WALKER’S 

歩く男の日日

2日目 岡島屋旅館~大内山駅(大紀町)。

2019-01-22 | 西国33観音巡礼

 ぼくが調べた数年前のネット情報では岡島屋は夕食はできなくて朝食だけ、ということだったけれど、今は夕食も用意できるそうです。予約の電話を入れたときにそういう感じもあって尋ねることもできたけれど、あえて朝食だけの予約にしました。同宿のご夫婦も同じような情報を持っていたけれど、予約の時に夕食もできると分かって2食付きにしたそうです。二人は奈良市にお住まいです。興福寺南円堂まで歩いて13分と聞いたから、奈良公園は日々の散歩コース、すごくうらやましい。ということで夕食はいっしょにならなかったのですが、朝食ではいろいろお話しできました。パソコンをされるかと聞いたら一応一通りのことはできるという答えだったので、名刺を渡してホームページとブログを見てくださいとお願いしました。今回そういう機会があったのはこの日だけでした。同宿の人がいないことが4回、夕食なしの時が3回、もう1回は目的の違う人で話はできませんでした。紀伊路を歩いている人は本当に少なかったし、伊勢路を歩く人も古道山道を中心に部分歩きや、日帰り登山などが圧倒的に多いという感じです。


 朝食は7時から、さらに話が弾んで宿を出発したのは7時52分。これ以上ないという快晴です。


 清流が育む 癒しのまち 大台
 伊勢路のまちで大台町だけが山道峠越えがありません、ほかのところに比べて歩く人は少ないと思われますが道しるべなど充実していてます。


 宿から10分、バカ曲がりの入口です。宿を出るときにご主人が詳しく説明してくれました。2年ほど前に復元整備された古道です。この急坂を下りきったところを左折するとすぐ下水道のような腰をかがめないと歩けないトンネルをくぐります。JRの下を抜けるトンネルです。




 大回りを短絡する新しい道ができていてそんなにバカ曲がりではなくなっているようです。




 内宮から外宮までの5kmを加えた数字がぼくの歩いた距離になります。


 JRの下を抜けると歩きやすい昔ながらの山道です。


 幟も道しるべの一つ。


 この工事のおかげで短絡路ができたようです。


 こんなところでポケモンGOをする人がいるのでしょうか。


 15分でバカ曲がりを踏破、国道42号に合流します。


 本日二つ目の脇道の入口、すぐ先に幟が見えているので迷わず入れます。


 よく見るとガードレールに熊野古道のシール、初めて見るタイプ。ここから舗装道を離れてちょっと山の中に入っていきます。


 木立と沢の向こうに眼鏡橋が見えました、あの少し左のところで舗装道に上がっていくので、橋は渡りませんでした。


 舗装道に上がってきたところ、道しるべがいくつも見えます。


 二つ目の脇道が国道に出るとすぐまた三つ目がありました。この道はネットの古道地図には載っていないものでした。


 北に入って


 100mも行かないところで左折、宿を出て40分で3.5km、バカ曲がりもあったからまあまあのペースでしょう。


 屋根はないけれどちょっとしたお休み所、こういうのは四国と違ってほとんど見かけることはありませんでした。山道に入ると要所にはありますが。


 三つ目の脇道は200mほどで終わって、すぐ四つ目の脇道の入口です。ネットの地図では分かりにくいと注意書きがありましたが、全然そんなことはなくはっきりした道しるべもあります。


 すぐ踏切を渡ります。


 ちょっとした登り坂、


 山道短絡路の出口、この入口は全く気づきませんでした。


 舗装はされているけれどとても感じのいい古道。


 分岐点はもれなく道しるべがあって安心して歩けます。


 緩やかな斜面には茶畑、昨日の宿に着くすぐ手前の街道沿い、民家のすぐ隣にも茶畑があってちょっと見ない風景でした。


 踏切を渡ると、


 すぐ国道に寄り添って、


 合流することなくまた離れていきます。


 7分ほどで踏切を渡ってまたJRの北側へ、




 8寺59分、宿から67分で5km歩いたことになります。山道もあったけれどちょっとゆっくりなペース。


 伊勢(外宮)から30kmくらいの地点だから江戸時代はこのあたりに宿をとる巡礼はかなり多かったと思われます。


 こちらは庄屋さん、


 この脇道は一番長くてここまで2.5kmほど続いています。


 世界遺産になってから開店としたと思われる古民家カフェ、このあたりは三瀬坂まで山道がなくて電車で飛ばしてしまう人が多いから、どれくらいの人が来るのか休むのか。




 9時18分、宿から86分で9km、こんどは時速6kmは出ている。舗装道ではかなりいいスピードが出ているみたいです。


 橋を渡って国道に合流します。この脇道は33分歩いたことになります。


 国道です、2kmくらい歩きます。


 紀勢自動車道の下をくぐって。


 国道を23分歩いてまた脇道です。


 踏切ではなくJRの下をくぐります。


 三瀬坂の手前に二つ目の峠がありました。全然登ったという感じはありませんが。


 三瀬の渡しがかつてあったようです。


 なぜ現在三瀬坂峠の手前でものすごい大回りをするのか理解できました。渡しを使えば三瀬坂へはほぼまっすぐに近いルートになります。渡しがなくなって三瀬坂を歩こうとすれば大回りするしかない。国道を歩けばすごい近道になりますがそれでは古道歩きの意味がなくなってしまいます。


