2/21の投稿に対しても質問が来ましたのでお答えしましょう。
「音楽の夢は諦めたのですか?」
「音楽から、自然に自力整体に移ったのですか?」
私の夢に関しては、音楽の道からコマネチ、ミュージカル、タップダンス、
こんにゃく体操、呼吸法、東洋医学・・・・と、驚くべき(!)迷走が続き、
現在も進行中です。
昔、「若気の至り」とはいえ、よくもまあ、自分の才能を自覚できず、
「プレーヤー」なんて考えたものだと、現在は「赤面の至り」です。
「コマネチ」に到っては、1976年モントリオール・オリンピックのテレビで
彼女の演技を見て感激した!というだけで器械体操に挑戦を開始したのです。
次男が生まれた翌年で、私は28歳。太目の肝っ玉母さん体型なのに・・・・・。
もちろん仕事も保育園も大変なときですから、教室になんて行けません。
(そもそも、そんな変な大人のための教室なんて存在しないのです。)
自分で器械体操の本を入手して、前転・後転・倒立から倒立前転などをやりまくり、
数年後、腰を痛めるまで続けました。)
とは言っても、段違い平行棒とか、平均台などの恐ろしい演技や怪我をしそうな
モノは眼中になく、私の望みは唯一つ。
「普通に歩いてきて、突然倒立を経過して片足ずつゆっくり着地したら、
何事もなかったように、また歩き続けたい!」
格好イイでしょう?!?
歩かないで、走って勢いをつけ、倒立を経過して両足同時に着地するのが
「前方転回」という技です。ゆっくりするのは、勢いをつけない分、
さらなる柔軟性を要求されるそうですが、こちらは素人。外見はオバサンですが、
心は少女のようにひたむきに精進しました。
精進しても、とにかく独学は無理!ということが判明。
数年後には岡崎聡子(元オリンピック体操選手。和製コマネチの名も)さんが指導
するエアロビクス教室(渋谷のワークアウト)や、ボディビルの教室など、
教えてくれそうなところへ通い、走り回っていました。
(この頃のエネルギーは、子育てよりも自分の夢にばかり注いでいたかも・・・・・。
息子たちよ、許してください!)
この努力の結果(!?)なんと3男を懐妊、無事出産後、コマネチへの夢も消え・・・・・
かけたとき、(→だって既に34歳・ますます太め)素晴らしい教室を発見!
この頃は産休明け保育園とか、育児休暇など殆ど無い時代ですから、
職場内の無認可保育園を利用していました。職場は駒場の宇宙研ですが、
保育園は東大教養学部の敷地内にあります。ある時、車検で車が使えず、
3男をおんぶして構内を歩いていたら、学生用の体育館がありました。
下窓から何気なく覗くと、長~いマットが敷いてあり、学生さんたちが、
まさに、私のやりたかった体操をしています。
ここからが私の「ものすごい」点ですが、
「あ~、何てラッキー! 灯台(東大)下暗しとは、このことヨ!」と思い、
三男をおんぶしたまま体育館に入っていき、
「私は宇宙研の職員ですけど、仲間に入れてくれませんか?」と頼んだのです。
部長らしき男子学生君は、面喰いながらも、
「はあ~、そいじゃ、怪我しないように気をつけて、やってください」と言って
くれました。ここからまた、ひたむきな努力が始まるのですが、発見が遅すぎました。
最終的には、人前で2度ほど前方転回が出来るほどになったのですが、
その2度目、研究室の仲間に成果発表と称して、跳んで見せ、着地した瞬間、
背骨が骨盤より前方にずれてしまったような衝撃を覚え、腰痛が始まりました。
数ヵ月後、腰痛がほぼ治まったところで、目黒区の体育館で指導員という方に
「せっかく出来かかった前方転回なんですが、このまま続けるのは危険・・・・・・
でしょうかしら・・・・ね???」と相談しました。
指導員氏の答え。
「あんた、気は確か?? どんな名選手でも30代になったら辞めるんだヨ!!
