katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

棟梁とリピーターさん教室とデイ・サービスの下地

2018-05-18 01:21:48 | モザイク教室
今日は朝一番にホームセンターに木を買いに行く・・・から始まり、お教室が始まる前に、昨晩の残りの下地を作って・・・・。それでこんな。


ってひとまず今月分の下地は7枚作って・・・・後は来月分の提案のサンプル・・・そんなこんなでお教室。まぁ、今日は棟梁が張り終わったんで、後は次回目地をして終了・・・って事で、お疲れ様でした・・・なのね。ただここに来るまで、色々とあったけれど、まっ終わり良ければ全て良しって事で。

何しろ中々の仕上がりで・・・棟梁は随分と上手くなったのね・・・そんな中、リピーターさんも、中々辛抱強くやってて、悩みながらも進めていれば、その分だけは進むから、何しろいつか終わるから、慌てない事なのね。



そんな中、地震があったと思いきや、秀樹が亡くなったって・・・。それが明日はキウイとお母さんとよしじいを作ったリピーターさん教室。そのよしじいの方・・・秀樹ファンなのね。お悔やみ申し上げます・・・って事になるね。それが昔、秀樹の冠番組がBSであって、ネクストハウスって言うのに、

出た事があって・・・直接は会っていないんけれど、今となっては良い思い出なのね・・・ただ何かそんな事なら、せめて完成した玄関は見て欲しかったなぁ・・・って思ったりもする。そうかと思えば、子供の頃に両親なんかがテレビで訃報なんて聞くと、あの人亡くなったんだ・・・って話をしていて、

あまりピント来なかったが、いつしかそう言う事が判る歳になり、こう言う事だったんだな・・・って感じたりする。芸能人って一方的に見るだけの人なのに、あぁ亡くなったんだなぁ・・・って思うのだから、いつか身の回りの人とお別れするダメージってきついだろうな・・・。そんな気持ちになる。

他にも先に逝くのか?後に逝くのか?判らないけれど、こんなザマでは当分迎えに来られても、キッパリ断る。そんな気持ちでもある。何しろ、夫婦だの家族だの普通に誰でも権利がありそうな生き方も残せず、生きた証の1つも残せず、これでは生きている価値を見出せない・・・。

だからせめて後悔を少なくする為の時間に費やしているのだから、日々の時間はやり尽す・・・そんな気持ちにもなる。感受性って言うのは、物事をどう感じたか?そしてそれに寄って何を考えるか?だったりして、他人事と思って明日には忘れられるようなら、自分の事はいつ忘れられるんだろうか?

人のフリ見て・・・なんて言葉もあるが、それを他人事に出来る人は一体いつ我がフリを直すんだろうか?そして誰にも影響されずに、我がフリを作り出せるのなら、生き様自体がクリエーターだわっ・・・なんて思ったりもするし、こんな事を他人事にしない感受性を持つ人は、一体いつまで思い続けると

、適正であって、何処までがやり過ぎで、何処までが足らなかったりするんだろうか?・・・そんな事も感じたりする。それが昔、弟弟子を亡くした時に、自分の中で決めた事があって、もう出来る事が無いんで、機会があったら、その人の思い出話をしよう・・・名前を言おうと思ったのね。

それには感じる付き合い方をしないと、記憶からどんどん消えて行ってしまうのね・・・それは自分の記憶からも相手の記憶からも・・・きっと。それは寂しい気もするし、それをいつまで引きずっているのか?・・ってようにも見えるし、いずれにせよ、大事であったなら忘れないだろうし・・・

恋愛の歌では無いが、人と付き合って相手の心に傷後1つも残せない・・・そんな生き方は最悪だし、簡単に忘れられるような生き方では、記憶に残るようなものを作れるとは思えないし・・・・いずれにせよ、死ぬまでこんな事を言い続ける面倒な人なんだろうな・・・と思う。

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