万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

核兵器禁止条約は「核兵器ない世界」への戦略ミス?

2018年08月06日 15時21分55秒 | 国際政治
「核兵器ない世界」主導=禁止条約に触れず―安倍首相・広島原爆忌
本日8月6日、人類史上はじめて広島に原爆が投下されてから73年が過ぎ、今年も、被爆地では平和祈念式典が開催されました。ところが、同式典に参列した安倍首相のあいさつに昨年7月に採択された核兵器禁止条約に触れる件がなかったことから、一部マスメディアや被爆者の間から落胆の声が上がっています。しかしながら、この批判、どこか的外れのように思えます。

 その理由は、核兵器禁止条約は、真剣に「核兵器ない世界」の実現を目指すならば、戦略ミスである疑いが濃いからです。核兵器禁止条約が成立した結果、国際社会は、NPT(核拡散防止条約)と核兵器禁止条約が併存するという奇妙な事態に陥っております。同一の行為をめぐって、ある法では合法となり、他の法では違法となる状況は、法空間の分裂を意味しており、全世界を枠組みとした一つの国際法秩序の維持という観点からすれば、‘あってはならない事態’、即ち、国際法における法域の崩壊なのです。

 核兵器禁止条約を主導したICANの戦略は、核保有国を含む全ての諸国を加盟させれば、事実上、NPTは自然消滅し、同条約に一本化するというものであったのでしょう。しかしながら、核保有国が自らの特権を放棄するような条約に加わる可能性は極めて低く、非現実的な戦略と言わざるを得ません。しかも、一旦、核兵器禁止条約に加盟しますと、核保有国は同条約の非加盟国であるため、核保有国に対し、同条約を根拠に是正を求める権利も機会もありません。核兵器禁止条約は、この意味においても、非核保有国の安全を危険に晒しているのです。

 こうした理想主義に基づく核兵器禁止条約の欠陥を考慮しますと、仮に「核兵器ない世界」への道を探るならば、NPTの枠組の中で同条約の改正を目指した方が、遠回りのように見えても、より現実的であったように思えます。この場合、核保有国の条約上の義務や制裁を重くすべきであり、中国やロシアのように、核ミサイルの照準を他国に合わせて恐喝するといった行為を取り締まる必要があります。また、これらの諸国からのイランや北朝鮮への核技術の流出も疑われていますが、核保有国による核拡散行為に対しても厳しい制裁を科すべきでもあります。そして、IAEAによる無条件核査察の受け入れにより、全ての非核保有国の非核化が完全に確認される段階に至って、初めて核保有国も、核の全面的な放棄に踏み込むことができましょう。言い換えますと、非核保有国の声を反映させる形で、最終段階における核保有国の非核化をNPTに義務として書き込むのです(現状では、核保有国による核軍縮への取組み義務に過ぎず、かつ、中国はこうした義務に対して無視を決め込んでいる…)。

 以上に述べたように、ステップ・バイ・ステップ方式によるNPT改正の方が、核兵器禁止条約よりも遥かに現実的で安全な路線なのですが、それでも、「核兵器ない世界」が実現は遠い道のりです。核保有を‘特権’と見なす中国やロシアは核保有国の義務強化に難色を示すでしょうし、核保有国には、国連安保理常任理事国の他に、インド、パキスタン、イスラエルといったNPT非加盟国が存在しており、北朝鮮も一方的な脱退を宣言しているからです。全世界の諸国を条約に加盟させることの困難さは、NPTと雖も乗り越えるのが難しい壁なのです。

何れにしても、核兵器禁止条約は、現状においては、ただでも難しい核問題をさらに複雑にする攪乱要因でしかないように思えます。ICANは、NPT改正という地道な方法を選択しなかった理由を、一体、どのように説明するのでしょうか。

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