たとえばアメリカとイラン。
(のっけから例えで恐縮です。
こういう文章は強引ですから気をつけましょう)
アメリカのほうがイタメシ屋は多いでしょう。
チョコレート屋さんだって断然アメリカのほうが多く
おいしそうに思えますね。
高級品も豊富でしょう。
(両方とも行ったことはないけれど)
とはいえ、そのイメージはアメリカ人ならそう思う、
アメリカの子分ならそう思う、ということであって
いや、もしかしたらイラン人だって、アメリカには
勝てないと思うかもしれません・・けれども
あえて言いますと何の基準でもってアメリカが上と
言うことができるのでしょうか。
ファッションとか音楽とか、他のジャンルで考えれば
基準が違う世界のものを比べ優劣をつけよう、などは
無謀なこととお分かりいただけると思います。
両国の文学に優劣がつきますか?
一生懸命優劣をつけようと思う人がおられたら、
おやめなさいと申し上げねばなりません。
もちろん、イラン人がお国自慢で自国のほうが
美味いという人がいればそれも変な話になります。
○
同様のことが東京と尾道でも言えます。
拠って立つ処が違うので、本来は比べられない
ことであるのに、比較が可能と思うのです。
同じ国だから比較可能だと錯覚をするのでしょう。
かく言う私も長い間そんな考えに取り付かれて
いました。
しかし、気候風土と味には密着した部分が大きく
一番肝心なところのさじ加減を左右するのです。
それに人間は一度に一つの風土しか身につきません。
地球でも銀河の彼方でも同じ物理法則で時空が
成り立つのですが、その二つは別個に相対的なものと
してしか捉えられない、のと似ているようです。
東京に住めば東京のことしか分らないのです。
同じように広島の人間は東京のことは分らない。
恥ずかしながら、私は東京にマル九年間住み
その間広島に戻るたびに「田舎だなあ」「センスが
悪いな」「流行が遅れている」などと思いました。
広島のことが分ると思い込んでいたのですね。
○
味について言えば、住んでいるところと違う場所の
ものは「自分にとってはこちらが好もしい」という
ことは言えても「こちらが良い」という基準は
持ちえないのです。
もちろん、細かな違いについては大都会が田舎より
はるかに進んでいます。
こまかな違いを打ち出して店がやっていけるのは
都会だけでしょうから。
また価格の高いものを頂けるのも都会。
お金持ちが大勢おられますから。
ただ上記のことと、
共通する比較基準は存在しないということと
混同してはいけませんよね。
プロの人も多くが無自覚でしょう。
自信がありすぎるから気づかない。
そういうタイプでないとプロにはなりづらいかな。
○
ただのシロウトが、食べ歩きなるものをして
マイ・ランキングて言ってるうちは良いけれど
妙に自信をお持ちなのも恥ずかしいですね。
アメリカ人が世界各国へ出かけて、自分の基準で
訪問先の文化を計る、あの恥ずかしさです。
浅はかというか、哀しいというべきか。
今の日本人って嫌われ方がヤンキーと似てません?
人柄が米国人ほどオープンでないだけに悲劇は
二重です。
○
金があるほど、中央に近いほど勘違いしやすく
かつ、一種の差別意識をもちやすいのです。
東京には高い寿司屋があるというだけで
自分は行ったこともないのに、東京人の寿司の
感覚が、田舎より優れていると思う・・・
広島のグルメが尾道の味を笑う、なんてことも
ありそうです。
白人に差別された黄色人種が黒人をバカにする
そんな感じかなあ。
中には東京で寿司食ったことがある、というだけで
妙に威張っちゃったりねえ。
私もそうだったかなあ。。。。
しつこいですがその反対もあります。
妙に自信がある田舎モノもいるもので
「なんだ、これなら広島のほうが美味いぞ」って
これも嫌なタイプです。
○
かなりハショリましたが、長くなりました。
尾道の美味いもの、少ししか書けません。
行水するようなタライに蝦蛄をツイツイと泳がせて
いましたね。
これなら美味いはずです。
今は無くなったガンギの上の違法建築から七輪を
出し、そのシャコを焼く少年がいました。
これなら美味いはずです。
西御所の辺り、大きな倉庫の前でチリメンを
乾かしていました。
小学校の帰りに隠れてちょいとつまんだりして
今も福利物産なんて味付けちりめんを売っていますが
あの盗み食い、これなら美味い。
土堂小学校の4年生のとき、先生が小鯛の佃煮を気に
入られて、私が買い出し当番でした。
そんな少年を見かけたら後をついて行って見て下さい。
とある店の佃煮は美味かった。
今も旭菊水の看板がある某寿司屋の先代が炊く
シイタケの甘辛煮。
これは尾道の味だった。。。
ガンギの上に清水食堂があった頃、それも昭和30年くらい
ミッチャンのお母さんが鉄板でキンツバを焼いておられた。
パタンパタンと餡を転がすのが面白くて店を覗いていたら
あとで母に叱られました。
「もの欲しそうなことをするな」
駄菓子を買う小遣いでは手が届きませんでしたからね。
○
全てがみな時の彼方へ消えてしまったけれど
あれらは、美味かった。
○
尾道って鯛の浜焼きが有名だったけれど
あれって美味しいのかなあ?
