をとります。ベンチはないので縁石に腰をおろします。
国道を800mほど歩いてきたところ、ネットの地図にも出ていたバス停、この先に
国道を離れるポイントがありました。
踏切を渡ります。
舗装道から山道へ、
本日3つ目の峠です、地図からして距離もそんなにないようです。
地道に入ってから9分で一石峠に到着、この少し手前で地元の男性といっしょになって登ってきました。峠のところで分岐になっていて、ちょっと迷ったのでその人に尋ねることができました。
地元の人と連れだって舗装道まで下っていきます。
峠から7分ほどで自動車道まで下りてきました。この先の古道はなくなっているようで平方峠はどこにあるのかわかりませんでした。
今日はここまで15km歩いてきたことになります。小さいながら峠が三つもあったから時速は5kmも出ていません。
一石峠を下りてきたところの舗装道から紀伊長島区古里の集落を望みます。古道はこの集落の中を通っています。
集落の中に下りていくのですが、本当の下り口はこの少し手前にあったようです。矢印も何もないので行き過ぎてしまいました。
集落の中を300mほど進んでまた上の道に上がります。上がり口もよく分からず少し行きすぎてしまいました。
踏切を渡って国道に合流、
国道を500m進むとトンネルです。ネット地図ではトンネル手前左手上のホテルへ、と書いてある。
名前の付いた古道です。
新旧二つのトンネルを見下ろしながら廃業したホテルに向かう。
整備された雰囲気の残る古道。
峠に休憩所がありました。休みたいところですが時間の余裕がありません。時刻は11時29分。
休憩所からの眺め
古里の集落も見えます。
休憩所からしばらく行くと急斜面を階段で下りていく。
下りてきたところに小さなお社が、
水道があったので迷わず水分補給、札所の水屋では飲めないと注意書きのあるところも見かけますが、飲んでみると全く問題ない、家の水道よりおいしい水でした。この隣にテーブルがあって一升瓶がドンと置いてあったのですが、さすがにそちらは頂くことはできません。
神社の前から防波堤へ鉄橋が繋がっています。もちろんこれがぼくの歩く道。整備されているところは本当に行き届いてはいますが、
鉄橋を渡ると防波堤の上を歩きます。昔は当然波打ち際を歩いたものと思われます。
本当はずっと防波堤を行くのですが、途中で下りて一旦国道に出ます。防波堤が最後まで歩けるようになっているか心許なかった。
トンネルの少し手前で国道を左折したところ、峠越えの入口が見えています。
新宮まで86km
伊勢まで80kmだから間もなく中間地点、内宮からだとここがほぼ中間地点になります。今日はここまで19km歩いてきたことになります。
峠へのエントランス、
1分ちょっとで登り口です。
三浦峠まで0.5km、10分。向こうの登り口まで1.8km、40分とあります。
標高113mだから、そんなに大変なことはないでしょう。
看板の表示と同じ10分で三浦峠に到着、時速3kmだからそれなりのしっかりした山道です。
峠から5分で160m下ってきました、この距離からすると峠で2~3分休んだのかもしれませんが、ちょっと覚えていません。
熊ヶ谷橋、三浦峠反対側の登り口まで下りてきました。看板では峠から30分かかると書いてありましたが16分で下りてきました。緩やかな坂で歩きやすい道でした。
戦後60年もの間ここには橋のないまま、古道を歩く人はいなかったんでしょうか、小さな沢だから橋がなくても何とか渡ることができたのか。
見るからにずいぶん遠回りの峠道、四国なら近道優先で赤線が付かない道になっているかもしれないけれど、古道歩きが目的だからはずす訳にはいかない。
登り口から5分、まだちょっと雰囲気の残る道。
三野瀬駅前、登り口から15分と看板にあったけれど、9分で来ました。距離からすればもう少し早くてもよかったけれど。
左を向けば三野瀬駅、無駄にだだっ広い駅前通。
駅から3分で踏切を渡る、
踏切から3分で国道に合流、国道は海岸沿いを行く。
国道を500m進むと始神峠の入口が、
公園の中に下りていく、看板の裏にある四阿で10人くらいの女性が昼食の真っ最中、ぼくも空いた席で休ませてもらう。尾鷲まで何kmくらいですか、と尋ねると、はっきりした答えはなかったけれど、12km以上はありそうだということで、ちょっとがっくり。中の一人が、三瀬坂はヒルが出なかった?と言われたので、出ませんでしたと答える。夏に歩いたら出たんだそうです。ヒルの出る山道なんて四国でも聞いたことがないので、感心するばかり。その女性は4番施福寺の手前の登りが急だったとも言っていたから、西国を歩いたことがあるのかもしれません。こちらでは四国と違って滅多に人と会ったり話したりすることがないのに、もうすでに西国を歩いたという人に二人もあったことになる、もちろん全部歩いたかどうかは不明ですが、少なくともいくらかは歩いている、ぼくが思っているよりは歩く人は多いのかもしれません。
