katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

サンシャインシティ用のアオミノウミウシのモザイク

2024-03-28 02:43:08 | モザイク作家
今日は丸1日、サンシャインシティ展望台でのワークショップの時に展示する作品作り。この作品は、水族館のイベントが毒の生き物・・・って言う話なんで、そこに寄せているんだけれど、

この作品はカツオノエボシって言うクラゲみたいな毒の生き物と、アオミノウミウシってそれを捕食するって言う生き物がセットで紹介される事が多く、それなら・・・って事で作っているのね。

1作品の中に2つの生き物って話なんだけれど、これが中々厄介なのは、どちらもかなり似ている色合いなのね。まぁ知らない人には、何だか判らない事になりそうだけれど、判る人には、結構

似ている・・・って思うだろうねって位、中々良い感じになっているのね・・・今の所ね。そんな中、結構な割合で大家さんが見に来るんだけれど、これ何?・・・って言うのね。ただ先日までの

カツオノエボシの時は、本物をたびたび見ているらしく、すぐに判ったんだけれど、逆に今日は、何これ?って言われたのは、ある意味良い事なのね。何故ならカツオノエボシを作っている事は、

すぐに判ったって事は、似ているって言う事で判ってくれたのね。しかし同じ作品に違和感なものがある・・・って気が付いてくれたって事だから、カツオノエボシでは無いものがある・・・って

気付いてくれた・・・色は同じなのに。つまりアオミノウミウシを知らなかっただけで、違和感には気付いた・・・つまりそれを判る人には判るって事になるのね。後は似ているって言わせられるか?

これが第一段階で、もっとと言うのなら、凄く・・・って言う言葉を貰えるようになのね。例えば似ているね・・・って言うのと、凄い似ているぅ・・・とでは、ランクが上になったように、

聞こえないかな?・・・そして本当に凄いのは、えっ・・・って、これだけ。本当に感激するって言うのは、あっ・・・とか、えっ・・・とか、おっ・・・とか、言葉にならないものなのね。

もっと言えば、これが作り手としての分岐点となるのが、似ているって側と何だか判らないんだけど、凄い・・・って方向になるんだけれど、例えば有名キャラクターの模写が似ているとか、

凄い似ているとかって表現。それを上回ると贋作として本物みたいって芸術みたいな方向と、これはトトロって言うもの・・・って宮崎駿さんがみんなに発表するって言うオリジナルの作品。

こう言う2極化になるのね。レシピ、図面、楽譜と言ったものを上手に真似るってスタイルと、オリジナルの違いなのね。ただ写真をそっくり真似るって言うと、オリジナル側の気持ちの作家

katsuの気持ちを損ねるし、真似るだけになると、上手い人はいくらでもいるから、そこを配置を変えたり合体する事で、オリジナルの生き物を使って違うもののように見せているのね。

まぁ簡単に言えば、ラップのような話ね。元歌を使ってループさせたりする事で、違う楽曲に構成する・・・まぁこれもいくらかのオリジナルには聞こえるだろうしね。ただ本家としては、真似

じゃん・・・それでもって思うかも知れないし、あぁ変化させてくれたんだな・・・とも思うかも知れないけれど、いずれにせよそんな違いがある。まぁとは言え、人のキャラじゃ無いから、

十分これもオリジナルなんだけれどね。まぁだけど、恐らくボタニカルアート的にそっくり真似るって分野の方に扱われそうだけれどね。まぁそれも絵画では無いから、そっちにも入らないかな?

ただそれもある意味予定通りだったりする。そもそも見た事が無い・・・これがオリジナルとしての第一歩。世界を探してもカツオノエボシやアオミノウミウシなんてモザイクがそうあるもんでは

無い訳で・・・。もしあるとして、それならそれで思い切り比較されると良いのね。世の中とは残酷なもんで、100均の商品だって比べるのだから、それよりも金額の張るものなら、比較対象が

ある時点で、思い切り比較されると良いのね。そして甲乙が必ずあるって事。作り手って言うのは、作っている最中は自分のものでも、人に見せた時点で、評価って言うのは人のもん。

