katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

オ-ドリ-教室と穂竜の下地

2012-07-08 01:40:46 | モザイク教室
さてさて、まずはびれっじさんでの大人用の下地作り。穂竜って金魚がやってみたい
・・・・そんな話があって・・・それって注文じゃん・・・と思いつつ、

とは言うものの、それが作品を買って頂いた方となるとね・・・そりゃお礼って意味でも
・・・・となるじゃない?そんな訳で、雨が降って来る前に・・・・と下地作成。

昨日大体下絵は完成しつつあったが、何故しつつか?って言うのは、実際今度は木を切る
ってなると、切ったり、彫ったりに不都合があったりするのね。

こんなの切れたとしても、彫れ無いじゃん。物理的に無理ってね。
けれど描いている時から、そう言う事を考えて下絵に規制を掛けると、こじんまりする。

そんな事からも、描く時は割りと自由に描いて、実際下地作成の時に、これは無理って
変更する。それが随分と見切り良く出来るようになったのね・・・俺。



と言う訳で完成。世界が広いって言ったって、穂竜のモザイク・・・何処行ったって、
無いね・・・きっと。金魚って大きくくくっても、そんなに沢山なんて無いだろうって

思うのに、もはや知る人ぞ知る・・・観た事ある?実物って、そんな希少な個体。
金魚屋さんにだって、いつもあります・・・って個体じゃない。

頭にハ-トっぽいゼリ-みたいな柔らかい座布団みたいなのが、乗っていて、眼が若干
出目金ほどじゃないけれど、出てて、体がなんぶ風鈴みたいなボコボコってなってて、

初めて観る人の感想なら、うぇキモイ、病気なの?って言う否定的なものか、逆に
何かとても変ってて可愛いぃぃ・・・のいずれかの両極端になると思うのね。

こう言う1つのものの感想が両極端になるものが、本当の意味での個性的であるのね。
これが何か素敵ぃぃ・・・・が年齢、性別関係無く、満遍無く点数の良いのが、

万人受けとなる。ん・・・そうねぇ、きっと流金って丸っこいのがそれになるかな?
赤いべべ着た可愛い金魚ぉぉぉ・・・で始まる童謡なんかの挿絵なんかは、

そうだった気がするんだけれど。まっいずれにせよ、金魚屋さんでの体験教室には
かなりマニアックで、らしいと言えばらしいとは思うのね。

そんなこんなでオ-ドリ-教室。まずいきなり大事な話があって、この夏数ヶ月の間に
取得したいものがあるらしく、しばらくお教室をお休みする事になったのね。

まぁこれに関しては、ずっとこの数年土曜日はお教室・・・って生き方をしていたのは
オ-ドリ-だけでは無くて、俺も先生として向き合っていた訳で・・・。

ずっと走って来たのだから、ちょっとお休みしても弟子の権利取得って所まで来たから
上手くなった・・・しかも休んでも戻って来られる・・・・その位は出来るだろうと

判断し、休めば・・・と送り出す事になった。とても良い機会である。
