WALKER’S 

歩く男の日日

4月8日 初日 窪川駅~内田屋

2014-05-06 | 14年四国の旅


 初日、一番心配なことは、山陽電車が時間通り舞子公園に着くかどうか、山陽電車には度々ひどい目に遭わされたから、あまり信用していません。何とか時間通りに到着、高知行きのバスも時間通りに来て、無事乗り込むことができました。あとの心配は高知からの電車が時間通りに動くかどうか、
 高知行きのバスに乗るのは2回目です。ただし2年前に乗ったのは高知から高速舞子までの上り、下りに乗るのは初めてです。乗客はわずか4人、いつも乗る高松行きは8割近い乗客があったことを思えば、同じ四国でもその隔たりに大きな差があることを感じます。
 写真は大鳴門橋、舞子を出て40分で四国に上陸します。


 ドイツ館が見えてきました、いつもならすぐ先の鳴門西のバス停で降りるのですが、もちろん今回はスルー、その先の板野インターで一旦高松道を降りて改めて徳島道に上がります。この二つの道がつながっていないのはどうしたものか、ちょっとしたまだるっこしさを感じます。


 ドイツ館から18分で熊谷寺の山門が見えてきました。歩くとたっぷり3時間はかかるのですが、途中下に降りてもこの時間、車遍路と歩き遍路が全く別物であることを改めて実感します。


 山肌の斜めのラインは別格15番箸蔵寺に上がるロープウエィ、ラインに沿ってきれいに桜が植わっている。2年前早朝登った時は山道が暗くて怖いほどだった。


 池田の町の中心部が見える。2年前、町に入る手前で池田高校の野球部がランニングしているのに出会って。みんな元気に挨拶してくれた。もう長いこと甲子園に来ていないなぁ、とちょっと寂しい思いをしたけれど、今年のセンバツですごい試合を見せてくれた。
 池田高校と言えば、ぼくが西宮球場の近くに住んでいるときに、センバツ出場で来ていて、西宮球場の隣のグラウンドで練習しているのを偶然見かけたことがあった。その年、見事センバツで全国優勝を果たしたのだった。


 四国三郎、吉野川下流方面を望む。


 こちらは上流方面、2回渡った池田大橋がはっきり見える。奥にかすかに見えている橋の近くに最初来たときに泊まった旅人宿がある。ちょっと苦い思い出。


 11時18分、定刻より17分も早くバスは高知駅に到着しました。善楽寺の近くにある高知インターを下りると、ぼくが何回か歩いた道をほとんどそのまま来たので、そのときのことを思い出したりしていました、最初のお遍路では善楽寺から遍路道をはずれて高知駅に向かったのですが、違う交差点を左折してしまって、かなり遠回りをしてしまった、しかもその日は一日中雨、宿の予約もしていなくて、本当に辛かったことを覚えています。それから2年後、今度こそは近い道を行くぞと意気込んだのに、またも同じ遠回りの道に入ってしまいひどく落ち込んでしまいました。正しい道を歩けたのはその2年後でした。


 窪川行きのワンマンカーは12時ちょうどに出るので、時間を持て余してしまいました。昼食はすでにバスの中で済ませてしまったので、待合室の中でぼんやりするしかありません。


 窪川の三つ前の影野駅で女性のお遍路さんが乗り込んできました。岩本寺まで7kmほどの地点、この時間なら十分余裕があるのにどうしたことでしょう。焼坂とそえみみず、二つの峠を越えて疲れ切ってしまったのか、あるいは初めからこの区間は電車に乗るつもりだったのか。
 窪川の手前で、車窓から国道を歩くお遍路さんを4人ほど確認、ああ、遍路道に戻ってきたのだなと実感します。
 昨年、岩本寺の近くで足を痛め、その日は我慢して内田屋まで歩き、翌日は内田屋から9km先の上川口のバス停まで歩いて、断念したのでした。
 昨年の続きだから、上川口から歩いてもよかったし、内田屋の近くの土佐佐賀駅から歩いてもよくて、当初はそのつもりだったけれど、最終的には窪川から歩くことにしました。宿のことを考えた場合、最高の遍路宿とも言っていい内田屋にもう一度泊まっておきたいというのもあったし、窪川から土佐佐賀までは全く思い通り歩けなかったから、ちゃんと歩き直しておきたいということもありました。


 駅を出て、すぐ目新しい建物が飛び込んできました。昨年はこの前は通らなかったけれど、2年前は通ったはず、そのときには全く影も形もなかったような。これは新しい四万十町役場。芯は鉄骨か鉄筋コンクリートのはずだけれど、表面はすべて木造、さすが林業の町であり林業の国、しばらくたたずんでしまったほどのインパクトです。


