(34)見る・聞く・読む、も考えること《追加》

2006-09-15 13:57:16 | 考える
I 認知する
病名についてしまった言葉で、何だか可哀相ですね。
ここでは私が勝手に、見る・聞く・読むなどをまとめ
たものとして使っています。

普通「考える」というと認知することを含まないで
使っていると思います。
学校や塾でも
「さあ、これを読んで、次にそこから考えましょう」
などと言いますよね。

ただ、当然のことですが他人の考えをこちらが追う
のですから、考えなければ追えません。
あるいは考えていなければ認知していない、とも言え
ますね。
例えば、眠いときに本を読んでいると、活字を追って
はいるのですが内容は頭に入りません。
考える力が働いていないからですね。

相手の言いたいことを掴むのも考えることなのです。


そういう場合の考えるとはどんな働きでしょう。

第一は、論理を追う。
それから、発展させる。「ではこうも言えるだろう」
と考えを続けながら「読む」。
当然、反対のことも思い浮かべる。

相手の表現の流れに沿いながらそれを認知しつつ同時に
自分でも帰納・演繹・推論などさまざまに考えることを
しているのです。
認識の主体性ですね。

この「認知」はいままでのA~Hの「考える」とは異質
ですがやはり大切なことです。

上手に聞く、正しく読む。対象をきちんと把握しながら
それにとどまらず、主体性も必要です。


放っておいても育つこと、とも言えますが、この力を
育てようとすると難しいことです。

授業などでやりとりが出来る子は正しい把握ができ
やすいと思います。
大人が上手に対応してやる必要がありますね。

家庭や社会でも、子供との正しい対話が必要です。
どうも「おしゃべり」は多いようなのですが・・


本が好きでよく読む子の中にときどき自分の世界に
ひきつけすぎて読む子がいます。
勝手読みというか、ムチャクチャというか。
好ましいことではないですね。
芸術家になるなら別ですが。

ペーパーテストを解くときでも出題の意味が全く
とれない子がいます。増加傾向にあると思うのです
が、どうでしょう?

勉強をするときに生徒が大人を頼りすぎるセイも
あるのではないでしょうか?
「解き方を教えてくれたらする」という人が多い。
邪推ですが学校も甘いのではないでしょうか?

解き方を教わってもその後に二通りあります。
一つはなんとかそれが身につく子
もうひとつが、直後に同じ問題をやらせてもやはり
「解き方が分からない」子。(←結構多い)
後者が「読めていない」子なのですね。
教わるときに頭が働いていないのです。

したがって例えば家でいくら宿題を教えても全く
役に立っていない、ということがあります。
頼ることを助長する弊害が増すばかりです。

大人が上手に対話を進めながら「読む」ことから
教えて行かねばなりません。
「教えない」という手法が使える以前の問題なの
です。
これも膨大なエネルギーが必要になります。

なお「良く問題を読みなさい」といわれるタイプに
ケアレスミスが多い場合があります。
これは上記とは違う課題になります。
10.22


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