万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

政経複体系モデルから読み解くポピュリズム-当然の反応では?

2018年08月09日 15時43分28秒 | 国際政治
福祉国家で知られるスウェーデンでは、9月9日に予定されている議会選挙において、反移民政策や反イスラム主義を掲げる政党の勢いが増しているそうです。マスメディアの多くは、こうした‘極右政党’の躍進については、ポピュリズムと断じて得てして批判的です。しかしながら、政治と経済における国際体系を別物と見なす複体系モデルからしますと、ポピュリズムは、何の不思議もない自然な反応のように思えるのです。

 マスメディア、否、大半の識者は、ポピュリズムを衆愚政治の一種と捉えており、現状に不満な人々がその鬱積を解消するために、特定の人々を‘外敵’に仕立てて排斥しようとする‘感情的な行為’と見なしています。今日のヨーロッパにあって、‘外敵’とは、難民・移民やこれらの人々が持ち込むイスラム文化であり、そして、さらにその奥には、人件費の削減という合理的な経営判断に基づいて移民を呼び込むグローバリズムへの反感があるのでしょう。マスメディアの批判も、人道的な見地からの難民保護やイスラム擁護というよりも、‘本丸’であるグローバリズムが拒絶されることを怖れているのかもしれません。

 かくしてマスメディアは、‘愚か者たちのポピュリズム’というレッテルを張ろうとするのですが、そのポピュリズム批判もまた、その焦りとも見える必死さからしますと、どこか感情的な印象を受けます。実際に、ポピュリズム批判にも、誰もが合理的と見なす根拠は見当たらず、その主張に含まれる排他性を目の敵にして、差別や人権侵害として糾弾しているように映るのです。

 ポピュリズムとグローバリズムとは、双方ともが感情的批判を闘わせているように見えるのですが、冷静になって考えてみますと、この対立構図は、政治分野における国民国家体系と経済文化におけるグローバル体系との相克として理解することができます。極大まかにそれぞれの特徴を理念型として述べれば、国民国家体系は、閉鎖・分割型であり、グローバル体系は、開放・単一型の体系です。前者は、およそ人類の分化過程において多様化した民族的な枠組みに沿って地理的にも分割されており、国境管理を備えた、即ち、閉じられた複数の主権国家によって構成されています。その一方で、後者には境界線が存在しないと意味において開かれた体系であり、自由自在に移動・運営可能な企業がその活動単位となります。政経両体系はおよそ正反対の特性を有しており、両者の不整合性こそ、今日、全世界において散見される、移民問題をはじめとした様々な摩擦や軋轢が発生する要因として理解されるのです。

こうした複体系モデルから見ますと、ポピュリストとグローバリストは、双方とも、自らの体系のみに依拠しながら相手方の体系を批判しており、両者の感情的な言い合いは平行線を辿るばかりとなりましょう。否、ポピュリストに対する無理解においては、グローバリストの方が深刻かもしれません。そして、双方ともが、相手方の体系を葬り去ろうとしますと、政治と経済の狭間で、全人類が引き裂かれてしまう結果を招きかねないのです。両体系の違いを認めた上で上手に調和点を探ることこそ、感情的な批判合戦を繰り広げるよりも、余程、建設的なのではないかと思うのです。

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