 国道に出てきましたがそのまま横断して向こうの脇道へ。


 渡し場への下り口から先は古道ではないから近畿自然歩道になります。


 再び国道に出てきてこんどは北側の道を歩きます。


 踏切を渡ります、もう三瀬谷駅のホームが見えています。


 駅前通に出てくると、今日泊まる萬栄旅館が現れました。


 10時14分、宿から2時間22分かかって三瀬谷駅に到着です。距離ははっきりしませんが13kmぜんごではないかと思われます。駅で最初の休憩をとります。


 三瀬谷駅に着くと、ちょうど下りの列車が到着したところで大きなザックを担いだ登山者が次々降りてきました。ここは大台ヶ原の登り口で無人駅なのに特急が停まるという珍しい駅でもあります。登山者の皆さんが掃けて落ち着くと、上りの列車を待っていたおじさんがいたので、駅の向こう側に見えているマックスバリュを指さして、あれ営業してますか、と尋ねました。一応ネットで調べてはいるけれど、あれがないと明日の朝から昼にかけて何も食べられないから非常にまずいことになる。「ああ、やってるよ、朝は7時から、前は9時からだったけどずいぶん早くなったもんだ、隣の道の駅は8時からやってるはずだよ」、丁寧に教えてくれました。そのやりとりを聞いていた隣にいたおばあちゃんが「この下トンネルがあったらすぐ行けるのにねえ」と話しかけてくれました。「ぐるっと回らないと行けないんでしょう」と言うと大きくうなずかれました。
 おばあちゃんが声をかけてくれたのはぼくが白衣(西国巡礼の場合は笈摺、西国の起源が観音様を背中に背負って巡った、その折り背中の着衣と観音様が擦れるのを防ぐために白衣を着けたのがはじまり、だから四国では同じような白衣でもおいずるとは言わない。南無観世音菩薩の文字が赤い布に書かれていて白衣に縫いつけられたものがおいずるだと思っていたのですが、普通に白衣に南無観世音菩薩と書かれたものでもおいずるに違いない。起源から考えて袖のないものが正式のおいずるだと記載されているものもありましたが、観音様の文字があればおいずる(おいずり)といって差し支えないでしょう。)を着けていたからで、自分もお遍路をしていたので懐かしくなったからのようでした。世界遺産になってからはこのあたりを歩く人も増えたとは思いますが、西国巡りで白衣を着けて歩いている人は滅多にいないはずです。
 彼女は西国を3回巡ったと言いました、秩父34観音も、板東33観音も巡って100観音を達成している。さらに四国も2回、小豆島も巡ったと言います。小豆島は何日かかりましたかと尋ねると、4泊か5泊、タクシーやレンタサイクルも使いながらですが基本は歩きだそうです。四国でも足摺などはバスを使ったと言っていました。島は情があってとても良かった、小豆島でもよくして貰ったことが忘れられないと言います。それに比べて板東はそういうのがなくてほとんど記憶に残っていない。
 ぼくのブログを見てもらえるかと思って、パソコンはされますかと訊いたら、「目が悪くなるでしょう、それで勉強しようかとも思ったけれど車の方を取ったのよ」、もう50年以上自分で運転されているそうです。四国でもらった金の納札を免許証に入れていて、そのおかげか今まで一度も事故をしてないの、とにっこり。今日はこれから円楽師匠の独演会が伊勢であるので見に行くのだとチケットを見せてくれました。86才、後ろ姿だととてもそんなに歳をとっているとは見えないとみんなに言われるのだそうです。いまだに腰もひざも全然痛くない、ぼくと話しているときもぼくが座っているのにずっと立ちっぱなしでした。「お会いできて良かったわ」最後に言ってくれました。本当に、本当にありがたいことでした。


 15分ほど休憩して三瀬谷駅を10時30分に出発、3分ほどで踏切を渡ります。このあと地図を確かめることもなく国道に出るとそのまま左折してしまいました。川を渡ってから左折なのにどうしたことか間違った思い込みに支配されていました。1km以上歩いてやっとこれは違うと気がついて引き返します。四国で初めての時などはこういう思い込みで道をはずすことはままあることですが、最近はそういうことはほとんどなくて、初めての道なのに慎重さが不意になくなって何とも言えず残念なのですが、落ち込んでいても始まらないので先を目指します。


