万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

山根会長問題と多文化共生主義-移民政策の行方

2018年08月05日 15時11分09秒 | 社会
 不正行為や権力私物化等の廉で告発されている日本ボクシング連盟の山根明会長をめぐっては、ネット上で様々な情報が飛び交っております。その中の一つに、同氏は、韓国から帰化して日本国籍を取得した韓国系日本人というものがあります。

 紋付の羽織袴姿で映る写真もあり、マスメディアは同氏の出身地を大阪堺市と報じていますが、出身地が韓国というのは、官報に掲載された帰化情報に基づいておりますので、どうやら事実のようです。元の姓名は文甲明であり、現在、釜山市に同氏の兄弟等親族が棲んでいるそうです。そして、山根会長の出身地が韓国であったとする事実は、移民政策にも関連する一つの重要な問題を提起しております。それは、多文化共生主義を採用した場合、異文化をそのまま日本の国に受け入れることができるのか、という文化受容の問題です。

 同会長の言動を観察しますと、そこには、朝鮮半島に根付いてきた社会通念ともいうべき文化的特徴を見出すことができます。例えば、同氏は、韓国出身、あるいは、自身と縁のあったボクサーを優遇し、審判まで脅したとされていますが、こうした権力者による身内贔屓は、朝鮮半島や中国大陸においては、誰もが行っている当然の行為なそうです(結果として逆差別が生じ、日本人が不遇となるか、排斥されてしまう…)。また、李朝時代の両班よろしく、地位の高い人物が権力を私物化し、周囲の人々を‘奴隷’の如く扱き使うのも当たり前であり、至る所で‘暴君’が君臨しています。北朝鮮の世襲独裁体制は、まさに、この朝鮮半島の政治文化を体現しているとも言えるかもしれません。スポーツに対する考え方も、如何なる手段を用いようとも勝つことこそが全てであり、何事にも‘道’を求め、対戦相手に対して敬意を払いつつ、自己鍛錬と修養の場と捉える日本国の文化とは対称をなしているのです。

 多文化共生主義に従えば、日本国は、こうした韓国・朝鮮流の社会や組織の在り方をも受容せねばならなくなります。否、実際に、同氏の会長就任と運営により日本ボクシング連盟が朝鮮半島流に染まってしまったからこそ、異文化との摩擦問題、あるいは、異文化による在来文化の排除問題が発生したとも言えましょう(同様の問題は、日本ボクシング連盟以外でも起きているかもしれない…)。多文化共生主義は、全ての文化に対して平等の価値を与えていますが、現実には、人命や他者の尊厳を軽視したり、社会腐敗を助長したり、強者が弱者をいたぶるのを許すような非人道的な文化も、世界には無いわけではありません。人道、そして、善き社会の在り方という視点から見ますと、日本国が無批判に海外の文化を受け入れることは、社会の腐敗と倫理的な崩壊を招きかねないのです。崇高な理想を掲げる平等主義者であっても、反道徳的、反社会的、あるいは、非人道的な行為を‘常識’とする文化にまで寛容であれ、と説くとは思えません。如何なる理由があれ、善悪の価値判断を放棄したのでは、人は人ではなくなります。

古来、日本国は、海外から異文化を受け入れるに際して、その良し悪しを慎重に吟味し、良きものは受け入れ、悪しきものは拒絶してきました。ところが、多文化共生主義は、健全で安全な社会を保つための、賢明さと洞察力を要する取捨選択の作業をも否定しているのです。多文化共生主義とは、いわば、‘隠れた危険思想’とも言えるのではないでしょうか。山根会長問題で露呈した現実的なリスクを目の前にしますと、日本国の善き社会秩序の再建に向けた現状の改善、並びに、多文化共生主義の根本的な見直しこそ急務なように思えるのです。

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コメント (4)
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