自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

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楽健法 その2 Rakken-hou

2010-06-16 22:26:20 | 推薦図書
「二人ヨーガ」の本にある、著者の詩です。
少し長いのですが、そのまま載せます。
私も人生の折々に多くの出会いがあり、学ばされてきました。
それらの有難い出会いを思い出させてくれた、有難い詩です。

**********************************
闘病五十年
喘息に苦しみ
貧乏にあえいだ男がいた
喘息はついに治らず
さよならをした

息子のわたしに喘息を遺産として残して

闘病十余年
薬づけのまっくらやみの人生であった
まっくらやみだが
神様がどこかにいられるはずだと思い
私は合掌した

合掌すると心のなかに新しい芽が生える

私は思った
合掌は左右の手の出会いである
病気もひとつの出会いである
人間に対する
最高の教育が病気である
病気は
神様のおひとりでさえあるのだと
病気は選ばれた人間に与えられる
神様からの贈り物だ

わたしは病気を楽しむことにした
大切にしようと思った
治そうと思うのは止しにした


ある日わたしは玄米に出会った
玄米を食え
とその坊主はわたしに言った
うまいぞ!
そう言ってにこにこしていた

わたしは玄米をかみしめた
玄米は人生に似て味わい深い
玄米をかみしめるというのは
人生をかみしめることである
歯の合掌である

さまざまの出会いがある
病気の神様のみちびきで
わたしは味わい深い出会いを得た
多くのすぐれた人との出会いをもった

病気こそ父の遺産の唯一最高のものだ

うらみつらみを抱いた若い日を省みて
わたしは合掌する
いまでは健康のありがたさを
しみじみとかみしめながら



P.121 ・・・・・(父は)民間療法も実にいろんなことをやったよう
です。人から教えられた良いと思うことは、何でもやったし、やるつ
もりでもあった。しかし、父は、不幸にして、この詩の中の私のよう
に、根源的な何かを教示してくれるひとりの師に出会わなかった。

あるいは、自身が根源的なものに向かおうとする意思を持っていな
かったのかもしれない。インドには、弟子に準備ができると師が現れる、
という言葉がありますが、それこそ、人間の宿命というものだろうと
思います。

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