(のっけから例えで恐縮です。
こういう文章は強引ですから気をつけましょう)
アメリカのほうがイタメシ屋は多いでしょう。
チョコレート屋さんだって断然アメリカのほうが多く
おいしそうに思えますね。
高級品も豊富でしょう。
(両方とも行ったことはないけれど)
とはいえ、そのイメージはアメリカ人ならそう思う、
アメリカの子分ならそう思う、ということであって
いや、もしかしたらイラン人だって、アメリカには
勝てないと思うかもしれません・・けれども
あえて言いますと何の基準でもってアメリカが上と
言うことができるのでしょうか。
ファッションとか音楽とか、他のジャンルで考えれば
基準が違う世界のものを比べ優劣をつけよう、などは
無謀なこととお分かりいただけると思います。
両国の文学に優劣がつきますか?
一生懸命優劣をつけようと思う人がおられたら、
おやめなさいと申し上げねばなりません。
もちろん、イラン人がお国自慢で自国のほうが
美味いという人がいればそれも変な話になります。
○
同様のことが東京と尾道でも言えます。
拠って立つ処が違うので、本来は比べられない
ことであるのに、比較が可能と思うのです。
同じ国だから比較可能だと錯覚をするのでしょう。
かく言う私も長い間そんな考えに取り付かれて
いました。
しかし、気候風土と味には密着した部分が大きく
一番肝心なところのさじ加減を左右するのです。
それに人間は一度に一つの風土しか身につきません。
地球でも銀河の彼方でも同じ物理法則で時空が
成り立つのですが、その二つは別個に相対的なものと
してしか捉えられない、のと似ているようです。
東京に住めば東京のことしか分らないのです。
同じように広島の人間は東京のことは分らない。
恥ずかしながら、私は東京にマル九年間住み
その間広島に戻るたびに「田舎だなあ」「センスが
悪いな」「流行が遅れている」などと思いました。
広島のことが分ると思い込んでいたのですね。
○
味について言えば、住んでいるところと違う場所の
ものは「自分にとってはこちらが好もしい」という
ことは言えても「こちらが良い」という基準は
持ちえないのです。
もちろん、細かな違いについては大都会が田舎より
はるかに進んでいます。
こまかな違いを打ち出して店がやっていけるのは
都会だけでしょうから。
また価格の高いものを頂けるのも都会。
お金持ちが大勢おられますから。
ただ上記のことと、
共通する比較基準は存在しないということと
混同してはいけませんよね。
プロの人も多くが無自覚でしょう。
自信がありすぎるから気づかない。
そういうタイプでないとプロにはなりづらいかな。
○
ただのシロウトが、食べ歩きなるものをして
マイ・ランキングて言ってるうちは良いけれど
妙に自信をお持ちなのも恥ずかしいですね。
アメリカ人が世界各国へ出かけて、自分の基準で
訪問先の文化を計る、あの恥ずかしさです。
浅はかというか、哀しいというべきか。
今の日本人って嫌われ方がヤンキーと似てません?
人柄が米国人ほどオープンでないだけに悲劇は
二重です。
○
金があるほど、中央に近いほど勘違いしやすく
かつ、一種の差別意識をもちやすいのです。
東京には高い寿司屋があるというだけで
自分は行ったこともないのに、東京人の寿司の
感覚が、田舎より優れていると思う・・・
広島のグルメが尾道の味を笑う、なんてことも
ありそうです。
白人に差別された黄色人種が黒人をバカにする
そんな感じかなあ。
中には東京で寿司食ったことがある、というだけで
妙に威張っちゃったりねえ。
私もそうだったかなあ。。。。
しつこいですがその反対もあります。
妙に自信がある田舎モノもいるもので
「なんだ、これなら広島のほうが美味いぞ」って
これも嫌なタイプです。
○
かなりハショリましたが、長くなりました。
尾道の美味いもの、少ししか書けません。
行水するようなタライに蝦蛄をツイツイと泳がせて
いましたね。
これなら美味いはずです。
今は無くなったガンギの上の違法建築から七輪を
出し、そのシャコを焼く少年がいました。
これなら美味いはずです。
西御所の辺り、大きな倉庫の前でチリメンを
乾かしていました。
小学校の帰りに隠れてちょいとつまんだりして
今も福利物産なんて味付けちりめんを売っていますが
あの盗み食い、これなら美味い。
土堂小学校の4年生のとき、先生が小鯛の佃煮を気に
入られて、私が買い出し当番でした。
そんな少年を見かけたら後をついて行って見て下さい。
とある店の佃煮は美味かった。
今も旭菊水の看板がある某寿司屋の先代が炊く
シイタケの甘辛煮。
これは尾道の味だった。。。
ガンギの上に清水食堂があった頃、それも昭和30年くらい
ミッチャンのお母さんが鉄板でキンツバを焼いておられた。
パタンパタンと餡を転がすのが面白くて店を覗いていたら
あとで母に叱られました。
「もの欲しそうなことをするな」
駄菓子を買う小遣いでは手が届きませんでしたからね。
○
全てがみな時の彼方へ消えてしまったけれど
あれらは、美味かった。
○
尾道って鯛の浜焼きが有名だったけれど
あれって美味しいのかなあ?