あ、こりゃダメ

2010-01-18 11:56:52 | 塾あれこれ
真夏、生徒が来る前にシャワーを浴びようとしたとき
ピンポ~ン

カミサンがいないときでした
悩みましたが家の前で自動車が止まったようでしたので
宅配だと思い、ランニング一枚でしたが
ドアを開けました。

見知らぬオバサンが
塾のパンフレットをくれ、と仰る。
ついで「○○さんから聞いて」

夏の鍛冶屋みたいな格好で、ゴメンナサイ、ですね。

こんなとき(あ、こりゃエンがない)と思うのですが
だいたい外れません。

パンフレットくれ、っていう話も塾の募集時期を外せば
まあ少ないですし、エンがないと思って渡すのも
エコじゃないよね。
どうせ即ゴミバコ行きでしょう?
たまたま在庫が1セットありましたがやはり勿体無い。

通常のお店でパンフを貰うのと違って
個人経営での営業情報のプリントでは
渡すほうの重みが違うのですがねえ。


その暫く前、○○さん(私がたまに行く店)が
これこれという人がいるけれど、あなたの塾でどうだ
という話があったのです。

真夏。

毎年夏休みが済むと受験生の中から通塾回数を増やす
という話を頂くので、若干のワクは取ってあります。

そのワクを使うことになるので気乗りはしないのですが、
もしお役にたつならばと「今なら」と返事をしました。

それから後、2週間ほどでしょうか何の連絡も無いので
その話はなかったものだとほぼ忘れていたら
・・上記ピンポン

近頃は予め電話を入れる、なんて人はいませんねー。
おちおちシャワーも浴びられない。

まあ、あちらも「ランニングシャツで出る失礼な塾
には行かない」という結論にはなるでしょう。

きっと間に入ってくださった方も私も何らかの小さな
情報ミスがあり、元々上手く行かない話だったのです。
早く終わったのは良いことです。

あるいは、案内に書いておいたブログを見られての
判断かもしれません。
「こりゃ、イカン」

それもgood

いや、負け惜しみではなく。

当ブログを何度かお読み頂いている方はお分かりの
ように、ネガティブキャンペーンみたいなブログ
ですから、これを読んで「子供をここへ」
とは、まあ、なりません。

「偏っているからやめておこう」ということならば
ありえそうです。
(現実に、ブログで来た、なんてほぼ記憶にありません)

逆に言うと、それでも行こうか、という話になるのは
いったんお付き合いが始まると長いですね。

それとも、やめると可哀相すぎるようで、どうにも
辞めづらい・・かな?

客を引っ張ろうとお考えの塾がおありなら反面教師に
なりうる当ブログというお話でした。


それにしても、一言、ウソでいいから電話して
「子供が友達と他へ行くと決めたから」
くらいの適当なことは言えないものでしょうかねえ。
一応、ワクとって待ってるんだけど。

