万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

グローバリズムのために民主主義が変わるべきなのか?

2018-08-08 15:54:53 | 国際政治
今日の世界は、アップル、グーグル、フェイスブック、アマゾンの4強、即ち、AGFAと総称されるグローバル企業群によって‘支配’されつつあるとする指摘があります。マイクロソフトを加えれば、‘ビッグ・ファイブ’となるそうですが、中国も負けてはおらず、百度、アリババ、テンセントの三者による三強BATがひしめいており、さらに、TMDと称されるニュースサイト運営の今日頭条、生活サービスの美的点評、配車アプリの滴滴出行が新三強の座を窺っていると言うのです。

 これらの巨大企業に共通する点は、社会インフラとも言えるプラットフォームを構築し、人々が、最早それなくしては生活できないように仕向ける、という独占的な手法にあります。製造業とは違い、情報・通信サービスの分野は、ビジネスのみならず、プライベートを含めて人々の行動やコミュニケーションと密着していますので、否が応でも、その利用は、個人情報の提供を伴いますので、自らの全てを何者かに知られてしまう、と言う意味において、人々に‘支配’や‘監視’される恐怖を抱かせるのです。ジョージ・オーウェルの『1984年』のように…。

 情報通信サービスの分野に限らず、グローバル化した企業は、原料の調達から販売に至るまで、全世界をグローバル市場とみなして最適の配置を目指しますので、当然に、政治分野における国民の枠組みとの間に‘ズレ’が生じます。経済分野におけるグローバリズムは、政治的な国民国家体系とは別の体系なのです。

民主主義国家の政府は、自国を外部からの攻撃から護り、国民生活の安定や治安の維持に努める責務を担っており、この目的のために権力を国民から負託されていますが、グローバル企業は、国家を枠組みとした国民に対して責任を負っているわけではありません。否、国境を越えて全世界に散在している社員に対して、雇用契約上の責務を負っているに過ぎないのです。仮に、何らかの問題が発生した場合、政府は、国民本位でその解決を図るものですが、グローバル企業は、グローバル市場における自らの利益確保に則した解決を求めることでしょう。政府と企業では、両者が護ろうとする対象は、自ずと違いがあるのです。

 かくして、経済分野におけるグローバリズムの進展は、政治と経済の枠組の‘ズレ’という深刻な問題をもたらしますが、この不整合性に対する解決策として、民主主義の修正を求める声も聞かれます。現実の世界がグローバリズムの波に抗い難いならば、民主主義の方を変えるべきとする見解です。しかしながら、こうした経済優先の解決は、人類に望ましい未来を約束するのでしょうか。民主主義の修正とは、国民の参政権に制限を加え、政策決定過程にグローバル企業を参加させることを意味するとしますと(もっとも、ロビー活動により、非公式のルートで巨大企業は既に政策決定に影響を与えている…)、やはり、人類は、AGFA、BAT、並びに、MTDといった巨大企業によって、プライベートまで含めて‘支配’されてしまうこととなりかねません。全ての諸国の政治に参加する権利を得たこれら企業のCEO、創業者、大株主、そして、投資家達が、人類の運命を操ってしまうのです。

 このように考えますと、グローバリズムへの対応としての民主主義の修正は、ごく一部の人々による全人類の全面的な‘支配’を招きくリスクがあります。むしろ、こうしたディストピア的な未来は未然に防ぐべきであり、民主主義を損ねない形での国民国家体系とグローバル市場経済との調和を図るべきなのではないでしょうか。修正を施すとすれば、それは、行き過ぎたグローバリズムの方なのではないかと思うのです。

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