同じ弟子として、大阪のかぐやのように遠方でそうそう来られない奴、そして

仕事の休みがそうそう取れずに育児の真っ最中のさくら・・・のように、やっぱり
来たくても来られない・・・そう言う事が一切無かったオ-ドリ-には、

そう言う人の気持ちを体験するには非常に良いと思うのね。上に行くって言うのは、
行くって言い方もあるが、行かせて頂くって言い方もある。

神輿の上にかつがれる・・・かついで頂く、上に乗る、乗っかる、・・・と表現は
色々とあるが、自分の置かれている立場などを考えれば、どれがふさわしい表現か?と

なって行く・・・それが心技体で言う所の心。別にそんなの良かろう・・・って
言うのでは、腕だけの人になる。気崩しはあくまで知った上で、ボケ無いとね。

そんな事も踏まえた上で、休みたい・・・って言うのも、ただ取得の為では無く、
習慣付いた事を何ヶ月も休んでの取得するのだから・・・合格しなくちゃ・・・・と

モチベ-ションを上げてやらないとね。それが何かやらされるんですよね・・・とか、
何かね・・・と本人のやる気が何と無く始めると、続かなくなる。

しかも習慣付いた事が本当に大事な時間だったなら、当然相当なダメ-ジも喰らう。
何気なく浸透していたのなら、意識無くやっていたのだから、当分やれない・・・と

気が付いた時には、何でこんな事しなくちゃならないのだろう・・・と思ったりすれば
やりたい事が何だったか?それが出来なくなると、どんな事になるのか?それを判るのは

そうなってから・・・って言うのなら、一体俺が何を教えて来たのか?はぁ?って
言いたくもなるが、一歩先を読めば、自分自身の事・・・どうなるのだろうか?

振り返り方も教えて来たはず。タバコの代わりとなった金魚・・・モンゴルでの俺。
自分の生き方、習慣となった時間を失うって言うのは、たった1週間とは言え過酷。

それが数ヶ月。所が俺の場合は期日があって帰国出来た。だから元に戻れる。
しかしながら、それは何も無かったから戻るのに難しい事が無いからであって、

ダイエットをしてて、数が月の間辞めなきゃならなくなった・・・って生活が始まり
俺の場合は強制的に入院したみたいだから完治した・・・って退院って感じだが、

奴の場合は、別にモンゴルでは無くて、日々の生活からモザイクが無くなるってだけ。
他はすべていつものままね。入院では無く通院って感じだね。規制は無い。

娯楽がごまんとある・・・時間はあって・・・

そんな数ヵ月後、どうやってダイエットに戻る?きっと食べちゃっているよね・・・・
色々とね。ずっと勉強している訳じゃないしね。勿論勉強しながらも食べられるしね。

つまり苦しい事からの開放って事になれば、中々帰っては来れないし、楽しい事と
考えれば、土曜日になれば、モザイクやりたいなぁ・・・って事になる。

その時に同じ弟子の2人の気持ちになれれば、あぁ来られるって・・・と思う事だろう。
2人の分も・・・と背負える事になる。それを意識出来てプレッシャ-をもバネに出来る。

