駅前桟橋辺りでタライに蝦蛄を泳がせていた

2010-01-12 22:34:18 | 塾あれこれ
たとえばアメリカとイラン。

(のっけから例えで恐縮です。
 こういう文章は強引ですから気をつけましょう)

アメリカのほうがイタメシ屋は多いでしょう。
チョコレート屋さんだって断然アメリカのほうが多く
おいしそうに思えますね。
高級品も豊富でしょう。
(両方とも行ったことはないけれど)

とはいえ、そのイメージはアメリカ人ならそう思う、
アメリカの子分ならそう思う、ということであって
いや、もしかしたらイラン人だって、アメリカには
勝てないと思うかもしれません・・けれども
あえて言いますと何の基準でもってアメリカが上と
言うことができるのでしょうか。

ファッションとか音楽とか、他のジャンルで考えれば
基準が違う世界のものを比べ優劣をつけよう、などは
無謀なこととお分かりいただけると思います。

両国の文学に優劣がつきますか?
一生懸命優劣をつけようと思う人がおられたら、
おやめなさいと申し上げねばなりません。

もちろん、イラン人がお国自慢で自国のほうが
美味いという人がいればそれも変な話になります。


同様のことが東京と尾道でも言えます。

拠って立つ処が違うので、本来は比べられない
ことであるのに、比較が可能と思うのです。

同じ国だから比較可能だと錯覚をするのでしょう。

かく言う私も長い間そんな考えに取り付かれて
いました。

しかし、気候風土と味には密着した部分が大きく
一番肝心なところのさじ加減を左右するのです。

それに人間は一度に一つの風土しか身につきません。

地球でも銀河の彼方でも同じ物理法則で時空が
成り立つのですが、その二つは別個に相対的なものと
してしか捉えられない、のと似ているようです。

東京に住めば東京のことしか分らないのです。
同じように広島の人間は東京のことは分らない。

恥ずかしながら、私は東京にマル九年間住み
その間広島に戻るたびに「田舎だなあ」「センスが
悪いな」「流行が遅れている」などと思いました。

広島のことが分ると思い込んでいたのですね。


味について言えば、住んでいるところと違う場所の
ものは「自分にとってはこちらが好もしい」という
ことは言えても「こちらが良い」という基準は
持ちえないのです。

もちろん、細かな違いについては大都会が田舎より
はるかに進んでいます。
こまかな違いを打ち出して店がやっていけるのは
都会だけでしょうから。

また価格の高いものを頂けるのも都会。
お金持ちが大勢おられますから。

ただ上記のことと、
共通する比較基準は存在しないということと
混同してはいけませんよね。

プロの人も多くが無自覚でしょう。
自信がありすぎるから気づかない。
そういうタイプでないとプロにはなりづらいかな。


ただのシロウトが、食べ歩きなるものをして
マイ・ランキングて言ってるうちは良いけれど
妙に自信をお持ちなのも恥ずかしいですね。

アメリカ人が世界各国へ出かけて、自分の基準で
訪問先の文化を計る、あの恥ずかしさです。

浅はかというか、哀しいというべきか。

今の日本人って嫌われ方がヤンキーと似てません?
人柄が米国人ほどオープンでないだけに悲劇は
二重です。


金があるほど、中央に近いほど勘違いしやすく
かつ、一種の差別意識をもちやすいのです。

東京には高い寿司屋があるというだけで
自分は行ったこともないのに、東京人の寿司の
感覚が、田舎より優れていると思う・・・

広島のグルメが尾道の味を笑う、なんてことも
ありそうです。
白人に差別された黄色人種が黒人をバカにする
そんな感じかなあ。

中には東京で寿司食ったことがある、というだけで
妙に威張っちゃったりねえ。
私もそうだったかなあ。。。。

しつこいですがその反対もあります。
妙に自信がある田舎モノもいるもので
「なんだ、これなら広島のほうが美味いぞ」って
これも嫌なタイプです。


かなりハショリましたが、長くなりました。

尾道の美味いもの、少ししか書けません。

行水するようなタライに蝦蛄をツイツイと泳がせて
いましたね。
これなら美味いはずです。

今は無くなったガンギの上の違法建築から七輪を
出し、そのシャコを焼く少年がいました。
これなら美味いはずです。

西御所の辺り、大きな倉庫の前でチリメンを
乾かしていました。
小学校の帰りに隠れてちょいとつまんだりして
今も福利物産なんて味付けちりめんを売っていますが
あの盗み食い、これなら美味い。

土堂小学校の4年生のとき、先生が小鯛の佃煮を気に
入られて、私が買い出し当番でした。
そんな少年を見かけたら後をついて行って見て下さい。
とある店の佃煮は美味かった。

今も旭菊水の看板がある某寿司屋の先代が炊く
シイタケの甘辛煮。
これは尾道の味だった。。。

ガンギの上に清水食堂があった頃、それも昭和30年くらい
ミッチャンのお母さんが鉄板でキンツバを焼いておられた。
パタンパタンと餡を転がすのが面白くて店を覗いていたら
あとで母に叱られました。
「もの欲しそうなことをするな」

駄菓子を買う小遣いでは手が届きませんでしたからね。


全てがみな時の彼方へ消えてしまったけれど
あれらは、美味かった。


尾道って鯛の浜焼きが有名だったけれど
あれって美味しいのかなあ?