 本当なら踏切から橋まで5分で来るところ、28分かかりました。


 右を見ると新しい国道の橋、昔はこちらが国道だったはず。


 橋から左側の眺望、


 橋を渡ると大紀町に入ります。


 本来は古道ではないけれど、渡しがなくなってからは熊野古道に違いありません。四国でも遍路が歩けばそこは遍路道といわれる。


 短絡路に西国古道ウォーキングサポートの矢印、この矢印が西国古道のものであることが分かったのは紀伊路に入ってからのことですが、


 そんなに必要のないところにも道しるべ、でもこれがずっと続くと思ったら大間違い。


 人も車も全く通らない気持ちよく歩ける道です。




 余分に歩いた分を除くと宿からここまで13km、歩行時間は2時間半、時速は5.2kmくらいです。


 渡しを使うとここに上がってくるようです。つまりここから先は本来の熊野古道だということです。


 11時31分、三瀬谷駅から40分(余分に歩いた分を除く)で三瀬坂峠の入口にやってきました。予想通り分かりやすい道しるべがあります。


 三瀬坂峠の標高は265mと分かっているけれど、登り口の標高が分からないので、どれくらいの険しさか全然見当はつきませんが、距離が1100mということであれば、20分で上まで行けそうな感じです。


 登り始めはこんな感じです。


 山海の郷 大紀   ここはすごい山の中ですが大紀町には海もあります。


 そんなにきびしくない登りやすい山道です。


 比較的新しい道しるべ、もちろん世界遺産制定以降のことでしょう。


 汗はたっぷりかいていますが息はそんなに切れていません。立ち止まって息を整えることもない。


 登り口から21分で三瀬坂峠に到着です。ちょっと骨のある山道でしたが、距離も標高差も鶴林寺の4割ほど、2日目の山登りとしてちょうどいいレベルかもしれません。


 峠で一休み、四阿もベンチもなくて切り株に腰をかけます。
 無駄なところをずいぶん歩いたのでゆっくりできません。12分で下ります。


 下りの方が距離が短くて急なところが多いようです。


 峠から13分、ため池の横、そろそろ下界です。


 峠から15分で国道に合流します。




 時刻は12時19分、宿から17km、歩行時間は3時間36分、平均時速は4.7kmというところです。あと20kmほどだからなんとか電車の時間に間に合いそうです。


 三瀬坂峠から国道に降りてくるとすぐ脇道に入ります。ここから先は国道と脇道を何度も代わる代わる歩くことになります。最初の脇道には矢印はありません。地図が手放せないようです。


 4分ほどで国道に合流、横断して向こう側の脇道に入ります。


 国道を横断して500mほど来ると、今までとは全く違う雰囲気の道に入ります。滝原宮の神域なのかもしれません。


 全く知らなかったのですが、伊勢内宮の別宮です。


 内宮の翌年に式年遷宮も行われている、こちらも神宮の一部であるということです。


 御由緒が4枚のイラストパネルで紹介されています。女性は11代垂仁天皇の第4皇女倭姫命(やまとのひめみこと)、天照大神の使いで鎮座する場所を探していた、宮川を渡るのを助けてくれた真奈湖神と三瀬坂峠を越えてこの滝原にやってきてここを鎮座する場所とした。つまり最初はここが内宮であったということのようです。とすれば、三瀬坂峠は絶対はずせない、渡しがなくなってものすごい遠回りでもすごい大きな意味がある。


 古民家カフェ、土曜日なのに定休日というのはどうしたことか、あまりに歩く人が少なくなってもうほとんど営業していないのか。滝原駅はこの少し先だから三瀬坂峠を歩く人は必ずこの前は歩くはずですが。


 滝原駅の近くに、旅館が。ぼくがネットで調べた範囲ではこのあたりに宿はなかった、建物は新しそうだけど営業はしていないかもしれません。


 ぼくの地図ではコンビニだったのに介護施設に変貌していました。これでやっぱりマックスバリュに行くしかないようです。


 滝原宮から1500mで国道を横断、信号がないので歩道橋を渡ります。すぐまた反対側に脇道が待っています。ここまでは古道と国道は重なっていません。


 13時08分、峠から1時間以上経ったので歩道にぺたんと座って休憩します。かなり整備されて古道の面影のない道です。自転車に乗った中学生が3人、ちゃんと挨拶して通り過ぎていきました。


 先の休憩したところから300mほどで国道の下をくぐり、その300m先がここ、ここからしばらく国道を歩くことになります。近畿自然歩道と道しるべに書かれていますが、江戸時代の巡礼が歩いた熊野街道(熊野古道)に違いないと思われます。


