今日は午後から杏さん教室なんだけれど、いつもは日曜日の午前中なんだけれど、変更があって土曜の午後から・・・って事は、かぐやから聞いていたんで、
それまで実家でカットTB京葉店のピエロ。

ってやっていると、公式ラインから連絡が来て、今日変更で1時から・・・って大丈夫ですか?と杏さんから・・・えっ?2時からじゃ・・・って事で、急きょ
支度してアトリエに戻ったのね。まぁ近所なんで、ただお昼の都合くらいの話。そんなこんなのお教室なんだけれど、そうね、仮に第三者が見学にいたと
すると、これが教室?って思うだろうけれど、判る人だけには判るのは、例えば杏さんにしても、とんかつさんでも、健さんにしても、今の生徒さんの作品は、
オリジナルでは無く模写的な作品なのね。つまりそっくりに作るスタイルね。それは例えば歌舞伎であり、古典落語であり、レシピ、図面、楽譜ありきの
方向にあり、これがオリジナルとなると、スーパー歌舞伎や、新作落語、創作料理、シンガソングライターって方向の違いがあるのね。その違いをまた悪意を
持って判りやすく説明すると、目指すは楽譜が読めなかったり、音楽学校を出ていなかったり、でも歌わせるとべらぼうに上手い。こんな感じなのね。
つまり職人的発想ね。何度も繰り返す反復練習で会得する。ただいつかその腕でオリジナルが作りたい・・・となった時、会得した技術が素晴らしければ、
素晴らしい程、構想力0点では、またその力を付けるまでに時間が掛かる事になるから、今ある程度切れるようになっている間に、想像力、洞察力、観察力
って言う、目に見えない力を0点では無く、3点にするとか、5点にする練習を会話の中でする・・・その時に何の話でも、何のテーマでも良いのね。
例えば今日は一発屋みたいな話になり、そんな言葉から想像する人物などの名前をあげて貰ったのね。音楽でも良いし、漫才でも、小説家でも漫画家でも、
・・・ただどの分野でも、みんな一旗上げようとして、上がらない人達の方が多い中、当てたのに逆に馬鹿にされる扱いになるのね。不思議な話なのね。
ただでは何で一発屋になっちゃったんだろうか?・・・と考えた時に、それを超えられなかったから・・・つまり自分超えが出来ないくらいのものだったから
・・・って事になる。しかも世に出た1つ目に大ヒットだからであって、4作目とか、10作目では無いのね。つまりデビューで売れて、それ以降は・・・と、
なる仕組みだとすると・・・考え方の逆算をすれば、1作目に大ヒットを作らせない・・・って考え方もあるって事になる。と言う考え方の仮説を立証して
行けば、それが事実となる・・・そして大事なのは、全て自分に置き換えるのね。その事例達を。しかもその事例の全ての人達は、一度は売れた人達だから
成功者の人達なのね。ここが大事な所で、例えば子供の頃に本を読みなさい・・・って言われて、本を読むのが好きな人と、そんなのぉーって嫌いな人に
判れたとする。子供の頃なら、本を読んだ側の方が大人から見た時には、正しい感じがして、読まない子を、ウチのは全くよぉーなんて表現されたりした。
じゃ読んだ子側に進むと、読んでどうなった?・・・きっとずっと継続し続けると、習慣のようにその時代時代の作家を読み、色んな知識が入るんだろうね。
当然、漢字だらけだから、読めない言葉があったり、比喩があったり、四字熟語だったり、文字だけなのに、情景描写を感受性で補い、まるでそこにいる
ような気持ちになり、喜怒哀楽なんて事に繋がって行ったりするんだろうね。そうね、読み終わるとまるで映画でも見たような気分に・・・。こんなパターン
があったとすると、読んだ側にいるのに、読んでない人がどんなだった?って聞くと、面白かった・・・怖かった・・・キモかった・・・詰まんなかった・・
大人になっても、こんな表現だったとすると、読んだだけとなり、感想を話す事はほぼ無い事になる。しかも読むのに例えば5時間掛かったとして、感想は、
面白かった・・・だけでは、その表現を続ける人では、海外旅行へ行っても、楽しかった、高級料理を食べても、美味しかった・・・もはや伝える気は一切
無いんだね・・・って事になるのね。つまりそれを辞める練習なのね。どんなだった?・・・それを大抵の人は、この質問に、頑張って話そうとするんだけれど、小説やドラマの感想では無く、あらすじを語ろうとするのね。
それは見れば判るのね。それは食べれば判るし、聞けば判る。触れば判るし、つまり五感の質問なのね。どう感じたか?の質問なのね。その時に、この質問を