聞けば、自宅で習い事を教えておられるとか。

案外サラリーマンのお宅がマナーがよく
自営業はマナーが悪い、というか
客意識が強すぎるというか。

臭う

2010-01-17 12:07:14 | 塾あれこれ
個人にしろ家にしろ、その臭いについて
善し悪しで話をするのはどんなもんでしょう。

確かに良くないニオイもあります。
化粧などの濃すぎる香りとか、
二日酔いのようなフユカイなものとか
さらには命に関わるにおいもあります。

とはいえ本来は、余り神経質になるべきものでは
ないでしょう。
文化の違いが大きく左右するからです。

私の祖父母の時代ならば、チーズを臭くて食べられない
という日本人はたくさんいました。

バタくさい、なんて言葉もあったほどです。

そのころ日本を訪れた外国の方は、味噌のにおいが
苦手だったと聞きます。

臭いと思うと咽喉を通りませんからねえ、大変。

今はバター・チーズの匂いでないと美味しく思わない
という日本人が多いかもしれません。
味噌がない家庭も増えているそうですし、
変わった。。。

ニオイそのものに善し悪しがあるというよりも
人間のほうが、文化が、変わるのです。


日本では他人と同じであることが大切な文化が
根強いといわれています。

子供達を見ていれば彼らが後天的に獲得してゆく
「排除」の文化が良く分りますね。

でも日本でも、バタ臭いといって洋菓子を食べられない
人の横で「美味い」といっていた人もいる時代が
ありました。

最近、皆と一緒、という要請がきつくなっていることも
事実のようです。

嫌われても(人と違う)ことを貫かないのですね。
勇気がないといいますか、妙にカシコイ。

オンリーワンとか言いつつ、実際は(ふわ雷同)です。

最近、フユカイなのは「加齢臭」という決め付け。

昔はお年寄りの匂いを排除する文化はありませんでした。

オジイサンのタバコ
オバアサンの整髪料

「何が加齢臭だ」
売らんかなの宣伝に乗った軽い文化、
と思うのですが、アラカンが言うと迫力が出ません。

若ければよい、というお子様文化による
トシヨリ差別なんだけれどもねえ。

従って加齢臭を別の香りで誤魔化す、わけにはいきません。
同様に玄関に香りの何とかをおいて紛らわせるのも
好みません。
好きな香りも無いしね。


とはいえ仕事では一斉授業のように相手との距離がある
場合はまだしも、小さな部屋で、戸別ですから
ニオイを気にしないわけにはいきません。

おかしな文化、といっても相手が「クサイ、気になる」
のであればやむを得ません。
ただ商売のためというだけでなくエチケットとしても
相手のフユカイなことに無神経ではいけませんから。

私個人は、もう十数年の間、男性化粧品は一切を
使用していません。
シャンプーは石鹸。

生徒が来る前には基本的にシャワー
(出来ないときもあるけれど)
授業直前に歯磨き、授業中でも場合によりウガイ

ニオイのきつい食事もしません。
本当はニンニクの利いたギョウザ、食べたいけれど。

におい

2010-01-16 15:01:15 | 塾あれこれ
家には特有のにおいがありそうです。

久しぶりの親戚の家、などで
「そうそうこの匂い」ってありますから
きっと我が家にもあります。

ただ、自分で自分の体臭が分らないように
自分んチの匂いも嗅ぎ分けられません。

前に働いていた塾でも臭いはあったようです。

女生徒が「クサイ」と影で言ってたのに驚いたことが
ありました。
当時は意識していませんから。


我が家=わが塾、では固有の匂いがあるハズの上、
ペットも飼っていますからさらに臭うはずです。

これに自分では気づかないのですからヤッカイ。

友達や知り合いなどに聞くことも難しい。
聞かれたほうも答えにくいでしょうから。

私が友達に聞かれてもそうでしょう。
「うん、お前の家らしい匂いがある」とは言いにくい
ですよね。
「くさい」と言ってるように思われてもいけないので
適当にはぐらかすでしょうね。

聞くのなら、「昨夜、サンマ焼いたけど今臭う?」
みたいな質問でしょうか。

それも、正直に答えてもらえるかどうか。


ネコが主にいる二階にシャープの空気清浄機。
教室のある一階にもシャープの清浄機。
いずれも例のイオンが出るやつです。

もちろんエアコンにも消臭機能があります。

玄関にはカタログハウスがお勧めの電気消臭機。
効くか効かないか、金属の水につけておくやつ・・

一応、気にはしております。

でも、これくらいではきっと不十分でしょうねえ。


もっとやっかいなのが私自身のニオイ。

加齢がありますから。

それに薬飲んだり、つけたり、サロンパスとかetc

ま、その話は明日。

御製

2010-01-15 22:36:43 | SONGS
大正天皇の御歌=御製について
丸谷才一さんの著書で知り驚いた話を
すでにこのブログに書いていたツモリでしたが
何だか、書いていないかもしれない・・
という情けない話で申し訳ありません。

丸谷さんの本も『花火屋の大将』であったか
『ゴシップ的日本語論』であったか、両方か
後で調べれば分るかもしれないのですが
今は??
(というのは既に古本屋に売却したかもしれないので)

つまり、正確なことがまるで書けない。

・・だったら書くな!

ですよねえ。


昨日、皇后陛下の御歌について感動したと書き
その関係で、大正天皇の御製を思い出したのです。

確かに、瑞々しい、才能あふれる歌を詠んでおられます。

ただ、天皇のお立場ということから
幾分か制限がかかると窮屈になられたとも書いてありました
ねえ。
そうかもしれないと納得できる話です。


突然、井上章一の『狂気と王権』を思い出し
本の突っ込みは弱かったけれども、大正天皇から昭和天皇へ
移る辺りの話は、強く納得したっけ
と思い出します。

こう書いても、本を読まれていない方には
何のことやらでしょうね。

天皇とか、その近辺の話と言うのは
難しいものです。


まあとにかく皇后陛下の芸術的才能の一端を知る
ことができる御歌ではありました。

皇后陛下の御歌

2010-01-14 14:01:17 | 塾あれこれ
皇后陛下の御歌、といっても私が存じ上げるのは
毎年の歌会始くらいですが、いつも
いいなあと思えることしきりです。

