終生、母の形見を手放さずにいた兄の突然の死によって、母の遺稿である短歌集が図らずも今、私の手中にある。背表紙も紙面もセピア色に変色し、私は読むより先に本の補修を余儀なくされた。
「しほなり」と題された遺稿は母の死後、同人の方たちの強い要望とご協力により、昭和8年に刊行されている。母を知る友人たちの追悼文や序文などで幻の母の輪郭がおぼろげにも浮かび上がってくる。生みの母の何一つ知らぬ私にとって、この遺稿は母を知るすべてでもある。
父との結婚生活はわずか3年足らず。その生活ぶりをうかがい知る歌2種が目に留まる。
《新世帯何はなくともふたりしてこの正月を迎うたのしさ》
《青ただみこのすがしさはやりくりの金の工面を忘れさせたる》
貧しくとも幸せだった心情が伝わってくる。兄と私は年子で、病弱だった母は私を運だ後、体調を崩して亡くなった。病床にあって私たちを案ずる母としての思いを詠んだ歌は何種となく見られる。
《きれぎれの命の際もかみしめて忘れはせぬぞ子はふたりなり》
《買えやらん雛も衣装もこの母はくすりの代にするというなり》
この時の母の思いのすべてが、優しく温かく78年の歳月を経て、しみじみと伝わって来る。
北九州市八幡西区 城内桂子 毎日新聞女の気持ち欄掲載
「しほなり」と題された遺稿は母の死後、同人の方たちの強い要望とご協力により、昭和8年に刊行されている。母を知る友人たちの追悼文や序文などで幻の母の輪郭がおぼろげにも浮かび上がってくる。生みの母の何一つ知らぬ私にとって、この遺稿は母を知るすべてでもある。
父との結婚生活はわずか3年足らず。その生活ぶりをうかがい知る歌2種が目に留まる。
《新世帯何はなくともふたりしてこの正月を迎うたのしさ》
《青ただみこのすがしさはやりくりの金の工面を忘れさせたる》
貧しくとも幸せだった心情が伝わってくる。兄と私は年子で、病弱だった母は私を運だ後、体調を崩して亡くなった。病床にあって私たちを案ずる母としての思いを詠んだ歌は何種となく見られる。
《きれぎれの命の際もかみしめて忘れはせぬぞ子はふたりなり》
《買えやらん雛も衣装もこの母はくすりの代にするというなり》
この時の母の思いのすべてが、優しく温かく78年の歳月を経て、しみじみと伝わって来る。
北九州市八幡西区 城内桂子 毎日新聞女の気持ち欄掲載