 岩本寺から4.9km、国道を離れる短絡路の入り口に来ると、お大師さんが・・・。確か昨年は居られなかったはず。ぼくは、この短絡路に入れなかったことが2回、右側の歩道にも標識のポールに遍路シールはあるのだけれど、ぼんやりしていると見過ごしてしまう。これからはお大師さんが見守ってくれるから、もう心配はいらない。


 美化センターの門は今回も開いていた、昨年もそうだったけれど、5年前まではお遍路用の小さな入り口があって、そちらから入らせてもらうようになっていた。もしかしたら、稼働していないのかも知れない。


 片坂トンネルの上を越える、昨年この道を歩いた記憶がほとんど残っていない。辛い記憶ほど忘れていくのが本能だということを何度も実感することがあった。それほど足が痛くて前に進むことしか考えていなかったのだろう。


 短絡路の最後、西尾自動車の片隅に新しい遍路小屋ができていた。2.5km先の遍路小屋まで休まないつもりだったけれど、思わずへたり込んでしまいました。水と塩分を補給、昼食が不十分だったかも知れません。
 窪川駅から9.3km、緩やかな坂を登りきったところにある遍路小屋には91分、ベストより3分遅れで到着。今までここで休まなかったことは一度もないけれど、西尾自動車で休んだばかりなので今回はスルー、内田屋さんには17時30分までに着くと言っているので、また休むと間に合わなくなります。


 伊与喜駅の前までやって来る。前から来た小学生3人が元気よく挨拶してくれた。四元さんが巡ったとき、このすぐ左にある伊与喜小学校がゴールで多くの小学生が迎えてくれたのを覚えています。あれから6年、あのときの小学生は皆中学生や高校生になっている。
 5年前はここで前を行くお遍路さんが短絡路ではなくて国道をそのまま行くのを目撃した、もう少し近ければ追いかけて声をかけてあげるのにと、思いつつ結局はそのまま行かれてしまった。あとで追いつくとそれがあの家田荘子さんだった。


 短絡路のハイライト熊井トンネルの前まで来ました、後から分かったことですが、家田さんはこのトンネルが大の苦手で、敢えて国道を歩いていたということでした。照明がなくて真っ暗ですが出口が見えているのでさほどではないという感じがするのですが。


 トンネルを出たところから緩い下りで踏切の前まで来る、この道は遍路道らしくて大好きなポイントです。でも昨年は全く楽しめなかったし味わえなかった。ああいう歩き方で無理をして最後までいっても何の意味もないことを、元気に歩きながら確認しています。


 このコンビニでも毎回休むようにしてきたけれど、今回はもちろんスルー、本日のゴールまであと1.9kmです。


 17時22分、何とか予定時間までに本日の宿、内田屋に到着しました。お遍路なんだから5分や10分遅れるのは当然だと思っている人は多いだろうし、宿の人もそんなことは日常茶飯事、でもぼくは1分でも遅れるのは駄目だと、うそをついて迷惑をかけるのはよくないことだと自らに課しています。なぜなら、ぼくが四国を歩く一つの目的は、いい人になれる、ということだからです。お大師さんと一緒に歩くということは、少しでもお大師さん近づきたいということ、そう心がけるといくらかでもいい人になれるのではないか。そして、お接待を素直に受けられるだけのいい人でいなければならないとも思うのです。
 チェックインのとき、若いご主人がニコニコしながら、時間通りですね、と声をかけてくれる。そして、津波警報が出たときの避難場所、避難経路を丁寧に教えてくれました。初めてのことだったので、少しびっくりしたけれど、滅多に起こるようなことではないけれど、一番大切なサービスです。この一点からしても本当によい宿だといえます。
 今日のお客はぼく一人、去年はぼくを入れて3人。最高の遍路宿だけれど、なにぶん場所がよくありません。岩本寺から20km、その手前の宿となるとさらに20km離れた土佐久礼の宿になります。つまり、この宿に泊まる人は1日に20km前後歩く人か、40km前後歩く人、ということになります。どちらも少数派、はっきりしたアンケートをとった訳ではないけれど、前者は歩き遍路全体の2割前後、後者は1割前後、という感じを何となく持っています。自然、この宿に泊まる人はどうしても評判の割には少なくなってしまうようです。すごくもったいないです。


 夕食はやっぱり最高でした。揚げたてのカキフライが先ずうれしいし、刺身はイサキ、ぼくはこんなに甘く味の濃いお刺身は初めて、ちょっと感動的でした。トマトも普通ではなくびっくりするくらいの美味さ、料理人の腕とこだわりが随所に感じられる一皿一皿です。たっぷりのポテトサラダもありがたい。
 お料理だけでなく、部屋、寝具、トイレ、洗面、お風呂、すべてが清潔で気持ちよく文句のつけようがありません。本当に百点満点の遍路宿だということを1年ぶりに訪れて再認識しました。来年以降は、窪川から中村まで行ってしまうので泊まることができません。そのことが本当に残念です。