そもそも御皇室の歌会始の御歌などは
論評などの対象外とすべきものでしょうけれども
それにしても、皇后の御歌は心にしみます。

特に今年の御歌。

お叱りを受けそうですが
涙があふれてしまった。

駅前桟橋辺りでタライに蝦蛄を泳がせていた

2010-01-12 22:34:18 | 塾あれこれ
たとえばアメリカとイラン。

(のっけから例えで恐縮です。
 こういう文章は強引ですから気をつけましょう)

アメリカのほうがイタメシ屋は多いでしょう。
チョコレート屋さんだって断然アメリカのほうが多く
おいしそうに思えますね。
高級品も豊富でしょう。
(両方とも行ったことはないけれど)

とはいえ、そのイメージはアメリカ人ならそう思う、
アメリカの子分ならそう思う、ということであって
いや、もしかしたらイラン人だって、アメリカには
勝てないと思うかもしれません・・けれども
あえて言いますと何の基準でもってアメリカが上と
言うことができるのでしょうか。

ファッションとか音楽とか、他のジャンルで考えれば
基準が違う世界のものを比べ優劣をつけよう、などは
無謀なこととお分かりいただけると思います。

両国の文学に優劣がつきますか?
一生懸命優劣をつけようと思う人がおられたら、
おやめなさいと申し上げねばなりません。

もちろん、イラン人がお国自慢で自国のほうが
美味いという人がいればそれも変な話になります。


同様のことが東京と尾道でも言えます。

拠って立つ処が違うので、本来は比べられない
ことであるのに、比較が可能と思うのです。

同じ国だから比較可能だと錯覚をするのでしょう。

かく言う私も長い間そんな考えに取り付かれて
いました。

しかし、気候風土と味には密着した部分が大きく
一番肝心なところのさじ加減を左右するのです。

それに人間は一度に一つの風土しか身につきません。

地球でも銀河の彼方でも同じ物理法則で時空が
成り立つのですが、その二つは別個に相対的なものと
してしか捉えられない、のと似ているようです。

東京に住めば東京のことしか分らないのです。
同じように広島の人間は東京のことは分らない。

恥ずかしながら、私は東京にマル九年間住み
その間広島に戻るたびに「田舎だなあ」「センスが
悪いな」「流行が遅れている」などと思いました。

広島のことが分ると思い込んでいたのですね。


味について言えば、住んでいるところと違う場所の
ものは「自分にとってはこちらが好もしい」という
ことは言えても「こちらが良い」という基準は
持ちえないのです。

もちろん、細かな違いについては大都会が田舎より
はるかに進んでいます。
こまかな違いを打ち出して店がやっていけるのは
都会だけでしょうから。

また価格の高いものを頂けるのも都会。
お金持ちが大勢おられますから。

ただ上記のことと、
共通する比較基準は存在しないということと
混同してはいけませんよね。

プロの人も多くが無自覚でしょう。
自信がありすぎるから気づかない。
そういうタイプでないとプロにはなりづらいかな。


ただのシロウトが、食べ歩きなるものをして
マイ・ランキングて言ってるうちは良いけれど
妙に自信をお持ちなのも恥ずかしいですね。

アメリカ人が世界各国へ出かけて、自分の基準で
訪問先の文化を計る、あの恥ずかしさです。

浅はかというか、哀しいというべきか。

今の日本人って嫌われ方がヤンキーと似てません?
人柄が米国人ほどオープンでないだけに悲劇は
二重です。


金があるほど、中央に近いほど勘違いしやすく
かつ、一種の差別意識をもちやすいのです。

東京には高い寿司屋があるというだけで
自分は行ったこともないのに、東京人の寿司の
感覚が、田舎より優れていると思う・・・

広島のグルメが尾道の味を笑う、なんてことも
ありそうです。
白人に差別された黄色人種が黒人をバカにする
そんな感じかなあ。

中には東京で寿司食ったことがある、というだけで
妙に威張っちゃったりねえ。
私もそうだったかなあ。。。。

しつこいですがその反対もあります。
妙に自信がある田舎モノもいるもので
「なんだ、これなら広島のほうが美味いぞ」って
これも嫌なタイプです。


かなりハショリましたが、長くなりました。

尾道の美味いもの、少ししか書けません。

行水するようなタライに蝦蛄をツイツイと泳がせて
いましたね。
これなら美味いはずです。

今は無くなったガンギの上の違法建築から七輪を
出し、そのシャコを焼く少年がいました。
これなら美味いはずです。

西御所の辺り、大きな倉庫の前でチリメンを
乾かしていました。
小学校の帰りに隠れてちょいとつまんだりして
今も福利物産なんて味付けちりめんを売っていますが
あの盗み食い、これなら美味い。

