katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

仁科タイルさんの下地

2022-07-02 02:40:06 | モザイク作家

今日は両親を引き連れコーナンへ。運動不足もあるだろうし、とは言え炎天下の中は危険だし、でも何処かに連れ出さないと・・・って事になると、仕事はしたい・・・でも・・・って事でこうなったのね。俺が彫っている間、買い物がてらの散歩。

まぁある意味、安全だし、涼しいし、仕事は出来るし・・・帰りにお昼も食べて来られるし・・・時よりこんなのもありかと。そんなこんなで、下地も彫り終わったし、ペーパー掛けも終わったから、後一息。

そうね、ここからが今日の本題の話になるんだけれど、かなりマニアックでコアな人じゃ無いと、難しい話になっちゃうのね・・・だからご勘弁なのね。さてどんな話を広げるか?って言うと、11年ぶりに達郎さんがアルバムを発表したのね。

そうなると、まぁどこもかしこも色んな所に登場して来て、制作秘話やら過去を振り返るインタビューなんて事になる。そのエピソードの中、シュガーベイブを解散して、ソロになって4枚のアルバムがパッとせず、もうこれが最後のアルバムかも

・・・と追い込まれた矢先に、大阪のディスコからその4枚目の中のボンバーって曲が人気になった・・・そこから売れ始まる。そして決定的なのは、そこからライドオンタイム・・・のシングルヒットとなって、世の中に認知される・・・。

まぁ普通に聞いたら、単なる歴史の1ページの話なんだけれど、こっちもそんなプロセスになるように・・・と色々考えた毎日な訳なのね。この仕組み非常に興味深いものがあるのね。そもそも洋楽ベースのお洒落感が売りの達郎さん。

売れなかった時代・・・仮に時代がフォーク全盛だとしたら?宮崎駿さんのように、時代がガンダムなような時に、カリオストロのような、貴方の心を盗んだ・・・なんて浪花節のような世界観は古いだろうし、実際売れるのは後々の事・・・

つまりフォークなんて日本の演歌と並ぶような和風の象徴みたいなものが流行りだとしたら?それじゃ売れない。でも売れるきっかけになったのが、アルバムの中の1曲のボンバー。しかも大阪のディスコから・・・。ここなのね。

東京で無く、大阪で、しかもアルバムの中の歌。そもそも達郎さんは、何しろマニアックな古い洋楽に詳しい人であり、それがベースなのだから、その当時の一般受けなものでは無いはず。つまりマニアックって言う一部に流行るもの・・・

同じ売れるにしても、東京でユーミンって事になると、洋楽にしてもアメリカを聞く人達の中で、ブリティシュなんて何歩も先を行くお洒落感を出す訳だし、何しろニューミュージックなんて表現されるのだから、新しかったって事になる。

そう考えると、ボンバーってのは、ファンクなんて言う分野であるから、黒人サウンドな訳で・・・明らかにユーミンとは反対側になる。しかもだからこそ、大阪で、しかもディスコな訳で・・・。

そもそもディスコって・・・まず踊れないとならない。つまりノリの良い曲であるべき。そうなると当時、ベースとしてチョッパーって言う奏法で、まぁ三味線のバチの使い方と同じで、叩いて引っ張るから、音がはねるのね。

そりゃカッコ良いのね。でもカッコいいと思った人は誰?つまりコテコテの大阪の人で、尚且つディスコに通う人。ここなのね。今でこそ黒人サウンドは一般に受け入れて貰えるが、当時は迫害されていた人達の歌な訳で・・・。

そうね、ウルフルズのガッツだぜ・・・が受け入れられるのは、ずっと後になるんだから、大阪のコテコテファンクって感じは・・・。ただ、単に大阪のコテコテって言う訳じゃ無いのね・・・ディスコなのね。お洒落な場所なのね。

ノリには厳しいでしょ?しかも・・・お笑いにしても。そのノリをベースにお洒落な人達に受けたって事になる。ここできっかけを掴む事になると、サザンが1曲目に勝手にシンドバッドでノリで掴んだものを、3曲目のいとしのエリーで認知を更に上げたように、

知られるきっかけを掴むと、元々こうして今もなお売れているのだから、悪い曲では無かった事になる。月並みだが、時代が追い付く事になるのね。元々が人の先を行っていただけなのだから・・・。更に仕組みに輪を掛けるのが、周りの

人達なのね。そもそも4枚もアルバムが売れなければ、会社としても見切りがチラホラ伺える。つまりお金も掛けられなくなるのだから、相当厳しい中での製作になるだろう・・・ただ諦めムードの中、ヒットらしき兆しが見えれば、当然、

