はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

薫風

2011-05-05 22:43:32 | アカショウビンのつぶやき

バイカウツギ


カラタネオガタマ


ジャスミン

 狭い我が家の庭にも、香り立つ樹がいくつかある。
いま一番香りが強い「オガタマ」は、甘い薫りを庭中に漂わせ、「バイカウツギ」と「ジャスミン」は風に揺られながら、道行く人々に薫りを届けている。

我が家の「オガタマ」は、神社の境内に植えてある「オガタマノキ」とは、違うようで、「カラタネオガタマ」とか言うらしい。
バナナの香りといわれる甘い香りが、どこからともなく漂ってくるので、「この匂いは何?」と皆さんの注目の的。

小さな苗を植えて二年目の「バイカウツギ」は、私の背丈を超えるほどに大きくなったが、強いビル風をまともに受けるせいか、近づかないと気づかない。

一方、ジャスミンは、勝手に地下茎を延ばすので、少々厄介者扱いになってきた。

それぞれが己の薫りを放ちながら、みどりの日を迎えた。

被災地では、家を流された跡地に球根で眠っていた花々が咲き始めたと言う。
あのがれきの山にも、さわやかな五月の風が吹いているのだろうか。

あの日から、もうすぐ2ヶ月。何も解決しない状況に焦りを覚えるのは、当事者でない私たちも同様。ただ祈るばかりの毎日である。

by アカショウビン

大隅地区の勉強会です

2011-05-05 15:30:30 | アカショウビンのつぶやき


 年に2回計画している、大隅地区の勉強会。
 なかなか日程が決まらずとうとう5月にずれこんでしまいました。
地区運営員の竹之内さん、御世話役の伊地知さんが準備してくださり、5月8日開催となりました。

 毎回、講師を支局長にお願いし、合評会形式の勉強会が続いていましたが、今回は少し変えてみました。
 
 講師は地元の鹿屋市立図書館・館長の立石冨男さんです。
立石さんは、文芸誌「火山地帯」を主宰され、小説家としても活躍されています。なお図書館の「エッセイ講座」でも、毎年、講座生の指導をされています。

 今回の勉強会の内容は、エッセイを書くときの基本的な事項などをお話ししていただきます。その後、質問や懇談で楽しい仲間と交流のときをもち、昼食して終了です。

この勉強会は会員以外の方も大歓迎です。
今回も、肝付町から新しい仲間が加わってくださることになりました。

日時 5月8日 午前10時から午後1時まで
場所 北田町の食事処「この路」
講師 鹿屋市立図書館・館長 立石冨男先生

興味のある方、お待ちしています。
申し込みは6日までに竹之内さんにお願いします。
電話 0994-43-2434です。

by アカショウビン

娘とわたし

2011-05-05 15:17:57 | 女の気持ち/男の気持ち
 「むちゃだいすき」と抱きしめると、「アアちゃんダイスキ」とほっぺをくっつけてきた。中学生になると背丈が伸び、わたしを見おろして口答えした。こんな娘があれよあれよというまに医療技術短大を経て看護師になって10年がたつ。
 医療の世界も日進月歩。患者さんと向き合うかたわら勉強が欠かせない。夜勤もある。泊まりがけで帰ってくるのは年に1,2回だ。命を預かる大切な仕事に励んでいると思っているので不満はない。
 娘が帰れないならバス、船、バスを乗りついで会いに行くと電話したら、出張、夜勤と続き、時間が取れないと言う。あきらめた。3週間ぶりに救助された犬の話に移ったところで娘の声が明るくなる。ワンニャン好きの娘のうれしそうな顔が見える。
 「お祈り忘れずに。体大事に」と受話器を置きかけると「近いうち東日本大震災の被災地へ応援に行ってくるね」と言うではないか。会えない寂しさが吹っ飛んだ。
 被災された方々を思い、毎日祈っている。日常を奪われた方々を励ましたい思いがつのり詩を書く。義援金を振り込む。ほかにできることはないかと考え続けていたところだった。「あなた、心を尽くして母さんの分まで御世話してきてね」と思いを託した。
 いま、この先長い年月、苦難に立ち向かわなければならない方々に寄り添い、復興を願って祈り続けようと誓う。
  鹿児島県鹿屋市 伊地知咲子 2011/5/5 毎日新聞の気持ち欄掲載