 国道に入って1kmほど先でまた阿曽駅の近くを通る脇道に入るのですが、はずしてしまいました。地図をよく見れば分かったのですが、ちょうど次のページとの切れ目の位置だったので把握しにくかった。でもそのおかげで国道沿いのコンビニに入ることができました。結局このコンビニに入らなければ三瀬谷駅の向こうのマックスバリュに行かねばならなかったから、宿に入るのが30分は遅れていたでしょう。


 次の脇道の入口には道しるべがありました、近畿自然歩道のですが。


 先の脇道を700m、国道に入って1kmほど歩いてきたところ。この橋を渡ったところでまた脇道に入る。


 橋を渡って脇道に入る手前にトイレと休憩所、最後の休みを取ります。本来ならさっきのコンビニの前も通っていないから、三瀬谷駅からちゃんと休めるところはここまでなかったことになります。阿曽駅で休めたかもしれませんが。脇道の入口にもほとんど道しるべはなかったし、四国とはずいぶん違うと、三瀬坂を下ってからは、ちょっと残念な感じです。それくらい滝原から先は歩く人が少ないということでしょうか。


 14時27分、休憩所を出発、ゴールの大内山駅まで10kmほどだからまだ少しは余裕がある。
 800m脇道を歩いて、500m国道を歩いてまた左の脇道に入るところ。1km前後で何度も国道と脇道の繰り返しが続きます。矢印はほとんどないから地図が手放せません。右手に傘、左手に地図、要所でカメラも取り出すから大変です。


 先の脇道700mのあと国道を700m、また脇道に入って400m来たところ、紀勢郵便局、ここで国道を横断。


 国道を横断してすぐ紀勢大橋を渡ります。


 すぐ踏切を渡ります、渡ったあともちょっと迷いました。ここは西国古道ウォーキングサポートは全く介入していなくて矢印が全くないから残念なところが多くなってしまいます。


 伊勢柏崎駅のすぐ先でまた踏切を渡ります。


 先の踏切から1kmほどで紀勢自動車道の下をくぐる、あの真下に踏切もあります。


 踏切を渡ると、久々に古道の雰囲気が残る道が続いています。


 かなり大回りの古い道がJRの下をくぐる。


 橋を渡ったところで国道に合流。


 国道を500mほど歩くとまた脇道が待っている。ここには道しるべがありました。


 脇道を600m歩くと国道を横断、向こうにいい感じの道が見えています。


 横断したあとの脇道は150mほど、そのあと国道を300m歩いてきたところ、ここから最後の長い脇道に入ります。時刻は15時52分、駅まで3kmくらいだからそんなに余裕はありません。


 この橋が本日の地図の最後のページに入ったところ、目測であと2.5kmくらい。電車の時間まで38分はあるから先ず大丈夫だろうという感じです。




 今日ここまで33km歩いてきたことになりますが、脇道をほとんど歩いてきたのでネット地図によれば36kmは歩いていることになります。余分に歩いたところを含めると38km。


 ここから先はぼくの地図では道がなくなっているところ、


 熊野古道の古い道しるべは朽ちかけています。


 三瀬坂以来の地道の古道が始まりました。地図に書かれていないはずで、このあとはもっと歩きにくい獣道のような荒れたところもずいぶんありました。そして出口に近いところでは絶対迷うような小橋があってそちらを渡ると道がない、一旦戻って草ぼうぼうの方に行くと大きめの橋があってそれを渡ると出口が待っていました。草を刈ってくれていれば何とか迷わなかったかもしれませんし、あの脇の橋がなければ迷いようがないのにと、時間が迫っているだけにいろんな思いが交錯します。


 大内山駅のすぐ手前の喜畑屋旅館です。予約の電話を入れたら電話番号は使われていませんでした。岡島屋のご主人にそのことを言ったら、最近作られた観光協会のパンフレットにはちゃんと載っているからやっていると思っていたのに、と何度も首を傾げました。営業しているような雰囲気も感じますが、


 大内山駅になんとか到着しました。古道の最後の方はスピードが全然出なくてかなり焦りました。


 16時37分、大内山発の電車に乗ると、阿曽駅で二人、滝原駅で一人、明らかに熊野街道を歩いてきた人が乗車してきました。三瀬坂峠を越える人は多いから滝原までというのは理解できるけれど、阿曽まで歩く人がいたのは意外でした。
 16時58分定刻に三瀬谷駅に到着、17時ちょうどに萬栄旅館に入りました。大きな旅館でしたが宿泊客はぼく一人でした。かなり古い建物でしたがいい感じのぼくが好きなタイプの部屋でした。トイレと風呂はリフォームされていて全く問題ありません。夕食はご覧の通りサンマも唐揚げも熱々、これで夕食付き5500円ですから四国の宿よりも安いくらいです。今回泊まった9軒の中で一番良かった。来年の夏の歩き直しの時にも泊まる予定です。

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