まだ距離も大分残っているので公園では10分の休憩、13時01分、本日5つ目の峠に入っていきます。
新宮(速玉大社)まで82km、
伊勢まで84km、中間地点を越えました。本日は23km歩いていることになります。峠越えが多いとはいえ、6時間でこの距離は全く納得いかない数字です。
この橋も世界遺産指定以降に造られたものでしょう。
始神峠は標高147m、楽しみながら登れそうです。
鞍馬山を思い起こさせるような木の根むき出しの道。
公園から26分、登り口から20分で始神峠に到着、
枯れ葉の積もった歩きやすそうな下り道。
もちろん近道の江戸道を行きます。
スピードの乗る大好きなタイプの下り道。
と思えばこんな急降下も、
反対側の登り口まで下りてきました。向こうの登り口から30分、公園から36分でした。
登り口から国道へ向かう道。
登り口から4分で国道に合流、
国道を800mほど行くと、明治道の合流ポイントです。
明治道との合流ポイント、こんどは明治道を歩きたいなという気持は、今のところ全くありません。でも今はその気はなくてもこの先何が起こるか分からないから、100%今回が最初で最後の伊勢路になるとは言い切れません。
合流ポイントから400mで国道を離れて脇道に入る、この少し前のところで犬の散歩をしていた女性が明るく挨拶してくれました。四国ではかなりの確率で地元の人と挨拶ができるけれどこちらではほとんどといっていいくらい挨拶することはなかった。
先の写真のすぐ先のところでJRの下を抜けて、そこから800m進んでこんどは踏切を渡って北側に出ます。
踏切を渡るとすぐ国道の交差点、横断して向こう側の脇道に入ります。さっきもそうだったけどこのあたりの脇道の入口には矢印はありません、地図を用意していない場合は国道を歩くのが賢明かもしれません。
横断したあとの脇道は150mほどですぐ国道に合流、さらに400mほど来たところでまた脇道が待っています。
まだこの先に本日一番大きな峠が待っている、まさかあんな山並みではないだろうなと、一瞬不安がよぎるところ、
船津駅前を通過、地図で確認すると最後の峠、馬越峠の登り口までまだ7km以上ある、時刻は14時20分、宿には17時に入ると言ってあるからまだ何とか時間内に行けるという感じはあります。
船津駅から600mで国道に合流、
国道を100m行くとまた次の脇道が待っている。
1300mほど歩いてまた国道に合流、
合流ポイントに久々の道しるべ、向こうから来る人にはいいかもしれないけれど、こちらからの人にはあんまり役には立たないような、
先の合流ポイントから150mほどでまた脇道に入って、その脇道の出口にまた道しるべ、こちらからだと出口です。
すぐまた脇道に入ると、こんどは入口に道しるべがありました。
始神峠の入口から1時間50分歩きづめなので船津小学校の前で最後の休憩をとります。
黄色い花の隣の縁石に腰をおろします。時刻は14時50分、馬越峠の登り口までまだ5km近くありそうです。
船津小学校を14時58分に出発、500mほどでまた国道に合流、この出口にも道しるべがありました。
国道を1400mほど行くと、相賀の町の中に入っていく脇道です。
相賀神社の前です。
今日はここまで35km歩いていることになります。この距離結構正確です。
相賀の街を抜けると銚子川に突き当たる、右に折れて銚子橋を渡ります。右の方の低くなっている山のあたりが最後の峠越えかなとここでは楽観的な思い。
国道(トンネル)を行けばあと1時間ですが、峠を越えるととてもそんな時間では、でもこの時点では1時間半で行けるだろうと思っている。
15時41分、本日最後の峠、馬越(まごせ)峠の登り口に到着、この少し手前で4人の男女とすれ違いました。明らかに峠を越えてきた人たち、日曜だから日帰り登山か、1泊2日の旅かもしれません。
登り口から峠までの距離は1600m、標高は325m、どちらとも鶴林寺の6割ほどだから30分で登れるとここでは思っています。
少し登り始めたところでまた4人の男性が下りてきました、いずれも軽装でどこかの駅に車を置いてきたと言っていたので日帰り登山のようです。世界遺産に指定されてから伊勢路にも年間数十万人の人が訪れるようになったと言われるけれど、その多くがこのような日帰りで、あるいは数泊での部分的な古道歩きの人たちなのでしょう。
②へ続く