はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

母のぬくもり

2011-05-31 09:55:50 | 女の気持ち/男の気持ち
 終生、母の形見を手放さずにいた兄の突然の死によって、母の遺稿である短歌集が図らずも今、私の手中にある。背表紙も紙面もセピア色に変色し、私は読むより先に本の補修を余儀なくされた。
 「しほなり」と題された遺稿は母の死後、同人の方たちの強い要望とご協力により、昭和8年に刊行されている。母を知る友人たちの追悼文や序文などで幻の母の輪郭がおぼろげにも浮かび上がってくる。生みの母の何一つ知らぬ私にとって、この遺稿は母を知るすべてでもある。
 父との結婚生活はわずか3年足らず。その生活ぶりをうかがい知る歌2種が目に留まる。
 《新世帯何はなくともふたりしてこの正月を迎うたのしさ》
 《青ただみこのすがしさはやりくりの金の工面を忘れさせたる》
 貧しくとも幸せだった心情が伝わってくる。兄と私は年子で、病弱だった母は私を運だ後、体調を崩して亡くなった。病床にあって私たちを案ずる母としての思いを詠んだ歌は何種となく見られる。
 《きれぎれの命の際もかみしめて忘れはせぬぞ子はふたりなり》
 《買えやらん雛も衣装もこの母はくすりの代にするというなり》
 この時の母の思いのすべてが、優しく温かく78年の歳月を経て、しみじみと伝わって来る。
  北九州市八幡西区 城内桂子 毎日新聞の気持ち欄掲載

:元気の素は絆

2011-05-31 09:36:42 | はがき随筆
 上智大国文科会報が届いた。1975年の写真も出ていた。投稿者は現在、東京の女子大学長をしているU君。写真は昭和48年晩秋、3年の時の国文科学科研修旅行でのもの。場所は伊勢の二見ケ浦。研修テーマは一宮を巡る旅。懐かしく、うれしい友の顔があった。岐阜のテルちゃんと京都のナオちゃんにメールした。「会報の写真、見た? 私たち若いよね!」。すぐに返事がきた。「見たよ。若くて幸せそうだね、私たち」。 卒業し36年。あの4年間のことを元気の素にして全国の友達と頑張っている気がする。絆とは、そういうものだと思う。 
  鹿児島市 萩原裕子 2011/5/31 毎日新聞鹿児島版掲載