された事の無い人の大半は、先生の質問に応えようとする・・・生徒としてって向き合おうとするから、対先生って感じになると、正解を探そうとするのね。
先生は正解を知っていて、それは何だろうか?みたいに・・・所がそんな事は一切無く、その人が感じた事を聞き出しているだけの質問だから、実は俺は先生
では無くて、その人自身の役目なのね。つまりその人は、その人自身と向き合う事になるのね。つまり自分が何をどう感じていたか?・・・と。
その時に一番やっては行けない事、言っては行けない無意味な言葉が、人それぞれだから・・・じゃ個性は捨てて、真似をし続けなさい。何も考えずに、ただ
ひたすら、楽譜、レシピ、図面を精密にこなしなさい・・・のみ。特に言う事は無くなるのね。ただ曲がっている、ただズレている、マイナスを無くす。
これのみ。でもそれがオリジナルと言うのなら、自分の考えを語る事であり、人それぞれなら、正解も不正解も無いのだから、何でも良くなるのね。
その癖、そんな曖昧な言葉で平和的解決を望んでも、人の曲に前の歌が良かった、これが一番美味しい、あの映画詰まんない・・・って必ず甲乙を付ける。
人の評価とは残酷なのに、その残酷さを表現すると嫌われるとでも意識し、個性を殺す・・・閉じ込めるって癖を身に着けているのね。大抵の人は・・・
しかも、みんな作家とか、ミュージャンとか、漫才師、漫画家・・・じゃ無くて、普通の人だから、評価を受けづらいと思い込んでいるから・・・。
違うのねぇー、みんなも身の回りの人に評価を受けているんだけれど、なるべく気にしないように、なるべく忘れるようにしている能力を身に着けている。
って感じなのね。そもそも個性的って言うのは、良くも悪くも人とは違うから、和を乱す可能性が高いのね。だって人のやれない事に挑戦し続けるのだから。
なのに、そっち側・・・つまりオリジナルを作りたいって言うのは、考え方として自分と向き合う癖を付けないと、ただ目先のテクニックで上っ面を飾っても
駄目なのね・・・だってすぐメッキは剥がれるから。だって同じ先生が教えているんだから、その人だけにテクニックを教えると思う?つまり同じ時間で会得
した人と、しなかった人って差なら、差は時間である程度埋まるのね。でも考え方は、モザイクに限らず、感じ方なのだから人それぞれだったとしても、
自分はどう思う?の質問に曖昧に答える癖を辞めないと、単なるテクニックの人になるだけなのね。つまり根本的な事を改善しないと・・・。ただ自分と向き合うって言うのは難しいものなのね。
何故なら、そもそも自分が普通と思い込んでいる人が多いから。じゃ仮に普通だったとする。じゃ3人になった時は、2番に常にいないと、3番なら見劣りし
1番なら嫌われる。だって普通は2番なのだから。では100人なら?1000人なら?・・・って事を、考える事無く過ごすと、何も起こらなければ良いが、もし
自分の身がそんな場所に置かれる事になった場合、そこで初めて考える事になる。そもそもそうした事をしないと、常にラッキーと何でこんな事になっちゃったんだろう?の繰り返しで人生は終わるのね。
だってラッキーって思う時って、何もしていないのに結果が思っていた以上だった・・・って事で、何でこんな事になっちゃったんだろう?って思う時って、
何もしていないのに・・・って、なのに何でこんなに悪い事が起こるの?って思うのね。ほらどちらも何もしていないのに・・・って。あらまっなのね。
全ての結果は、全部自分のした事の結果なのね。だから何もしなかった・・・と思い込んでいるから、結果が良いとラッキー、結果が思わしくないと、アンラッキーって思うだけで、何もしていないなら、別に喜怒哀楽いらないじゃん。
何もしていないんだから。それを言うのなら、こんなにしたのに、こんなに・・・って言うのなら、こんなにした時に、結果が良かったらラッキーでは
無くて当たり前であり、こんなにしたのに結果が悪いのなら、努力がみんなよりも足りなかったか?さもなくば、身の丈以上だったか・・・となるだけ。
別に大した話じゃ無いのね。逆に本当に何もしていない・・・と思っているのに、結果が良かった場合、本人の自覚が無いだけで、もしかすると他人から
見た時、やっていたかも知れないのね。でも結果が悪かったら、本当にやっていない結果だったかも知れない・・・こうして考えれば、自分と冷静に向き合う事が出来るのに、結果の時だけ向き合う・・・それはどうかな?
