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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

眠れなかったのは

2016年10月29日 | ほんのすこし
ここ二日ばかり、4時頃から目が覚めてしまい、ぐだぐだした時間を過ごしています。ぐだぐだという表現はよくないかもしれないけど。実際それから朝食までの時間を有意義に過ごしていると言っていい部分もあるから。
ただ、そんな時間から起きて一日を過ごすと夕方には一本の線がぷつんと切れたみたいになって、なあんにも出来なくなります。

少し生活のサイクルを見直してみなくては。

その前になんとかして片付けないと、すぐ雪が降ってくるよ。

はいはい。

二度返事はだめよ。

はいはい、あっ。はい!

心の中で自分で自分に言う。

たとえばこんなことを自分に言っていたとしてもわたしを見ている周りの人はわたしが何を考えているかなんて言わなければわからない。
言わなくても表情とか雰囲気でわかるときもあるけど、それは少ないのだ。
言葉を通して知ることが出来る。
だから言葉を駆使して自分を理解してもらおうとする。
相手が理解してくれないと、どうしてわからないの?! という苛立ちが生まれる。
自分の表現力の乏しさを棚に上げて。
あるいは、あなただったらこのくらいでわかってくれるはずでしょ? という思い込みがあって。
わかってもらえなかったときにがっかりする。
どれもこれも相手のことを考えず自分中心であるという証拠だ。

古い友人からの電話。
久しぶりの声で驚きの内容が告げられた。
ある意味、予測していた部分もあったが、それでも現実にそうなったということに驚いた。
電話の私の声は驚きよりもあっさりとしたものがあったのか相手はちょっとトーンが下がった。
そしてわたしがつれない?(連絡をよこさない)ことに触れた。それってあなたもそうなんじゃないの? あなたも連絡よこさなかったよ。
いつもそうだった。しあわせだと思っているときはわたしのことなど忘れていたのだろう。
これからは頼りにしているからね~、と言われた。
なんだかなあ。

きっと電話のことが気にかかって朝早く目が覚めたのだろう。
まだ十分先があるから、新しい出会いもあるよ、と電話先で笑う声が残る。そう言い切れる若さがわたしにはもう無いのだなとそのとき思った。



一番大事にしていたのに

2016年10月29日 | 家族のこと
冬囲いの最中、母が思い出したように言った。
「このコハゼ、一番大事にしていたのに、お前ったら」と叔母に。
なになに?
耳をダンボにしながら傍らのモミジの冬囲いをしていたわたし。
「○○○ちゃんに一番いいところ(枝)をポキンと折らせるんだから、まったく」とぼやいている。

あっ! そうだったのか。



最後の日。
プレゼントだよってよこしたあの枝はこれだったのかあ……
母が一番気に入っていたコハゼ。その一番いい枝ぶりの先をポキンと折って、プレゼントだって喜んでお母さんが診察から帰るのを待っていた孫。ご近所さんたちと楽しい時間を過ごしていた孫。まさかそのコハゼだとはちっとも思わず。
そして今は枯れて



葉っぱもカサカサと少しの空気の揺れ動きにも落ちている。

でも母には悪いけど、なんだか嬉しい。
孫がその小さな手で大事そうに持っていた枝と花。帰ってきたらすぐにヨーグルトの空き瓶に挿した。
その次の日、摘み取ってきた枝と花をお留守番にして、孫とわたしたちは東京へ向かったのだった。
摘み取ったことすら、孫の脳裏には残っていないかもしれない。それでも孫を知る他の人たちにはそのひとときが今も大事な思い出になっているのだと思う。

幼い子はその存在そのものが周りに温かいものを与えてくれる。その仕草が例え気まぐれのことであっても、何かしら意味を持たせたくなるのだ。

※※※


冬囲いは苦手な作業です

2016年10月29日 | 家族のこと
昨日は、母の庭の冬囲いを手伝いました。毎年やってくる作業の一つですが、どうも苦手です。自信がないからだと思います。
今回は叔母がいるうちに、ということでわたしが東京から戻ってくるのを待っていて、しかもだんだん日に日に気温が下がってきているので、早めにということで昨日に。今日からは雨マークが続いていたので、昨日で良かったのです。

