フェイスブックを覗いてみた・・

2011-03-16 18:22:02 | 塾あれこれ
ミクシイとかフェイスブックは参加する個人の名前を
公開するということからメリットが生まれ
それを活かすシステムでしょう。
よって私のようにブログを自分の名前で書いている人間
には縁なき世界であろうと考えていました。
発信にフェイスブックを使う必要はないのです。

逆に(匿名での情報発信)を私個人はできないし
何人にも頼らずに生きると決めれば意見表明は自由。
私自身には匿名にすべき理由がありません。

S製作所に勤めていたままなら周りへ迷惑をかけては
いけないので匿名にせざるをえないでしょうね。
ですから、全ての匿名を否定するものではありません。

できれば、ブログも名前を明らかにした発信が増える
ことが望ましいとは考えます。

たとえ壁に守られた自己開示でも、しないよりはマシ。


とはいえハイソサエティの人々が、フェンスで囲い込ま
れた町に住み、自分たちだけで真の情報を交換すると
いう風情は好きになれません。
ひとから見えない閉じられた世界の中で名前を出しても
囲いの外からは匿名なのですから。

私は、仲間にしてもらえないだけなのですがね。
ま、一種のヒガミ根性ですじゃ。

お金持ちが人脈等も大切にされ一生懸命に生きられる
ことはそれなりに素晴らしいことで、こちらから文句
をつけることではありません。

公の世界に多くの情報を発信されるよう望むだけです。


何はともあれフェイスブックを覗いてみようと
例によって何も知らないままクリックを重ね
自分の情報を記入していきました。

何事も仕組みをよく知ってから参加するタイプの人と
ともかく手を上げてみるという乱暴派とに分けると
私はあきらかに後者です。

正負の計算ができるようになって改めて正負という世界の
意味を知ろうとするタイプです。
・・真面目な先生に嫌われますね。


案の定、フェイスブックはよく分からない。
情けないですね。

呼びかけた伏高さんのOKで一応参加は出来ました。

第一印象=「実名のブログ」とは違うぞ。

勝手な思い込みかもしれませんが
ブログは一方向の流ればかりが目立ちます。

特に私などは知己に閲覧をお願いするわけでもなし
誰が読んでくださってるか、ほとんど分かりません。

フェイスブックは情報交換における責任が明確で
簡単なコメントひとつでも出し手に重みが感じられ
つまりは受け手にも訴える力が強いようです。

上手く使えば会社やお店の営業にも使えそうですね。
ブログは手段として遡及力が甘いかもしれません。


フェイスブックに名前を載せたあと、ページに案内されて
見ず知らずの方に私を「お友達に認定して」と頼みますと
運よく了解を得られました。
伏高さんつながりで信用を頂いたようです。

その方のまたお友達、のページ?に今回の地震の情報が
載せられていました。
それは「友達の友達」のもう一人向こうの友達からの情報
を載せたものだったのですが、早いし詳しい。

さすがフェイスブックの力と感心して、よせばいいのに
コメントしてしまいました。
「私はフェイスブックはまったくの初心者ですが、
 この投稿は早いし詳しいし素晴らしい。
 情報を有難うございます」
と私がコメントしました。

ページの主たる「友達の友達」の御返事は

「井上さん、私のフェイスブックは自分がきちんと
確かめた正しい情報だけに限定しています。
よろしくお願いします。」

私のコメントが何か気に障ったようですね。
もしくは意思疎通が上手くいっていないか。
あわててお詫びしました。

「変な文章を書き込んで申し訳ありませんでした」
「いいえ」

見ず知らずの人間は入ってくるな、ということ?
仁義を切っていなかったか?
お友達以外は「いいね」って言っちゃいけないの?

(いいね、というのがフェイスブック用語らしい)

書き言葉によるコミュニケーションって難しいですね。
よって私も反省すべきなのでしょうが、実はどう
反省すべきかよく分からないのであります。
これから勉強しなくちゃ。

一つだけ言えることは、まったく見ず知らずだと
こういう齟齬は起き易いと云うことですね。
相手を知ってると、言わんとすることが正しく伝わり易い。

しかし、参ったね。
なぜ叱られたか分からない・・・