はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

マスク

2020-08-08 12:43:21 | はがき随筆
 強い西風の吹く夕方、運動不足解消を兼ねて自転車で墓参りに行った。走り出してすぐマスクを忘れたことに気づいたが、どうせ誰とも会わないと思いそのま走り続けた。
 走っていると何かが顔に当たる。自転車を止めて、眼鏡を外すと白い粉が付着している。バッグや服にも付いている。遠くの山々が煙っている。桜島の火山灰である。墓参りを終え、ほうほうの体で家に逃げ帰った。
 例年、2月から花粉が舞い、西風の日には火山灰や黄砂が舞う。新型コロナウイルス以前に災厄は空から降ってくる。もとよりマスクは欠かせない。
 宮崎県串間市 岩下龍吉(68) 2020/8/2 毎日新聞鹿児島版掲載

きらめく夏に

2020-08-08 12:34:20 | はがき随筆
 機械化になる前の農業は厳しく、雨の中、腰を二つに曲げて田植えをして炎天下での田の草取りは苦しみだった。
 小学生の時は戦争まっただ中で、出征中の父の留守を母と5人の子がやっこ生きてきた。長女の私は笑顔を忘れた少女になった。青春時代の楽しい思い出もなく立ち止まる余裕もない旅路だった。90歳を目の前にして時間だけが猛スピードで遠ざかる。残りの時間を必死に泳ぐ。「忘却とは、絵空事だったのかなあ」と首をかしげながら。
 どん底に生きても季節は平等にめぐってくる。炎暑の夏も、すず風も。
熊本市東区 黒田あや子(88) 2020/8/1 毎日新聞鹿児島版掲載

耳順に思う

2020-08-08 12:24:16 | はがき随筆
 私が還暦を迎える今年、2人の母が逝った。私の実母が4月12日、89歳。私と妹に負担をかけまいとグループホームに8年暮らし、最後は私と妹が母と同じ部屋で寝ている間に息を引き取っていた。真一文字に口をつむって。主人の母は5月18日、私たち家族が住む家のすぐ近くで1人暮らしをしていたが、軽い脳梗塞で入院し、1カ月後に急変した。最後は誰も間に合わなかったが笑顔だった。101歳だった。主人の母とは本気でけんかもできた。実母は寡黙なひとだった。耳順う年となる私は、2人の母の思い出に学んでゆこうと思っている。
 鹿児島県霧島市 池之上あひる(59) 2020/7/31 毎日新聞鹿児島版掲載

自主練習

2020-08-08 12:17:21 | はがき随筆
 歌の好きな友達同士で月に1回、歌の集いをしている。10年以上続けているがコロナ禍で3月から休み。寂しい。今日は自主練習をする。この道、浜辺のうた、夏の思い出……最後はアメージンググレイス。清らかな賛美歌。皆と一緒だと歌いやすいが一人では全然。出だしが難しくて曲に乗れない。老齢だから無理かもしれないが、少しでもイメージ通り歌いたい。
 何回も繰り返し歌ったら声も出ていい感じになってきた。おめでた婆めは上手になったと錯覚して満足、満足。皆で声張り上げて歌える日が一日でも早く来ますように。
 鹿児島市 馬渡浩子(72) 2020/8/1 毎日新聞鹿児島版掲載

苦い思い

2020-08-08 11:48:41 | はがき随筆
 歩き始めてすぐに道は暗い森に入った。単独登山だったらこの山は少し不気味だな、と思いつつ、夫の背中を急いで追う。
 やがて、沢のほとりで同年配の女性と会った。1人で偉い。夫も同感だったのか「おひとりですか? 大変ですね」と声をかけた。とたんに女性が怒った。
 「一人でも二人でも古く距離は同じでしょうが」。ひやりと胸をすくわれた。私たちの言葉は適切ではなく、彼女を傷つけてしまったのだ。とっさの謝りが言えないうちに女性は去った。
 木々の緑が濃くなると、数年前のあの苦い思いがむるにざわざわっと戻ってくる。
 宮崎県延岡市 柳田慧子(75) 2020/8/1 毎日新聞鹿児島版掲載
 

4歳児

2020-08-08 11:39:30 | はがき随筆
 夕食の支度をしようとしてケチャップを切らしているのに気付いた。娘は昼寝をしているが、一人家に置いては行けず起こすのもかわいそう。だっこして車へ乗せた。スーパーに着くと目を覚まして「えみちゃんも行く」。「靴持ってきてないしケチャップだけやから」「嫌、だっこかおんぶで行く」「重いもん」「じゃー家に付いたらえみちゃんどうやっておうちに入ると?」「えっ、だっこ……」「できるじゃん」とニッコリ。やられた。仕方なくだっこしてスーパーへ。アイスもちゃっかり買わされ、4歳児に負けることが多くなるだろうと覚悟した。
 熊本市東区 矢野亜希穂(27) 2020/8/1 毎日新聞鹿児島版掲載