しかも同点なんて無いのね。必ず甲乙を付けられる。最高に残酷なものなのね。どっちかが上、どっちかが下とね。しかもそれがプロと名乗るのなら、上手いだ凄いだなんてのは、当たり前で、

欲しい・・・って思わせるだけでも駄目で、買って貰わないと生活出来ないし、本当に凄いのなら、簡単に買えなくならないと・・・。それが先生と言う教える人なら、簡単にいつでも予約

出来るようでは、そこそこ先生なのね。簡単な話、大谷さんだって、小学生の頃なら一緒に野球も出来ただろうね。しかも同じクラス位の話でね。それが中学となれば、そこそこ上手く無いと、

一緒には出来なくなるし、高校なら甲子園に行くのだから、とても上手く無いと一緒にはいられない。それがプロなら、上手いくらいではいくらでもいるから、球団に指名されないと無理。

お金を出してでも・・・ってね。それだって入って終わりでは無くて、そこにも競争があって、引退するまでいられたら、優秀なサラリーマンって感じだし、もっと優秀だったり、野心があれば

日ハムからエンゼルス、そしてドジャース・・・って上書きをして行く。ヘッドハンティング的にね。いくら出しても・・・ってね。球団も、それを見るお客さんもね。ただ、そこまで行くと、

欲しい球団もお客さんも、誰でもって訳には行かなくなるのね。そりゃ引く手あまたってのは、当然安くは無い訳で。日ハム時代なら、千葉ロッテの幕張や所沢の西武でいくらでも見られたのにね。

そこまでたどり着くのは容易では無いし、目指した所で極わずか。ただ目指すのは勝手だし、非難するのも勝手だし、波風立てられないのではその程度。賛否両論なんて言うのは興味を持たれる

証拠で、良くも悪くもそうならないと・・・。いずれにせよ、そんな気持ちありきで作った作品が、サンシャインシティの展望台のお客さんにどれだけのアピールが出来るか?・・・

そりゃワクワクドキドキするでしょ?こんな仕事なのね・・・夢を目指すって言うのは。ただ普通の仕事って言うのは、タイル屋の頃みたいな話で、相場って言うものがあって、相見積もりって

誰かと比べられて、安いから・・・って雇われて、指示通り終われば、生活に困らない程度のお金が頂ける。これを予約しても何年も待って貰う・・・とか、買えないって人を目指さないと・・・

って、全く違う正反対になろうとしているのだから、そりゃ簡単では無い訳で・・・。だから芸術家への道なのね。そもそも芸術家って言われるようになったら、簡単に買えるようじゃ話には

ならないのね。凄い車、凄い家、凄い料理・・・凄いだけでも普通は買えないのに、誰もが知ってる大谷さんなら?・・・見る事だけでも大興奮って話でしょ?そうなりたいって話なのね。

そりゃ努力なんていくらやっても足りないのね。しかもたどり着いたとしても、そこはスタート地点。そこからやっと本当の始まりなのね。常にそう思い描いて毎日があっと言う間に終わるのね。

この仕事を初めて20数年。あっと言う間に60歳・・・毎日毎日は、来る日も来る日もって感じなんだけれど、慣れるとそれも大した事は無く、ぼぉーと過ごしても、同じ時間が過ぎるのね。

普通はタイル屋だったら、もう御老体になる。スポーツ選手と同じだから、そりゃきつかろう。ただモザイクは落語と一緒。いつまでも出来る。座って出来るし、暑くも寒くも無い。

まぁ毎日が坊さんの修行のようなのね・・・ただそろそろ謙虚って修行の身のみってのも飽きた。しかも普通なら退職の60歳。もうそろそろ、遠慮や謙虚が美徳だけじゃ無くても良い歳になった。

だけじゃ無く・・・ね。辞めたじゃ無くて、あくまで、だけじゃ無く。高く評価される所に行きたいだけ。より高く・・・もっともっとってね。評価の低い所で甘んじる気持ちは一切無い。

それならば、低く見えるような作品は嫌だし、きちんと評価して貰える場所や人と出会う為の努力をより一層強く持たないと・・・ってね。何しろ夏までには大きく変えたいんでね・・・。


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