叔母は亡くなった叔父がよく母の庭の冬囲いをしてくれていたのを思い出すのか、時折「父さんは雑にやったよね~」と言いますが、すかさず母が「そんなことない! いつもさっさと仕上げてくれたよ」と答えていました。ふたりともその瞬間、亡くなった叔父の姿を目に浮かべたのだろうなと思います。本当に手際良くさくさくと冬囲いをしてくれているのを一度だけ見たことがあります。母も安心しきって見ていました。まさかそんな叔父がもう亡くなってしまうなんて思っても見なかったことでしょう。

今回、叔母はわたしが東京に行く必要がありその前から母のところに滞在していました。叔母がいてくれる、という安心感から東京にいても母のことを気にせずにいることが出来ました。戻ってからいない間のことを尋ねると、二人で針仕事をしたりあれこれとやっていたようです。毎日昔のことやらニュースのことやら話題には事欠かないようで、丁々発止
会話を楽しんだようです。母にとっても誰かと一日中一緒にいることが出来るという安心感は何物にも代えられないものだったでしょう。
夜中まで話し込んだこととか、家の中をあちこち変えたこととか、母のもう入らない服を出してきて叔母とファッションショーをしたこととか、聞いているとその場面が目の前に浮かんできそうでした。

そんなふたりの蜜月を聞いたあとの冬囲い。
結構寒い日でしたが、幸い風がなく、しっかり防寒していたので、作業するにはちょうど良い日でした。
わたしが適当な紐を手にして前の庭のモミジを囲おうとした時
「あぁ! それでなくもっと綺麗な紐に」と母に言われました。
わたしが手にした紐は見るからにボロボロ。
「ここは人目につくからね。綺麗なのでやって」と注意され。さすが母、ここまで考えてやっていたのか。
冬囲いならどうでもいいってことないのですね。というか未だにどうやればいいのか母の監督下でないとちっとも学習能力なしのわたしは前に進まないのです。人間好きなことには意欲的だけど、苦手なものには二の足を踏むといういい例ですね。

叔母はさっさと仕事を進め、母と二人三脚で次々に。わたしは頼まれた裏庭のモミジに絡まって大きくなりすぎた小手毬を切ることに専念。どうにもこうにも大きく伸びすぎて隣近所に進出しすぎ! ちょこちょこ切っていたら叔母が
「もう、全部切ってしまったら!」と。最初はいやがっていた母もだんだんその気になってきて
「○○子、もういいから、下から全部枝を切ってしまって」と命令。
よ~し、そういうなら。
ゴリゴリ、のこぎりで切りましたよ。何本も。切っている途中から枝がゆさゆさするのを見て二人が
「そうだ!そこそこ、それを切ればいい」と監督。
さっぱりしたモミジの全貌に満足げな母。もっと前にやっておけばよかったとちょっぴり反省。

何事もきちんとしたい叔母は切り取った枝えだを同じ長さにさらに切りそろえ、先が尖っていないかを確かめ(回収に来た方が怪我しないように)束にまとめる作業を。わたしは一段落ついたので晩ご飯の準備に行こうとしたら、隣の方が出てきて
「あっという間に出来て手際がよいわぁ」と言いました。
「来年が怖いですよぉ」と言うと
「あら、そのときはまた手伝いに来てもらえばいいわよ」と答えました。すると叔母が
「来年はいないかもしれないですよ」と笑っていました。「えー、そんなこと言わないでよ!」とすかさずわたしが言うと、三人とも笑いました。来年の心配なんて今からしていたらだめですよね。

でも内心、来年も叔母が手伝いに来てくれないかなあと思ったわたしでした。