だから・・

2011-03-31 18:41:57 | 塾あれこれ
JR五日市駅近くの散髪屋に行きます。
この4~5年。

切るだけで1180円ってやつ。
髪洗ったり他に色々すると追加料金が出るので
一番安いので済ませます。
もっと安い店もあるでしょうが近くにあるというのが
よい点です。

今年正月があけて(普通は正月前だよね)散髪をしたときに
次回100円割引というカードを出してくれました。

少し前に散髪にゆくときに、カミサンに出せと言われていたので
しぶしぶそれを提出すると
「あ、お客さん、これは先月末までで」

こちらは「ははん」

有効期限に記入がないじゃないか、一か月で期限切れかい、
などとは申しません。
言っても仕方ないもの。

そんなセコイ店には行かなければよいのです。

気持ちが繋がっていれば嫌がられてもクレームをします。
客には「クレームをつける義務」があるのです。

けれどクレームをつける以前の店ならばあえて
ゴタゴタする必要はありません。

子供に説教をするときに「叱られるうちがハナですよ。
見捨てられたら叱ってもらえなくなるよ」と言いますね。
あれと同じです。

(従って私はカミサンに小言幸兵衛を続けていますが
ずいぶん嫌がられてしまっています。分かってね。。。)


上記の場合、欧米ならば多分クレームを伝えるでしょう。

日本式は、ある意味で卑怯。
ダメなやつは自分でつぶれちゃえ、という共同体の意思が
暗黙裏に働いているのです。
表だってはトラブルにしません。
それはいけない、と教えてやる必要がない店なのですから。

きっと中国人だったら文句を言うでしょうね。
東アジアでも色々なのです。

古来、農業中心の社会だったからという説明で
日本の集団的没個性的な文化の由来を言われますが、
どうもそれだけではないようです。

長い間、官僚的な社会統制が有効であった、つまり
お役人がしっかりしていたから人々も一定範囲では
それを信じる方が得だったのです。
(今はそれがさっぱりダメ)

それ以前に、人間として、キーキーギャーギャーは
みっともないという意識もあるのでしょう。


そこで日本では相手の言葉や行動の裏を読むことが
必要になるのです。

もちろんこれは悪いことではありません。
(国際的な社会関係では少数派になるので要注意です)

そしてそれが日本文化の強さでもあったのです。

近頃はその「気働き」ができない人が増えました。
はっきりいって頭が悪い欧米人と同レベルになった・・・

しかしそれでも東北など、日本人がしっかりしている処では
古来の文化が息づいています。

大地震があってもモラルの崩壊が見られない日本社会は
他人のことを考える心が支えているのですね。

人のことを考えるからパニクらないのです。
大騒ぎをしても得にならない、損することが多いという智恵も
あるでしょう。

決して、バカだから縮こまっているわけではありません。


それを、アメリカのマスメディアの馬鹿共は分からない
ようです。

ワシントンポストやニューヨークタイムズに「日本人は
言うことも言わず必要以上の自粛をしている」という
論調があるそうですね。

まあ彼らにはそう見えるのでしょう。

違った文化があるということが分からない=USA馬鹿。

しかしこれが世界の多数派なのですから困ったものです。


ディベートが大切だから日本でも小学校からやらせよう
という試みをよく耳にします。
やってもよいのでしょうが、思うほど効果が上がらない
ハズです。

教えるセンセイが日本文化を正しく捉えていないから。
そこで中途半端な現在の日本ができてくるのでしょう。

本当は文化の切り替えができる人間を育てねばなりません。


かなり教育者として知られている、地元では著名な校長
ですら、昨今はあやしいのです。

例えば、こちらからの挨拶状に「ご多忙と存じます。
どうかご返事はお気にされませんよう」という内容を書くと
8割がた本当に返事が来ません。

見ず知らずの人間ならば無視をしてもよいのでしょうが。
官僚として塾など目に入らないのでしょうか。

しかし、隠れた部分を読むという日本文化からは失格で
これで教育者かと落胆してしまいます。

(勿論そんなのから手紙が欲しいんじゃありません)


先の神戸でも今回でも世界が真似できない日本人のよさ
が示されました。

まだ文化が生きているということですが、ン十年先は
どうなっているんでしょう。
いまの教育では・・・気が重くなります。


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