katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

監督教室開始・・・・ゲルニカ

2012-06-18 06:57:07 | モザイク教室
いよいよ今年も監督の教室が始まった・・・。すでに指導としては打ち合わせの日、
そして電話でと、始まってはいたが具体的に何かをしないと、指導をしている事には

今の俺ではそうならない・・・。そもそもモザイクの話をしたら、そこからすでに教室は
始まってはいるのだけれど・・・・。

さて具体化する前に用意して貰ったゲルニカのコピ-。何しろオリジナル教室を掲げる
俺がこのピカソのコピ-をしに行く・・・これは完全に無理。

やる行為は大した話では無いが、コピ-教室的模写って・・・何か変なのね。

さてそれで検証をしよう。何が出来て何が出来ないか?・・・・まずね。
この大きさが80cm。監督はお母さんとこれをモザイクで・・・と選んだのね。

では日数は?となる。そこでアトリエには10日間来られる事となる。
後は自宅で・・・。ではこのままやったとしたら、1日8cmx8cmが終われば良い事に

なる・・・・。計算ではね。良くタイル屋の時の笑い話で、1人1日10㎡張れるとして、
10000㎡あっても1000人いれば一日で終わるじゃん・・・・って馬鹿な話がある。

1日にそんな人数は集まらないし、集まったとしても烏合の衆。結局足軽。
きちんと統率する人がいないと適当になり、しかも仕上がりもバラバラ、観なくても

はっきりグレ-ドの質の悪さが判る。つまり計算はある程度目算として目安。
まず何をどうしてどうなる・・・ここの見極めが必要になる。

モノ作りは計算通りには行かない事だらけなのである・・・ここだけは憶えて欲しい。
それが証拠にガウディさんは未だに終わらない建物がある。でしょ?

さっきの計算なら、世界の腕利き集めれば3日もありゃ終わるでしょ?になるでしょ?
そんな事にならないのだから、計算だけでは終わらない・・・。

そもそもこだわればいくらでも同じスペ-スの中で時間は掛けられるものなのである。
これをしっかり叩き込まないと、時間内でやるって言うのは完成までたどり着けない。

しかも誰かが却下を出さなければならなくなる・・・・それが俺。
以前テレチャンの時に俺の構想は日高氏とす-さんが却下したように・・・・。

時に残酷くらいが丁度良い・・・。そんな事を踏まえて、本当にこれがそのまま、
10日間のアトリエで終わるのか・・・?そこ。

さっきのガウディの意味が判る・・・と言う人がいるのなら、恐らく大きい建物だから
・・・有名な立派な建物だから・・・とか、判らないながらも各々の答えはある。

ではこの80cmのゲルニカは?何度も言うけれど、一番大事なのは一番小さなパ-ツが
果たして切れるかどうか?に掛かって来る・・・そうなると一体例えば牛はどの位に

なるのか?・・・と考える事にする。目は?・・・・そして出来ると判断する拡大すると
・・・・顔だけで30cmくらいにはなった・・・と言う事は、ゲルニカをモザイクを

しようとすると、まっ2.3m位は必要になるんじゃないかな?まっ見解としてはね。
そこも説明したけれど、きっと理解はして無いだろうな・・・とは思ったので、

現実に拡大して説明しよう・・・と思っていたのね・・・本人も流石に参ってた・・・
そりゃそうだわ。何年掛かるか?って話しになるし、置く場所どうする?って話だ。

現実としてこうなる・・・ここから出発する。じゃどうする?ここで分割民営化。
バラバラにする。牛、馬、ピカドン、手、足、ランプ・・・とね。、

それに順位を付ける・・・まっAKBの総選挙みたいに1人で順位を付ける・・・
どれがゲルニカから外せないか?どれを観た人がゲルニカって判ってくれるか?とね。

何しろ期日は決まっている。しかしゲルニカは作りたい。けれど全部は作れない。
ならばゲルニカ風味となる。いかに数少なくインパクトのみでゲルニカに見せるか?

そしてアイテムの減った分、いかに自分を盛り込めるか?それが課題になる。
つまりピカソが戦争の悲惨を描いたのなら、戦争の悲惨さは教えられなくても、

その当時とは時代も変わっている訳で。ならば忘れない・・・くらいでも良いはず。
しかも描くのが中学生。ならば死体を作らなくても・・・とも思うので、

死体だらけのモチ-フは禁止。そんなル-ルで選択して貰うと、牛、馬、ピカドン・・
・・とアイテムが出て来て、それらをパッチワ-クのようにデザインして・・・となる。

並び替えるだけ。するとこうなる。


これでゲルニカ風味となった。判る人には判るだろう。しかもデザインとして牛を
逆向きにしたりもしている。バランスの為にね。

ではここにあるのは?となると、ピカソが描いたゲルニカを監督が並び替えた作品に
なるよね・・・?それでは宿題として提出するには力が無い。ただの時間短縮にも

思われがち。ただ減らしただけでは、そう取られても仕方ない。

要はただの短縮にしなければ良い。じゃどうするか?ここ。問題はすべてがあって、
ピカソが観た戦争の悲惨さに繋がっているのなら、一部では戦争の悲惨さが半減する。

ただ悲惨なものを観た人が・・・辞めよう戦争なんて・・・と思う影響を与えられたら
それが幸せ感に繋がって行く・・・そんな絵・・・な気がする・・・。

それでは逆にここには実際幸せ感は各々の感性となり、描かれていない事になる。
ここから活路を見出そう・・・となる。つまりバックに監督が考える幸せ感を入れる。

戦争の悲惨さはピカソに任せて模写とし、ピカソが描かなかった、それでもそこには
いずれ花も咲き、元に戻ろうとする・・・自然とはそう言うもの・・・

そんな監督の考える幸せ感の部分がオリジナルとなる。それが何かは今は判らないが、
模写部分作成までの間に何らかの答えを出さないとならない・・・。

そこは自分で考えろっ。である。監督の幸せ感は監督にしか判らないからね。
しかしながら、それがまた出来るかどうか?はすべて模写部分の時間から判断となる。

却下になるもならないも監督次第。次なる展開までの宿題・・・・


1cmタイルの9分の1と4分の1を嫌って言う位、切って来い。のみ。
終わってなんぼ。また厳しい夏の始まり、始まり・・・・



ちなみにこの大きさは最初に持って来た80cmなのは言うまでも無い・・・



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