こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

四旬節第4主日(ルカ15:1-3,11-32)書かれていない兄の「その後」

2019-03-30 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/190331.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
19/03/31 (No.994)
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四旬節第4主日
(ルカ15:1-3,11-32)
書かれていない兄の「その後」
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四旬節第4主日はよく知られている「放蕩息子のたとえ」です。弟には本来あるべき状態から離れたときに、本来の状態に戻ってくるようにと呼びかけられています。兄には、本来の場所にいる有り難さを今まで以上に自覚するようにと呼びかけられています。今年は、兄に呼びかけられていることに重点を置いて考えてみたいと思います。

いよいよ月曜日から小教区の黙想会が始まります。説教師は大阪大司教区の酒井補佐司教様です。「司教様をどうやって呼ぶことができたのですか?」と聞く人がいましたが、司教様の方から声がかかったのです。私の力ではありません。

酒井司教様が長崎でオプス・デイの経営する学校の先生をしていたときは、よく硬式テニスで火花を散らしていました。たくさんのテニスの思い出があったので、黙想会期間中も昼休みに田平公園でいかがですか?とお誘いしましたら、「残念!私はテニスから離れて、ラケットもシューズも手放しているのです」との返事でした。もちろん黙想会が第一の目的ですが、懐かしい記憶をよみがえらせる楽しみが一つ減りました。

さて、「放蕩息子のたとえ」については、細かい説明は必要ないでしょう。もちろん細かい部分に目を向けることで、より鮮明になる効果はあります。

たとえば、兄は父に「あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。」(15・30)と不満をぶつけると、父は兄に「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(15・32)と兄の心の目を開かせようとしています。このやりとりを気づいているのと気づかないでは物語を味わうのに大きな差が出てくるでしょう。

細かな点が与えてくれる気づきを踏まえた上で、大きな視点で私は次の疑問を解決したいと思いました。この物語は「放蕩息子」が登場しますが、物語の最後には登場しなくなります。父親と、息子のうち忠実であり続けた兄とのやりとりに取って代わるのです。

しかも父が兄の方に「祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」と声をかけたあと、兄がどのような態度を取ったのか、書かれていないのです。弟は、心の底から態度をあらため、父の家に迎え入れられました。では兄は、その後いったいどうなったのでしょうか。

私は、兄がどんな行動に出たのか、知りたいのです。私も自分の家庭で第一子長男で生まれました。同じ立場に立たされたとしたら、どのような態度に出るだろうかと考えます。ひょっとしたら今度は兄が、家を飛び出してしまうかも知れません。父親に対する自らの忠実さが理解されなかったと思い込み、本来あるべき状態を逸れてしまう可能性もあります。

ただ私は、物語の兄が、父親の話を聞いてよく考え直し、自分にできることをして父親を喜ばせようとするのではないか。そう考えてみました。兄に呼びかけられているのは、「本来の場所にいる有り難さを今まで以上に自覚する」ということです。この呼びかけに沿って、兄にさらにできることは何でしょうか。

こんなことは可能かも知れません。もともと父の家の息子二人は、雇い人のように働くことは求められていないはずです。我が家で起きた感動的な体験を、多くの人に語り聞かせる。そのために人を招き、会食をして、死んでいた弟が父の思いに気づき、生き返ったのだと語り合うことも可能でしょう。兄が望むなら、外に出て弟の立ち返りと父の偉大さを語る旅に出るということも可能です。

このあたりは物語には書かれていません。私はこの「書かれていない物語」は、ルカ福音書が読まれる国、読まれる時代によって自由に描かれてよい部分として余裕を残してくれたのではないか。そう思ったのです。私たちが生きているこの国のこの時代で、父の偉大さと弟の立ち返りを語って聞かせるために兄が思いきって活動するさまを、大胆に描いてよいのではないでしょうか。

最近、反省することがあります。どこの教会でも司祭たちは「信者が教会に来なくなった」と嘆いています。私はこれは、父親の諭しを聞き入れる前の兄の言葉に聞こえるのです。「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。」(15・29)

たしかにそうですが、司祭がミサのために教会に行くのに、いったいどれくらいの労力がいるでしょうか。田平教会であれば司祭館から15歩かも知れません。そこからすると、すべての信者さんが「ここをたち、父のところに行って言おう。」(15・18)そんな思いなのではないでしょうか。司祭はまだ遠くにいるうちから駆け寄るべきなのに、その正反対の態度で接しているのではないか。そんな反省を持ったのです。

司祭に、父親の諭しを聞き入れる前の兄の態度が残っているのなら、今の時代にふさわしい「書かずに残してある兄の物語」を実行する必要があると思いました。中田神父ができる「父の偉大さを語り、弟の立ち返りを喜ぶ」態度は何だろうか。よく考えたいと思いました。

黙想会は、立ち帰りの時です。私たちが父の家にこれまで以上に近づき、父の愛に留まって日々を暮らすヒントを黙想会の中で願いましょう。説教師の補佐司教様も大きな犠牲を払っておいでくださいますので、補佐司教様のためにも合わせてお祈りください。

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‥次の説教は‥‥
四旬節第5主日
(ヨハネ8:1-11)
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ちょっとひとやすみ
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▼田平小教区は教会報を出している。月末に発刊しているので3月は30日に編集して30日と31日のミサで各地区の連絡員さんが配布する。当然(だと思っているが)主任司祭は毎月原稿を提出するので、月末のタイミングを意識していなければならない。
▼ところが今月3月に限っては編集会議のその日まで原稿のことを思い出しては忘れの繰り返しだった。結局、編集会議が午後に開かれるという30日の午前中に慌てて提出した次第。考えは少し前からあったものの、慌てたことに違いはない。
▼司祭になって最初の赴任地で、「薬にも毒にもならないことは書くな」と主任司祭から言われたことがある。これはいつも肝に銘じていた。しかし、ここ田平にいたって最初の主任司祭にお詫びをしなければならないかもしれない。とうとう、「薬にも毒にもならない記事」を書き始めているのではないか。そう思うことがある。
▼薬にと思って、あるいは毒を吐いて、記事を書くと、それなりに厳しい反応が返ってくる。それは覚悟の上、と思っていたが、「薬を薬と思ってくれなければ、毒を毒と思って警戒してくれなければ、書いても同じか。」どこかでそう思っている自分もいる。
▼何というか、少し燃料が燃えなくなってきたのだろうか。洗礼者ヨハネのような「燃えて輝くともしび」であるはずの使命を見失いつつあるのか。務めをこなすだけで、思考を停止させているのか、とにかく自分が自分でなくなるような感じか。
▼自分と向き合い、自分に声を掛ける必要を感じている。

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今週の1枚
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第601回目。司祭館の価値を上げる。これも主任司祭、また教会役員の務め。

ホームページもご覧ください。
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