って言う事を踏まえて、このやり取りにほぼ慣れた人が多いから、会話が成り立って来るのね。しかも自分の感じたまま・・・ただ正解は無いけれど、不正解があるのね・・・そこにも。
この不正解を調子が崩れると、人には気ってものがあるのね。機械じゃ無いから。この気が前回と一緒なら、俺と向き合える。ただこの俺は、実は俺では
無くて、前回までのその人自身の考え方なのね。だからそう言ってたよね・・・なのね。つまり適当に答えると、それを来月繰り返される事になる。
しかしながら、人には気紛れって気がある。曖昧な日も・・・だから、常にファイナルアンサー?って話なのね。でもそんなにコロコロ変わるようでは、何を
どう教えれば良いの?しかもこの切る腕をを身に付けて、その腕でコロコロ気が変わるオリジナルって・・・つまり今、切る事に左程困らなくなったら、
この気・・・自分自身を語れる癖を付け、自分自身と向き合えるようにして、決めたらなるべくブレずに通せるようにする事で、ロングランの大作と向き合う
事に繋がるのだけれど、この先にオリジナルをやって見たい・・・となる可能性を考えれば、その時に0から考える練習では手遅れなんで、今の段階で考える
って事を練習する・・・これが意図。まぁみんな中々話せるようになっているから、いつか個人レッスンでは無くて、相席が面白い気はするが・・・。
そんなこんな後は、実家に戻って

続き。しかしこうして生徒さんと向き合う時間は、ユーミンが沢山の恋愛をし続けて作った歌では無くて、人の体験を元に・・・と言うのであれば、俺も
そうした人との体験を実体験のように落とすのだから、経験値は増える。それを仕事に活かして瀬戸内寂聴さんになりたいのなら、それでも良いが、俺は
それを作家として作品に落とし込む事が仕事なのね・・・ただピエロに見えるだけで良いのなら、単なる好みか?好みじゃ無いか?だけなのね。それは工業
製品であって、ハンを押したように心無くて良いのね。ただ読める看板、ただ綺麗な絵、ただの説明文、ただの・・・それなら俺じゃ無くて良いのね。
俺じゃ無くちゃ・・・ってもんは、キチンと俺なりの解釈がありきで、何となく・・・なんてもんを作っても意味が無いのね。だって仕事だから。
それを気に入って頂くように・・・では、やり過ぎると媚びる事になり、気に入って貰う・・・では押し付けのようになり、まぁその内に気に入るよ・・・
きっと。って言う位が、俺のスタイルなんじゃ無いのかなぁ〜って。つまりどのピエロもキャラが違うのだから、どれもピエロでも好みで違うのね。しかし、
このピエロはここで無いと意味が無い・・・ってキチンとコンセプトはある。それが今、即効性のある結果として出ていなくても・・・そのうちにね。きっと
・・・って話。たた゛そのうちって曖昧にしてるじゃん・・・って言われそうだけれど、まだ何も宣伝していないのね。ただ張っただけ。これから機が熟したら・・・本気で宣伝するだろうから。だからそれまで、やれる事する。
今はピエロを全部完結する事・・・。