私の祖父は戦前、商売である程度の成功を収めていたらしい。
その息子=私の父は体を壊したセイもあり、
戦後、祖父がつまづいた経済を立て直せず
逆に何もなくしてしまいました。
そのまた息子(私)はもっとやる気がなく
サラリーマンから塾勤め、自宅で塾と
年収減少の一本道です。
三代目の私が祖父幸兵衛の思いを完璧に絶ってしまう
役目を果たしてしまったようです。
とはいえ引き継ぐべき何かが残っていたわけではありません。
精神的にも物質生活でもごく普通のオジイサンでしたから。
○
今思うと、うっすらと、景気が良かった時代の名残があった
ような気もします。
大きな鯛を一尾持って帰って、嫁いだばかりの母が困った
なんていう話を聞いたこともあります。
○
そんなことを思い出していて気付いたことがあります。
ゼイタクというより、昔の尾道はみなこうだったのでしょう。
海老、蟹、蝦蛄、こういうたぐいは生きているものを買います。
生きていなければ見向きもしない。
もちろん、蟹など生きていても草臥れているものもいますから
それは見抜かねばなりません。
広島でも朝、魚屋さんを覘くと生きたエビがいることがあります。
たまにお金があると買うこともありますね。
もちろん、朝に外出すること自体が少ない生活です。
病院帰りとか、たまたま魚屋に立ち寄る話。
でもよく考えると、生きていなければ買わないというのは
ゼイタクな嗜好ですね。
「お、生きている」と思うとお金の余裕を計算します。
「そのエビ、すみませんが200」
・・たった?ですが300、400は買えない。
まあお魚屋さんも独身のオッサンに見えて
「少量でも仕方ないか」
○
急いで帰宅して調理しますが、帰宅の道が結構楽しい。
『ねぶか買うて枯れ木の中を帰りけり』蕪村
これは寂しさの句ではないぞと分かる所以です。
○
あるとき、活きは良く、旨そうに見えるけれど
さっきまで生きていたのか?
買うかなあ、止めるかなあ。。
大いに悩んで(たった200gほどを)
「たまには生きていなくてもこれならよいか」と
お兄ちゃんに「それ200下さい」
魚屋さんが海老に手を伸ばすと実は生きていて跳ねます。
氷の上で大人しくしていただけなのですね。
『海老買うて帰宅を急ぐ年金者』
その息子=私の父は体を壊したセイもあり、
戦後、祖父がつまづいた経済を立て直せず
逆に何もなくしてしまいました。
そのまた息子(私)はもっとやる気がなく
サラリーマンから塾勤め、自宅で塾と
年収減少の一本道です。
三代目の私が祖父幸兵衛の思いを完璧に絶ってしまう
役目を果たしてしまったようです。
とはいえ引き継ぐべき何かが残っていたわけではありません。
精神的にも物質生活でもごく普通のオジイサンでしたから。
○
今思うと、うっすらと、景気が良かった時代の名残があった
ような気もします。
大きな鯛を一尾持って帰って、嫁いだばかりの母が困った
なんていう話を聞いたこともあります。
○
そんなことを思い出していて気付いたことがあります。
ゼイタクというより、昔の尾道はみなこうだったのでしょう。
海老、蟹、蝦蛄、こういうたぐいは生きているものを買います。
生きていなければ見向きもしない。
もちろん、蟹など生きていても草臥れているものもいますから
それは見抜かねばなりません。
広島でも朝、魚屋さんを覘くと生きたエビがいることがあります。
たまにお金があると買うこともありますね。
もちろん、朝に外出すること自体が少ない生活です。
病院帰りとか、たまたま魚屋に立ち寄る話。
でもよく考えると、生きていなければ買わないというのは
ゼイタクな嗜好ですね。
「お、生きている」と思うとお金の余裕を計算します。
「そのエビ、すみませんが200」
・・たった?ですが300、400は買えない。
まあお魚屋さんも独身のオッサンに見えて
「少量でも仕方ないか」
○
急いで帰宅して調理しますが、帰宅の道が結構楽しい。
『ねぶか買うて枯れ木の中を帰りけり』蕪村
これは寂しさの句ではないぞと分かる所以です。
○
あるとき、活きは良く、旨そうに見えるけれど
さっきまで生きていたのか?
買うかなあ、止めるかなあ。。
大いに悩んで(たった200gほどを)
「たまには生きていなくてもこれならよいか」と
お兄ちゃんに「それ200下さい」
魚屋さんが海老に手を伸ばすと実は生きていて跳ねます。
氷の上で大人しくしていただけなのですね。
『海老買うて帰宅を急ぐ年金者』