そのまま続けていれば、早晩怪我をして寝たきりだよ。
そりゃあ好き好きだから勝手にすればイイけれど、
私ならその驚異的なエネルギーと柔軟性を活かして別のスポーツを楽しむよ!」
これで諦めがつき、私の夢は泣く泣く別の方向へ向かいます。
そして、この時に学んだ体の使い方、骨格や筋肉の働きが後々の体への興味・探求、
そして仕事にまで繋がるとは、知る由もありませんでした。
ホームページのアドレス http://home.a01.itscom.net/komaria/index.html
「音楽の夢は諦めたのですか?」
「音楽から、自然に自力整体に移ったのですか?」
私の夢に関しては、音楽の道からコマネチ、ミュージカル、タップダンス、
こんにゃく体操、呼吸法、東洋医学・・・・と、驚くべき(!)迷走が続き、
現在も進行中です。
昔、「若気の至り」とはいえ、よくもまあ、自分の才能を自覚できず、
「プレーヤー」なんて考えたものだと、現在は「赤面の至り」です。
「コマネチ」に到っては、1976年モントリオール・オリンピックのテレビで
彼女の演技を見て感激した!というだけで器械体操に挑戦を開始したのです。
次男が生まれた翌年で、私は28歳。太目の肝っ玉母さん体型なのに・・・・・。
もちろん仕事も保育園も大変なときですから、教室になんて行けません。
(そもそも、そんな変な大人のための教室なんて存在しないのです。)
自分で器械体操の本を入手して、前転・後転・倒立から倒立前転などをやりまくり、
数年後、腰を痛めるまで続けました。)
とは言っても、段違い平行棒とか、平均台などの恐ろしい演技や怪我をしそうな
モノは眼中になく、私の望みは唯一つ。
「普通に歩いてきて、突然倒立を経過して片足ずつゆっくり着地したら、
何事もなかったように、また歩き続けたい!」
格好イイでしょう?!?
歩かないで、走って勢いをつけ、倒立を経過して両足同時に着地するのが
「前方転回」という技です。ゆっくりするのは、勢いをつけない分、
さらなる柔軟性を要求されるそうですが、こちらは素人。外見はオバサンですが、
心は少女のようにひたむきに精進しました。
精進しても、とにかく独学は無理!ということが判明。
数年後には岡崎聡子(元オリンピック体操選手。和製コマネチの名も)さんが指導
するエアロビクス教室(渋谷のワークアウト)や、ボディビルの教室など、
教えてくれそうなところへ通い、走り回っていました。
(この頃のエネルギーは、子育てよりも自分の夢にばかり注いでいたかも・・・・・。
息子たちよ、許してください!)
この努力の結果(!?)なんと3男を懐妊、無事出産後、コマネチへの夢も消え・・・・・
かけたとき、(→だって既に34歳・ますます太め)素晴らしい教室を発見!
この頃は産休明け保育園とか、育児休暇など殆ど無い時代ですから、
職場内の無認可保育園を利用していました。職場は駒場の宇宙研ですが、
保育園は東大教養学部の敷地内にあります。ある時、車検で車が使えず、
3男をおんぶして構内を歩いていたら、学生用の体育館がありました。
下窓から何気なく覗くと、長~いマットが敷いてあり、学生さんたちが、
まさに、私のやりたかった体操をしています。
ここからが私の「ものすごい」点ですが、
「あ~、何てラッキー! 灯台(東大)下暗しとは、このことヨ!」と思い、
三男をおんぶしたまま体育館に入っていき、
「私は宇宙研の職員ですけど、仲間に入れてくれませんか?」と頼んだのです。
部長らしき男子学生君は、面喰いながらも、
「はあ~、そいじゃ、怪我しないように気をつけて、やってください」と言って
くれました。ここからまた、ひたむきな努力が始まるのですが、発見が遅すぎました。
最終的には、人前で2度ほど前方転回が出来るほどになったのですが、
その2度目、研究室の仲間に成果発表と称して、跳んで見せ、着地した瞬間、
背骨が骨盤より前方にずれてしまったような衝撃を覚え、腰痛が始まりました。
数ヵ月後、腰痛がほぼ治まったところで、目黒区の体育館で指導員という方に
「せっかく出来かかった前方転回なんですが、このまま続けるのは危険・・・・・・
でしょうかしら・・・・ね???」と相談しました。
指導員氏の答え。
「あんた、気は確か?? どんな名選手でも30代になったら辞めるんだヨ!!
そのまま続けていれば、早晩怪我をして寝たきりだよ。
そりゃあ好き好きだから勝手にすればイイけれど、
私ならその驚異的なエネルギーと柔軟性を活かして別のスポーツを楽しむよ!」
これで諦めがつき、私の夢は泣く泣く別の方向へ向かいます。
そして、この時に学んだ体の使い方、骨格や筋肉の働きが後々の体への興味・探求、
そして仕事にまで繋がるとは、知る由もありませんでした。
ホームページのアドレス http://home.a01.itscom.net/komaria/index.html