駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『アンナ・カレーニナ』

2011年02月06日 | 観劇記/タイトルあ行
 シアタークリエ、2011年1月24日マチネ。

 19世紀末のロシア。凍てつくペテルブルク駅で、突然、列車事故が起こる。たまたま居合わせた美貌の人妻アンナ(瀬奈じゅん。一路真輝とダブルキャスト)は、浮気が発覚して妻ともめている兄スティーバ(山西惇)に仲介役を懇願されてモスクワへ旅立つところだった。混乱の中、アンナは若き陸軍士官ヴロンスキー(伊礼彼方)と出会うが…
 原作/レフ・ニコライビッチ・トルストイ、脚本・作詞/ピーター・ケロッグ、音楽/ダン・レヴィーン、修辞・訳詞/小池修一郎、演出/鈴木裕美。1993年初演、06年日本初演の再演版。

 原作小説、好きです。
 ストレート・プレイとかミュージカルとかでいくつか観てきましたが、今回もカレーニン(山路和弘)のツンデレっぷりにシビれ、コスチャ(葛山信吾。しかしレイヴィンって誰?と思ったよ私。リョービンのことだったのね)のいじらしさににまにましました。
 スティーバの憎めなさ加減もよかった。

 今回ハッとさせられたのが、春風ひとみ演じるプリンセス・ベッツィー、社交界の面々と歌う「噂」というナンバーの怖さです。アンナは、ただヴロンスキーに見つめられていただけで、まだ心も動く前だったのに、それこそ火のないところに煙を立たせられて、追い詰められるようにそちらに向かわせられていくんですよね。
 それが如実で、観ていてつらかったです。
 だってアンナは、カレーニンのわかりにくい愛情表現に物足りなさを感じてはいただろうけれど、全体としては自分の役割を楽しんでいて、気楽に生きていたのだと思うのですよね。それを、ヴロンスキーとの不倫の恋に、無理やり押し込まれていったように見えたのです。
 もちろん抗いきれなかった弱さは彼女の責任かもしれないし、「迷子でいたいの」と歌ったのは彼女の本心だったかもしれない。しかしとにかく美しくはあったけれどある意味平凡というか、いっそ凡庸だった女の運命が、ひょんなことから狂わされていく様をまざまざと見せつけられたような、そんな寒々しさを感じた舞台だったのでした。
 死んじゃったけれど幸せになれたよかったね、とか、自由になれてよかったね、という感じはしなかった。アンナはいつでも息子セリョージャ(この日は谷端奏人)のところに、もっと言えば夫カレーニンのところに戻りたかったんだと思うな。戻ったほうがよかったのではないかと思うな。
 でも、そうできなかった。これはそんな悲しい物語なのだと思いました。
 恋という魔物、よりもっと恐ろしい、運命の悪戯、みたいなものを見た気がしました。

 アサコは『エリザベート』なんかよりずっと自然に女優をやっていたと思うけれど、彼女の演技がどう、というより、とにかく舞台全体が作る印象が、なんかそんな感じでした。
 そしてそれは、キャサリン・シチェルバツカヤの遠野あすかが抜群に良かったせいかもしれません。

 キティというのはもちろんアンナと対照性を持たされているキャラクターですが、総じてアンナを魅力的に見せようとするあまりに、キティはお馬鹿な、あるいはかわいそうな、ダメな女の子のように描かれがちだと思います。私も今までこのキャラクターに関してはなんとなくそんな認識でいました。
 でも、アスカがそれはそれは生き生きと、体当たりで、縦横無尽に、徹底して楽しんで作り上げた今回のキティは、生命力に溢れていて、魅力的で、コケティッシュで、とても素敵な女の子でした。コメディエンヌに徹しているんだけれど、でも女性が持つ素直な強さ、すこやかさ、がめつさやずる賢さまでもをきちんと嫌味なく体現していて、あざやかでした。本来このキャラクターとはこうあるべきだったのかもしれない、と思わせられたのです。
 自分が持っているものと持っていないものをわかっていて、欲しいものもわかっていて、そのためにできることはするまっすぐさがあり、上手くいかないとへこんだり拗ねたりはするけれど、へんに暗く薄汚くならない。とにかく可愛くてチャーミングです。
 みんな本当はこういうふうに生きたいよね、こういうふうに生きられたら幸せだよね、本人はぶうぶう不満を言っているかもしれないけれど、そういうのもひっくるめて幸せな生き方ってことだよね、だって本当につらいのは、アンナのようにつらくてもつらいと言えない生き方のことだものね…みたいなことを考えさせられました。
 美醜とか、性格とか、立場とか、なんかそういうものとはちがくて、ただふたりの女の生き方を分けてしまったもの…それってなんなんだろう、ただ恋ひとつとはとても言えない、何か運命の恐ろしい偶然みたいなものかしら…とか。

 というのも、別に伊礼くんがどうとかではなくて、ヴロンスキーというキャラクターには私は昔から格別の魅力を感じないからです。若さとか情熱とか恋の炎を体現するキャラクターだとも思えない。
 今回も、ただアンナの運命をひょいと狂わせるための、ただの器のようなものにしか見えなかった…もちろん彼は彼なりにアンナに惹かれアンナを愛し必要としたのだとは思うのですが、やはり彼は、というか男は愛だけでは生きていけないものだし、というか彼としては愛を完全なものにするためにも結婚したかったのだけれどアンナがカレーニンとの離婚を承諾しなかったので、そうこうするうちにいろいろねじれてしまったわけですよね。
 もちろんカレーニンも十全の愛でアンナを愛していたとは言い切れない。彼がアンナの遺児を引き取ったのには、絶対に綺麗なだけではない思惑があったはずです。でも彼はそうとしか生きられない人間だったのです。

 そんな中で、愛がなくても生きていけたかもしれないあるひとりの女が、愛なんて不確かなもののために人生を狂わされ、命さえ奪われた、悲劇…
 そんな悲しく寒々しい物語を観た気がした、舞台でした。不安定な楽曲もよかったです。

コメント
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