そこに注ぎ込む待遇や宣伝も変わって来る・・・そこでいとしのエリーのように、ライドオンタイムのヒットが出る。つまりアルバムの中の曲で、大阪のディスコって言うのでは無く、シングルで全国区になったのね。

売れるべきして売れた話なのね。今、それと並行に、吉田拓郎さんは引退最後のアルバムを出そうとしているのね。これも興味深いのは、フォークの神様的存在。そもそもフォークとは反戦歌的に、主義主張のかたまりみたいな歌。

俺はこうだ・・・って、お洒落と言うより人間とは?人生とは?みたいな事を歌うのね。しかもそれを20代で・・・。普通の20代って言うのは、おー順子とか、悪女ぉぉになるなら・・・みたいに、恋愛の歌になるのね。

それを聴く側が共感するって寸法なんだが、人間なんてラララ・・・とか、私は今日まで生きて見ました・・・とか、襟裳岬とかなのね・・・20代で拓郎さんは。勿論、やさしい悪魔や、私の首領なんてのもあるんだけれど・・・。

何しろフォーク全盛のギター1本なんて感じのスタイルで・・・って言うのは、みんな平等で、同じだとすると、歌詞の響き方は大きく影響したと思われるのね。しかも、音符1つに一音みたいな時代に、拓郎さんの字余りの歌詞・・・。

もう何もかもが変わっていたと思うのね。それを支持して来た人達がいた・・・当然コアなファンはずっと応援して来ただろうが、ずっとあの時のままなんだろうな。何しろ20代に人生を歌ったんだから、70でも聴けるし、むしろ今もっと

響く歳になったはずなのね。ただ良い事と悪い事は背中合わせだったりする。つまり若い頃みんなが恋愛を歌い、ファンは結婚もし、子供が生まれ、孫までいる歳になっても、昔の人生って歌が染みるのと、懐かしいね・・・と振り返る歌では重みが違う。

その位、拓郎さんの若い頃の歌ってのは、威力があったんだろうね。所が、逆にキンキキッズや篠原ともえさんなんかとテレビに出るようになると、一般的に知られる事にはなるが、カリスマ性は薄れたりもする。神々しさがね・・・。

小田さんしかり、達郎さん、千春さん・・・若い頃は尖っていてテレビには出なかった・・・今は達郎さんだけかな?そんな事の理由を、武道館でやらない・・・なんて事で、表現していたが、人々の日々の暮らしの潤い的な価値観みたいな事

を語ると、大きい箱よりも身近なライブ会場って事になるらしく、今のシティポップとしての人気にあやかり、海外進出なんて暇があるなら、国内の果ての果てまで・・・ってスタイルもうなづける。ただ70なんだよね・・・って。

売れるって言うのは、こうした事が積み重なって生まれるもので、偶然なんかじゃ無いのね。毎日の日々の繰り返しの中で、腕を極める。これは必然の事であって、偶然とは?人の出会い・・・一体誰がアシストしてくれるか?なのね。

マイケルがオフザウォールのアルバムでクインシージョーンズと出会うように、一つ上のステージに連れて行ってくれる出会いが来るものなのね・・・その為の必然で偶然を待つ的になるし、勿論迎えに行くように、出向いて行くスタイルもあるだろうし・・・。

そんな事を踏まえると、俺は呉服問屋の娘じゃ無いし、良いとこのお坊ちゃまでも無い。確かにタイル屋のせがれで2世ではあるが、親父が有名では無いから、特に引き継ぐものも重みも無い。ちなみに泉銀さんは3代目だからね・・・。

由緒正しい感じがするでしょ?ほら何かちょっとスタイルが見え掛けている気がするのね・・・俺のボンバー的な作品になり得るものって・・・。例えばこの下地。そもそもタイル屋さんなら絶対アイテムのレンガゴテって道具なのね。

そして文字は組合さんの名称の略・・・この木を彫る下地なんて、ここを覗けば見慣れた下地のスタイル。けれど、彫っていると、凄いだの上手いだのって声を掛けられる・・・でも俺は本当はタイルな人なのね・・・。

つまり知る人ぞ知るなんて、売れてない地下アイドルみたいな感じ・・・このマニアックな存在なのに、凄いだ上手いだってモザイクなら、でしょ?でも良いが、下地なんてまだまだ序の口な訳で・・・。

しかも金魚でも魚でも無い、レンガゴテ・・・かなりマニアックなものなんだけど、判る人には判る。ボンバーな感じがするんだけれどなぁ・・・金魚屋さんに金魚、魚屋さんに魚とくりゃ、タイル屋さんにレンガゴテ・・・。

何も間違って無いと思うんだけどね・・・。

 


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