黄金色に近くなった田んぼは、祖父母が毎日見ている景色です。
お彼岸の入りの今日、祖父母のお墓参りに行って来ました。
一緒に住んでいた祖母は、生きていればこの9月で92歳です。
今日は、祖母の誕生日も兼ねて、祖母の好きだった紫色の「都忘れ」を墓前に供えました。
祖母は、私が2期目の時に亡くなりました。
祖母の死に目には立ち会うことは出来ました。
その際に、祖母が私の到着を理解したのは確かですが、私の手を握ったまま、声を発しましたが、言葉にはなりませんでした。
翌日の納棺まで、知らない人が見たら、おかしくなったのかと思うほど、一晩中祖母に会話をし続けましたが、答えてくれるはずもなく、何が言いたかったのかは永遠に聞くことは叶いません。
何年か前には、こんなこともありました。
寒い冬に私が車を運転していた時、お世話になった大先輩が歩いていらしたので、車を寄せて
「先生、ご自宅までお送りします。」
と、申し出たところ
「いいから、あんた新年会が忙しいんだから、早く行きなさい。また、遊びに来なさい。」
その後間もなくです。その先輩が亡くなられたのは。
最後の言葉まで、先輩らしく…
今でも、祖母の時同様に聞きたかったことが聞けず、言いたかったお礼などが言えず後悔が残っています。
このような思いは、多かれ少なかれ誰もがあるでしょう。
私自身、今の仕事は出会いが多い分、別れも多く経験します。
孝行したい時にいないのは、親だけではありません。
これからは、関わりのある全ての方に、今まで以上に感謝の言葉は照れずに口にしようと思いますし、お叱りも素直に受けようと思いますし、今日会うべきと思ったらちょっとくらい忙しくても、会いに行こうと思います。
お墓参りをしたせいか、秋だからか、歳のせいかちょっぴりセンチメンタルな思いになった小川でした。
お彼岸の入りの今日、祖父母のお墓参りに行って来ました。
一緒に住んでいた祖母は、生きていればこの9月で92歳です。
今日は、祖母の誕生日も兼ねて、祖母の好きだった紫色の「都忘れ」を墓前に供えました。
祖母は、私が2期目の時に亡くなりました。
祖母の死に目には立ち会うことは出来ました。
その際に、祖母が私の到着を理解したのは確かですが、私の手を握ったまま、声を発しましたが、言葉にはなりませんでした。
翌日の納棺まで、知らない人が見たら、おかしくなったのかと思うほど、一晩中祖母に会話をし続けましたが、答えてくれるはずもなく、何が言いたかったのかは永遠に聞くことは叶いません。
何年か前には、こんなこともありました。
寒い冬に私が車を運転していた時、お世話になった大先輩が歩いていらしたので、車を寄せて
「先生、ご自宅までお送りします。」
と、申し出たところ
「いいから、あんた新年会が忙しいんだから、早く行きなさい。また、遊びに来なさい。」
その後間もなくです。その先輩が亡くなられたのは。
最後の言葉まで、先輩らしく…
今でも、祖母の時同様に聞きたかったことが聞けず、言いたかったお礼などが言えず後悔が残っています。
このような思いは、多かれ少なかれ誰もがあるでしょう。
私自身、今の仕事は出会いが多い分、別れも多く経験します。
孝行したい時にいないのは、親だけではありません。
これからは、関わりのある全ての方に、今まで以上に感謝の言葉は照れずに口にしようと思いますし、お叱りも素直に受けようと思いますし、今日会うべきと思ったらちょっとくらい忙しくても、会いに行こうと思います。
お墓参りをしたせいか、秋だからか、歳のせいかちょっぴりセンチメンタルな思いになった小川でした。