土堂小学校の4年生のとき、先生が小鯛の佃煮を気に
入られて、私が買い出し当番でした。
そんな少年を見かけたら後をついて行って見て下さい。
とある店の佃煮は美味かった。

今も旭菊水の看板がある某寿司屋の先代が炊く
シイタケの甘辛煮。
これは尾道の味だった。。。

ガンギの上に清水食堂があった頃、それも昭和30年くらい
ミッチャンのお母さんが鉄板でキンツバを焼いておられた。
パタンパタンと餡を転がすのが面白くて店を覗いていたら
あとで母に叱られました。
「もの欲しそうなことをするな」

駄菓子を買う小遣いでは手が届きませんでしたからね。


全てがみな時の彼方へ消えてしまったけれど
あれらは、美味かった。


尾道って鯛の浜焼きが有名だったけれど
あれって美味しいのかなあ?

さて、尾道で美味いもの・・

2010-01-11 11:15:20 | 塾あれこれ
今年の秋から始まる朝ドラの舞台が尾道だとか。
正確には尾道から大阪へ出てゆく娘さんの話
らしいですね。

広島県では大騒ぎ←オオゲサか

観光などに関係する人は期待が膨らむでしょうね。


鞆の浦が大騒ぎをしているのは(竜馬)

鞆の沖で亀山社中・海援隊の船が沈んだという
竜馬のエピソード一つで「観光の目玉」にしようと
いうのですから無理があります。

NHKの地域ニュースなどでも大騒ぎでありますが
ネタがないので、桂小枝のパラダイス風な紹介に
なってしまいます。

(寒くて)笑ってしまうしかない、
「なんだその船は・・」なのであります。

「ドラマ竜馬伝の主演、福山さんの名前にあやかって
 福山市も・・」
なんてニュースで言われると心から情けない。

まあ、日本全国似た様な観光地は多いでしょうが。


さて、朝ドラです。
倉科カナに期待したのですが演技がオーバーで
鼻につきます。
もっと演出が押さえてあげないといけませんね。

というわけで、秋からの「尾道」に期待。
(朝ドラしか楽しみがないようですなあ)

大阪でお好み焼き屋をするという筋立てらしい。
尾道の食べ物も多少は、からむでしょうね。

で、考えた。
(何も私が考えなくてもよいハズですが、
 そこを考えた)

尾道って美味しいものがあるのだろうか。

地の魚は美味い。
ただ、観光では味わいにくい。

有名店で高いお金を出しても、そうです。
不味いとまでは言いませんが
落胆することは請合えそうです。
東京、大阪で食べる方がはるかに美味いはずです。

では、尾道でしか食べられない美味はあるか?

デベラ、ぬく寿司、シャコ、舌平目、ママカリ
いずれも尾道でなくても頂けます。

近年有名になったラーメンもしかり。

菓子、は土産にお勧めできません。
(個人的に懐かしいものはありますが)

では、尾道は不味いか?
それも違うんだなー


スミマセン、明日続けます。

ワンパタンの写真は五日市。
尾道からは想像できない世界ですが
その話もいずれ。

ダイダイ

2010-01-09 15:19:43 | 塾あれこれ
正月前、カミサンがスーパーで橙を安く買いました。
一袋に大き目の橙が3つ入って100円未満。

お飾り用の橙のハネモノでしょう。
二袋で2カップの果汁がとれポンズを作りました。

市販品を買うことを思えば、はるかに美味くて
安いものができます。

果汁の酸味、醤油、甘み、旨み、と香り
このバランスで出来ます。
一定期間は寝かせたいですね。

ですから料理によればポンズより単純に
果汁+醤油、などのほうが良い場合もあります。

ポンズの果汁にはカボスとかスダチ、ユズ
それぞれに好みの方がおられるでしょうが
私はダイダイが良いですね。
子供の頃からの味だから、でしょう。


クレヨンか絵の具にダイダイ色というのがありました。

朱色っぽいイメージですね。

ところが、私はダイダイというと、もう少し黄色い
ものを思い浮かべてしまいます。

ダイダイ色と結びつかない!
間違った観念ですが、どうしても瞬間、黄色がかった
ものが浮かび、それから修正します。

先日もカミサンにこんな話をしたら
近所の正月飾りを見に行けば、と指摘をされました。
ん~、そうなんだけど固定観念は・・


手元に少々古い『色の手帖』という本があります。

塾で授業をするときに、色の説明が難しいので
ときおり利用しておりました。

それによると、確かに赤いような茶色いような。
橙色=オレンジ色として
5YR6.5/13というマンセル値が表示してあります。

その隣に橙黄色が載せてあり、実は私のダイダイは
こちらに近いのです。
マンセル値は10YR7.5/9.7
かなり黄色がつよくなります。

なぜ?

