はがき随筆の5月度の入賞者は次の皆さんです。(敬称略)
【月間賞】16日「母の耳」高橋宏明(70)=日置市伊集院町飯牟礼
【佳 作】17日 「あの日の思い」竹之内美知子(80)=鹿児島市城山
▽ 22日「まず今日を」久野茂樹(64)=霧島市大窪
「母の耳」は、不思議な内容で、読んで恐ろしくなる文章です。四つの時に伯母の家に預けられることになったのも、不安だったでしょうし、列車とホームの間に落ちたことにも恐ろしくなります。泣き声が聞こえるはずがない所にいた母親に助けられたのは、母親に泣き声が聞こえたからだというのですが、理屈抜きに不思議です。
「あの日の思い」は、子息の入院で、慣れない東京に行くことになった。年配の紳士に交通の便を教えてあげると誘われ、半信半疑で身を引いていたが、実は裏のない親切心からの好意であった。「人を信じることにも勇気がいる」という経験談です。20年前よりも、私たちは疑い深くなっているかもしれません。
「まず今日を」は、久方ぶりに旧友を訪ねたら、友は若年性の認知症で、奥さんに、健全な時の夫のことを覚えていてくれと言われて会わせてもらえなかった。今度電話したら友が出たが、会話するのが恐ろしくなって切ってしまった。それにしても、気が沈んでならない。一日一日を生きていくしかないとは思うが、人生の夕暮れ時は難しい。同感される方も多いと思います。
この他に、3編を紹介します。
中鶴裕子さんの「たんぽぽと少年」は、童話の1ページのような文章です。少年が、両手で、小鳥とも見える白い綿毛を持って通り過ぎた。よく見るとタンポポの綿毛であった。介護施設の母親と、無垢の少年のあどけなさとの対比が見事です。
鳥取部京子さんの「猫の慕情」は、弟さんの飼い猫を、友人にあげたら、遠方なのに、弟さんを探し出して帰ってきたという「猫帰る」を、猫の視点から描いた文章です。猫は家につき犬は人につく、といいますが、人に付いたようです。
清田文雄さんの「車両違い」は、新幹線の中で、検札に来た車掌に、謝っている老人を見かけた。何ごとかと思っていたら、自分も間違えて指定席に座っていた。今度はこちらが謝る番、さっきの老人が合図をおくっていた。
(鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)
【月間賞】16日「母の耳」高橋宏明(70)=日置市伊集院町飯牟礼
【佳 作】17日 「あの日の思い」竹之内美知子(80)=鹿児島市城山
▽ 22日「まず今日を」久野茂樹(64)=霧島市大窪
「母の耳」は、不思議な内容で、読んで恐ろしくなる文章です。四つの時に伯母の家に預けられることになったのも、不安だったでしょうし、列車とホームの間に落ちたことにも恐ろしくなります。泣き声が聞こえるはずがない所にいた母親に助けられたのは、母親に泣き声が聞こえたからだというのですが、理屈抜きに不思議です。
「あの日の思い」は、子息の入院で、慣れない東京に行くことになった。年配の紳士に交通の便を教えてあげると誘われ、半信半疑で身を引いていたが、実は裏のない親切心からの好意であった。「人を信じることにも勇気がいる」という経験談です。20年前よりも、私たちは疑い深くなっているかもしれません。
「まず今日を」は、久方ぶりに旧友を訪ねたら、友は若年性の認知症で、奥さんに、健全な時の夫のことを覚えていてくれと言われて会わせてもらえなかった。今度電話したら友が出たが、会話するのが恐ろしくなって切ってしまった。それにしても、気が沈んでならない。一日一日を生きていくしかないとは思うが、人生の夕暮れ時は難しい。同感される方も多いと思います。
この他に、3編を紹介します。
中鶴裕子さんの「たんぽぽと少年」は、童話の1ページのような文章です。少年が、両手で、小鳥とも見える白い綿毛を持って通り過ぎた。よく見るとタンポポの綿毛であった。介護施設の母親と、無垢の少年のあどけなさとの対比が見事です。
鳥取部京子さんの「猫の慕情」は、弟さんの飼い猫を、友人にあげたら、遠方なのに、弟さんを探し出して帰ってきたという「猫帰る」を、猫の視点から描いた文章です。猫は家につき犬は人につく、といいますが、人に付いたようです。
清田文雄さんの「車両違い」は、新幹線の中で、検札に来た車掌に、謝っている老人を見かけた。何ごとかと思っていたら、自分も間違えて指定席に座っていた。今度はこちらが謝る番、さっきの老人が合図をおくっていた。
(鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)