心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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天気で悩む

2016年01月27日 | ほんのすこし
2月に入ると、予定がある。
ずっと前からの予定なのだけど、このところの母の様子やら雪の状態やらで、一体いつのどこからどこまでの切符を手配したらいいのかと毎日悩んでいる。これが夏場だとそんなに悩むこともないのだが。
出発地点がバス停なのか、電車なのかでも変わってくるが、冬場だとそこまでいくのに歩くのに要する時間はどうなのか、とか。
しかも今日天気が良くても明日になれば大雪に変わるかもしれない。数日前から天気予報のチェックは欠かせない。だからいつもならかなり前にチケットをとるのだけど今回だけは直前に買うしかないなと思ったり。
時刻表やら路線図を見て、前日に行ったらいいか当日早朝に行ったらいいか、悩みは尽きなし。

たぶんギリギリまで悩むと思う。
優柔不断なわたしはこういうとき本当に難問がやってきたと思ってしまう。

仕事の方もぶつからないといいのだけど。
最悪の時はUSBメモリーに保存して持って行くか…… 質問があればそれを見て応えることができるはず。
などと余計なことまで心配してしまう。

願わくば前日当日共にお天道様が元気で穏やかな天気でありますように。当日出発だとするとバスを利用するしかないから、高速道路がダメになったら一巻の終わりだからねぇ。

願わくば母の体調が回復していますように。これが一番だなあ。
それでも12月よりはずっと良いけど。それにしても年々衰えてきているのがわかる。母も自分で衰えを感じているようで、何をするにしても出来ない・大変さが出てきてがっかりしている。動きたい人にとっては動けないことが一番辛いことだろうな。わたしみたいにあわよくば動かなくていいものであれば、ゴロゴロしていたいなんて人とは違う母のこと、あの母にしてどうしてわたしみたいなのが生まれたんだ? って思うほどだ。
これまで母は自分の病気に対して、あれこれと工夫してきた。両手首にウォーマーになるものを作ってはめていたり、レッグウォーマーなんか流行になるずっと前にもう作って穿いていたし。
固いものに当たる部分がすぐに痛くなるから、ひじを置く場所には小さいクッションを作って置いておき、ひじをつきたいときにはすぐにそれをひじに敷く。クッションみたいなものはたくさん作った。自分用にアレンジして。そんなことをしてきたけど、今は針を持つのも大変そうだ。裁縫でリメイクするのが楽しみの一つだったけど、それも出来なくなっている。絵筆を持つのも難しい。

出来ないことが多すぎてストレスがたまるんだね。
でも、そんな中でも何か楽しみを見出すのが母らしいところ。
近頃は歩けなくなってきた足で玄関まで行き、風除室に古い米を箱に置いている。何をするのかと思ったら、冬場に食べ物がなくて困っている小鳥たちにえさをあげるのだとか。
玄関脇にざざざ~と蒔いている。
小鳥たちが米の匂いにつられて食べに来るところを想像するのが嬉しいらしい。わたしが玄関に立つとたくさんのスズメが飛び立って行く。
「母さん、またスズメがたくさん来ていたよ」と報告すると、嬉しそうな顔で
「そうかそうか、足が痛いから食べるところは見ていられないけど、そうだったか……」
と言う。まだまだ何年か前の米が残っているから十分ある。きっとしばらく楽しめるだろう。

ソラマメの豆苗と普通の豆苗を食べたあと、トレイにとって水をあげている。その茎がぐんぐん伸びて行くのを見るのも好きなようだ。母にとって生き物が動いていたり、成長していたりすることを見るのが一番の楽しみ。だから春になると庭に出たくなる。早く芽を出して、と声をかけている母の姿が目に浮かぶ。今年はそれも足の痛みでなかなかできないかもしれないが、それでも逆に楽しみたくて足の痛みも遠のくのかもしれないと少し期待している。
今は冬眠してると思って過ごそう、そう言い合いながら毎日過ごしているわたしたちだ。