そんな事が出来るようになれば、人として成長も見られるはず。心の成長強制月間と
銘打って行って来い・・・と送り出す事にした。

と言う事は、当然俺もその時間が無くなったと言う事になる。土曜がポッカリね。
さてさてどう言う土曜の過ごし方があるのか?となると、これがいつも通りなのね。

朝、佐々木養魚場へ行って金魚を観て、アトリエで仕事をしつつ、FM江戸川を聴き、
かおるさんにリクエストを出せば良いだけ。以前のkatsuに・・・元に戻るだけ。

ただあったものが無くなる・・・って言うのは、寂しいって感情が生まれる。
けれど生きていれば、期限があるのだからまた元には戻るだろう・・・がしかし、

それではいけないのがトップに立つ者。元にではいけない・・・方や休む、方や続ける
当然、差を付けるべき。大きく。違いをはっきり。

先生であったり、師匠であったり、上に立つ者として本当の違いが判るのは、
そんな時に良くある事で・・・・退院した時に本当の意味が判るのね・・・大抵。

まっ、ワンピ-スでもあったよね?義理の兄を亡くした主人公が仲間とその後に会う時、
みんなが久しぶりに出会う時に、みんな己を鍛えて別人のように腕利きになっている。

しばらく振りにあってそのまま・・・そんな訳には行かないのね・・・俺も。
きちんと遥かかなたに見えるように・・・そうならないとね。上に立ちたいのだから。

しっかし、とは言うものの、地道に辛抱ってのは疲れるのね・・・面倒臭いなぁ・・・
ってのも本音。そんなに立派じゃないからね・・・所詮その程度。

けれど、四苦八苦して泥臭く生き様や制作している様子、指導とこうして本音で
道のりを書き続ければ、きっと自分もここを観ている人も振り返って貰った時に、

成長が見られるのなら、俺はまた、また、と着実に上へ向かっている事になる。
タイル屋のままのようなままでは終われないのね・・・ありゃお金と引き換えの商売。

誰も泣きゃしないしね。今の俺の生き方は観ている人達が一喜一憂して頂けるような
そんな事になっている。今はとても少ない人数だけれどね・・・。

こう言う生き方は商売では無いから、表現の仕方が判らないから、芸事で飯を喰うから
芸人と言っているが、いずれにせよ、立ち止まっても良いが進まないとね・・・・

後退ばかりじゃ観ている人達がつまらなくなっちゃうものね・・・折れ無い心。
やっぱり強靭よりもしなって折れない方が俺らしい・・・・

おっと随分と長くなっちゃったけれど、指導内容としてはかなりシンプルなんだけれど、
枠をコロを使いたいって言うのね・・・・そこでそうなるとどんな感じ?と質問すると、

スポ-ツバ-に掛かっている感じ・・・と言うのね。ほぉぉぉ、そりゃカジュアルだね。
そもそも紋章って言うのはフォ-マルなものだよね・・・

大事なのは本物はフォ-マルなのに、カジュアルになって行く・・・しかもそれでは
レプリカって感じにはならないかな?つまり大事なのは格式とか重み・・・

ここで大事なのは、質問に対してスポ-ツバ-に掛かっている感じ・・・とイメ-ジが
出来ている事。実に判り易い。そしたらその後も掘り下げるのね・・・・

誰が観ているのか?誰の表現なのか?つまり今の表現はあくまでオ-ドリ-なのね・・・
表現しているのは・・・。これを小話風にすると、とある街の老人が経営する古い

スポ-ツバ-でね、骨董品屋の親父が見つけて・・・こんなものが・・・どうして・・・
これは凄いぃぃ・・・・って言ったとする。ほら何と無くオ-ドリ-が表現したのとは

格式が上がったでしょ?これこれ。こうなると、レプリカじゃなくなるのね。
そうなると、コロを使った事で格式あった紋章が一旦可愛く、安く、カジュアルに、

・・・とこんな表現に変って行くから、偽物・・・つまりレプリカって表現になった。
そんな感じなんだろう。しかし何と無く選んだコロにそんな意味は無いのがオ-ドリ-。

そこをそれにするとどう見えるのだろうか?人は・・・と客観的に見る事も必要だが、
あくまで私の目線1本。ここを少なくとももう1人の自分を持てるようになると、

一旦立ち止まる事が出来る。つまりこんな事が先を読む・・・に繋がって行く。

良くファンタジ-で見る、白い自分と、黒い自分みたいな・・・あんな感じ。
しかしながら、こんな話をちょいとすると、じゃあこんな感じ・・・これかな?って

ほんのわずかな話を膨らませる事は出来るようになった。確実にオ-ドリ-に足りないのは
格式。これからオ-ドリ-は作品としてファンタジ-なんて事になって行くはず。

ファンタジ-は何を作ってもデフォルメしたキャラが立たないと、可愛さが増さない。
こんな事は恐らく基本。そうやって脇役なども上手くデフォルメしたとする。

それが上手く行った上に、とっちらかったような色合いを乗せるから、派手になる。
場合に寄ってはとんちんかんにも思えるくらい・・・にね。

ここまでは完全におふざけにも思えるような漫画の世界になりがち・・・これが、
カジュアルと表現していた部分。そこにきちんとした・・・格式、重み、規則正しい、

そう言ったフォ-マルな事・・・これがきちんと入れられれば、全く違うものになる。
単なるおふざけには見えなくなる・・・ファンタジ-でも凄い・・・の表現は十分出来る

可愛いだけしか無い訳では無い・・・前回の古時計なんて言うのは、これからのバックに
十分使える練習になったと思う。あれは格式があった。

こんな事が振り返って、常に今の作品に乗せられれば、考えるって言うのは、
こう言う振り返りの事でもある・・・そんな事も理解出来るだろう。

ただ遊びの作品でここまでの指導ってのは、どんなもんかな?とも思うが、しばらく
指導出来ない事も考えると、ついつい老婆心をやったようである・・・・

いずれにせよ、新作は秋になるだろう。





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