色んなケースがありますが

2010-01-20 22:11:37 | 塾あれこれ
昨日は「~します」という話に疑問符をつけるという失礼な
態度に出た私ですが・・その続きです。

「教育は教育機関だけでしているわけではない」と
反論もありえます。
仰るとおりの面もあると思います。

ただ、であるならばご自分の処が立派に教育するという
看板をぶら下げておくことが許されるのかしら?
都合のよいところを強調し、まずければ逃げる、のは
教育者らしくありませんね。

学校はさておき、塾では
「教育?そんな大それたことはできません」
という正直な、もしくは居直ったことを言われる方が
結構多くおられます。

我々は受験請負業だ、と仰るのです。
保護者の方にも結構多くおられます。
塾ごときが教育とはおこがましい話だ、というわけ。

教育は学校でやってもらうから、塾は受験のことだけを
請け負ってくれればよい!そのために金を出すのだ!
下手に教育効果などを考えて受験に差し障ることのないように
してくれ、とまで言われますね。

塾はそう言っていただくと、ある種、楽になります。
(見下されている気分は残りますけれども)

受験勉強をガリガリとやらせる、これは楽です。
ここまでご家庭でできるようにしていただかないと
とか、プリントの山を渡して覚えさせてください、とか
やって、あとは授業を上手にすればよいのです。

できなければ生徒や保護者のほうに責任があるのです。

合格率を上げるために通りそうも無い子をやめさせる、
というコソクな手段をとる塾も案外多いようです。
少なくとも通りそうな子を大切に対応しますよね。

落ちたら「あと少しでした。ザンネン」とか
いくらでも言い訳は利きます。

「この勉強態度じゃ通らない」などと(正直)を言い
ギャクギレされることだけはないように
けれどもいつでも言い逃れできるようにしておく
これが受験塾の鉄則です。

「スイマセン。全て私の力不足です。
 本当に申し訳ありませんでした」
「でも、最後は本当に良く頑張った、ね?
 あと少し時間があれば・・
 受験って何があるか分からないものです。
 ただ、頑張ったことは確実に力になっているから」

・・これくらいのリップサービス?でどんなもんでしょう。

もちろん上記が本当に当てはまることもあります。

また少なくとも塾の側は本気でそう思っている、がしかし
他にやりようはあったという場合もあるハズです。

最悪なのは、心ではちっとも思わないで口先だけで
逃げて、月謝丸儲け、というタイプですね。

でも、それをどうやって識別できるでしょう?

更に重要なことは、受験勉強に本来の勉強と矛盾する面が
もしあるとするならば、受験ばかりを目標にしてよい
のでしょうか。

ムチャをする塾はそうはないと信じたいですが
教育としてあるべきことへの意識が薄くなるおそれは
あると考えます。

したがって「受験請負でよい」とは思えません。

教育とは何か、いかにあるべきか
ここをきちんとした上での受験でなくてはならないのです。

たとえ、どんな保護者がおられようと。

(続きますが、小沢VS検察についても書きたい・・)