ぐさり

2011-05-05 14:47:41 | はがき随筆
 「ねえねえ、神父様きいて」
 「話してごらん」
 「エジプトって不思議な国よ。両替に行ったら、だあれもいないの。お祈りに行っちゃったんですって」
 「偉いっ」
 「ん……どうして?」
 「お金より、神様を大切にしているから」
 「偉いっ。だから神父様、大好きなんだな」
 「あなた日本人か?」
 「私正直人」 
 ジョークでちゃかしたけれど気がつけば、お金を守護神のように仰いでいたわたしを、神父の言葉がぐさりと突き刺した。
  鹿屋市 伊地知咲子 2011/5/5 毎日新聞鹿児島版掲載

ちょっぴりの筍

2011-05-05 14:24:26 | はがき随筆


 今年は筍の出が悪い。夏の猛暑と冬の厳寒のせいだろう。いつもならもう十分に楽しんでいるころだ。
 見つけやすいように竹山の除草もした。底が薄くなった雨靴を履いて、踏みしめるように竹山の中を歩き回る。ちょっとでも芽が出ていると先のとがった部分が靴底に当たって分かる。また、朝露がほんのり芽に光っているか、少し土が盛り上がっているかで分かる。少し出ている筍を鍬で傷めないように掘った時はうれしい。夕食の食卓もちょっぴりにぎわう。
 明日もちょっぴりの筍を楽しもう。
 出水市 畠中大喜 2011/54 毎日新聞鹿児島版掲載

「遠くなりにけり」

2011-05-05 14:22:31 | ペン&ぺん
 時は昭和の初めごろ。場所はデパート山形屋。そのエレベーターガールに、たいそうな美人がおられたそうな。
 どのくらい美人かと言えば、旧制七高造士館のバンカラ学生たちの間で大いにウワサになるよな、ならぬよな。もちろん、当時の学生さんは皆、純なヤツ。見に行くだけで、声もかけられぬ。
 ところが、シャレを効かせて手を握ったツワモノがいた。
 彼は1階エレベーター前で待つこと、しばし。ほかに客がいないのを見計らい、ゲタを脱いで悠然と乗り込む。
 「あの、お客さま、お履き物は、そのままで結構でございます」
 「そんな、もったいなか」
 昇りゆく二人だけの空間。その中で、ぎこちない会話をかわす。最上階につくと、そっと20銭を差しだす。 
 「お客さま、無料でございます」
 「ただで乗っては男のメンツが立たん。受け取ってくだっせ」
 そう言って彼女の手を握ったとか。
 以上は室積光氏の小説「記念試合」に出てくるエピソードだ。かいつまんで引用したが、同書は七高生の気風や戦前昭和の世情などを伝えて興味深い。ぜひ一読あれ。
   ◇
 さて一昨年、同僚から聞いた話。ラジオ番組でアナウンサーが「昭和時代」と普通に語っていたという。明治時代、大正時代は呼び名として定着している。だが、昭和生まれの人間にとって昭和時代の呼び名は、何やら気恥ずかしい。あるいは昭和も江戸時代と一緒かと。
 連休期間中、はがき絵作家、小向井一成さん(さつま町在住)の原稿を入稿した。小向井さんも「昭和の時代」と、あえて「の」の字を入れて、原稿を書いている。
 とはいえ、気づけば平成も23年目。いやはや、もはや昭和はホント遠くなりにけり。
 鹿児島支局長 馬原浩 2011/5/4 毎日新聞掲載