多分、熟したダイダイが食卓に上らなかった所為
でしょうね。


『手帖』に載っている文例
漱石「橙色の日が浪から出る」

そう言われても・・
と、つぶやくのであります。

ファン・・

2010-01-07 16:31:28 | 塾あれこれ
カミサンの友達にはヨン様の大ファンがおられます。

私は昔、八代目正蔵(先代です。しつこいですけれど
祝儀を誤魔化して脱税した現九代目とは何の関係も
ありません)の追っかけ?でしたから、ファンの気持ち
は分るような気がします。

とはいえ、こんなことを書くとヨン様と正蔵を一緒に
しないでくれ、とお叱りを受けるかもしれませんね。


先日来、カミサンが某タレントをカッコイイと仰る。
そのうちブロマイドなんて集めかねない意気込みです。

ルックスだけでなく、歌って芝居も出来てですから
分らなくもありません。

ただ何となく、私も張り合って
「オレだって、そん色ないだろ」と負け戦を挑みますと
「ふん」という声にもならない空気で吹き飛ばされます。

「オレのほうが苦みばしっている」
「ハイ、ハイ」

・・多少は話に乗ってもよさそうなものですよねえ~


まあ、誰にでも好き嫌いはあるもの。

今の私はだれが良いかなあ、と思うとお写真でも部屋に
飾ろうか、なんて方はおられません。

家にはネコのカレンダーで十分。

昔ね、ガラス越しに眺めた南沙織は輝いてたなあ。

スクリーンでは笠智衆。

え?
では、原節子としておきましょうか。

今、特にいないのは移り気というより
エネルギーの問題でしょう。

タレントだの歌手だの「この人良いね」で終了かな。

無理して挙げると
最近の女優では国仲涼子
タレントで遙洋子(最近、芸風?に磨きが)
昨年の紅白で矢沢永吉、吉田美和

んなところですかねえ。


写真はラーメン雑煮。

美味そうに見えませんが、実際は(そこそこ)
モチはご近所に頂いたもの
ラーメンは通販の尾道ラーメン

まどみちお百歳

2010-01-05 11:29:47 | SONGS
NHKTVで百歳のまどさんを放映されました。

偉大な詩人を(さん)でお呼びするのは失礼かも
しれませんが、なぜか「まど先生」というイメージ
ではないですよね。

当ブログの08年1/11
阪田寛夫さんが書かれた評伝「まどさん」について
簡単な紹介をしています。
(これは名著ですね)


今日はその続き。

テレビに映る百歳のお姿はさすがにお年を召されたと
いう部分もありますが、詩の世界はしっかりとして
おられます。

まどみちおさんのように、削り込む詩を書く場合には
頭を使うことと思います。

創作意欲が枯れる、書くものが無い、・・などという
ことには無関係な世界に生きていらっしゃいます。

生きること=書くこと


一見、誰でも書けそうですよね。

『ぞうさん』
幼稚園の子でも書きそうじゃないですか。

でも、ここまで削るのは至難でしょう。

どこまで書くか、削るか
その見極めが詩人の命です。きっと。

もちろん詩人を成り立たせているのは上記のセンス
だけではなく、語感、言葉の豊かさ、自由な発想
豊かな心、音楽・・などなど

しかし、繰り返しますが
どこまで書くか、削るか、そのセンスは凡人には
分りません。

分っていたら詩人になっちゃう。

絵の世界でも同じですよね。

なぜこれは未完で、これは出来たか、
素人にはさっぱり分りません。

デッサンなんてどれも途中に見えちゃうし。

きっとよく似たことが詩にもあるのです。


まどさんが虹の絵を描いておられました。
単純に明るい色を横に引くだけの絵です。

それを見ていて、小野竹喬の世界に通じるものが
あるように思いました。

方や山口、方や岡山で200kmほどの距離はありますが
いずれも南に瀬戸内海を望んで育っておられます。

山口の訛りが抜けないのも彼の詩の世界と切り離せない
からに違いありません。

いつも明るい世界につつまれて、ひとりぽっちの。