9月中旬、36年ぶりに再会したテル子ちゃんが「中学時代の一番の思い出は鹿屋肝属地区合唱コンクールに出たことよ」と感慨深げに言った。指揮棒を振った彼女。私はピアノ伴奏に自信がなく、本当は逃げ出したかったと初めて明かした胸の内。
指導の先生が途中で求職という非常事態に。しかし出馬を辞退せず、生徒だけで練習に励んだ。忘れもしない「歌の翼に」と「わが子よの2曲」部員32名の美しいハーモニーが公民館いっぱいに響き渡ったはずなのに入賞ならず。それでも、大きな舞台に立てたことは、皆の心を糧になっている。ずっと。
鹿屋市 田中京子(57) 2008/10/19 毎日新聞鹿児島版掲載
指導の先生が途中で求職という非常事態に。しかし出馬を辞退せず、生徒だけで練習に励んだ。忘れもしない「歌の翼に」と「わが子よの2曲」部員32名の美しいハーモニーが公民館いっぱいに響き渡ったはずなのに入賞ならず。それでも、大きな舞台に立てたことは、皆の心を糧になっている。ずっと。
鹿屋市 田中京子(57) 2008/10/19 毎日新聞鹿児島版掲載