山口塾はなぜ潰れた?

2009-08-30 07:03:32 | 塾あれこれ
山口塾はなぜ潰れたんだろう。

いや吸収されたが潰れてはいない、脈々と続いて
いるというお考えもありうるでしょう。
(引き継いだのは蝉の抜け殻ちゃうん?)

以下は私の勝手な見方になります。
山口が潰れたのは、教える力が衰えたからでしょう。

私が山口塾を辞めて十年以上になります。
肝心なときを知らないので的外れかもしれません。


経営者が自塾の分析を間違えていたと思われます。
教員の年齢別構成に偏りがあったため世代交代に
失敗した面もあるでしょう。
トドメは飼い犬に手をかまれたことです。

上記3点が大きいと思いますね。
昨日も書きましたがマニュアル、カリキュラム
シラバスなどといったことを軽視した組織です。

それらがないわけではありません。
各人の頭に入っていたし運用は融通無碍でした。

細やかに書類を作る時間があるくらいならば
さしせまった現実の対応に力を注ぐほうが有効です。
(マニュアルなどの作成能力は、さほど・・・でしたが
 それらに時間をかけすぎることの愚は知っていました)

固定的なものを軽視する分、柔軟な運用をし
会議その他で細かく進行をチェックしていました。

従って個人の競争が激しく、それぞれが自分の
持てる力を存分に出せる態勢ができたのです。

組織論としては稀有の集団でした。
創業者の個性がなせるワザ、もしくは雑草の強さ。
ボスがよほど我慢強くないとできない組織です。

イメージはデパ地下。
独立した店舗が競い合いながら共存しているのです。
リスクもあります。
デパートだって他の階は客より店員が多いでしょ・・

山口塾の場合、デパ地下にいるほうが、自分で店を
つくるシンドサや不安がないという連中が揃っていた
ともいえます。
そういう年恰好だったかもしれません。

私が入った頃、30代前半の教員ばかりでした。
気力体力が充実した人間の集団ができていました。

しかし、その長所が次第に短所になります。
50近くなっても主な人員構成が変わりません。

店舗の拡大路線を、ほぼ取らなかった、取れなかった
そのツケが回ってきたのです。

後から入った私が中学部を立ち上げた以外は五日市と
己斐の2つの教室のまま、ん十年が過ぎました。
のちに高陽で潰れた塾(奇しくも若手に生徒を連れて
ごっそり逃げられたという、のちに山口が同じ憂き目
にあってしまうのですが)を引き受け3店舗めと
しましたが当初その実態は窓際族予備軍の飛ばされる
先と言うものでした。

元の塾を引き継ぐときには、その長所を受け継ぎ
経営的には山口がしっかりと責任をもつ、なんて
説明をしていました。

もちろん、勢いのある大きな塾が、生徒に逃げられた
塾のノウハウなど引き継ぐはずがありません。

暫くの間山口は実質2箇所の教室のままでした。

それでは若手が育ちにくいですよね。
いつもの連中が上にどっかといるのですから。
その連中は技能は年々上がっていますが
フットワークは衰え始めます。
給料の問題もありますね。
しかもいずれどっさりと定年退職です。


創業者は我々より一回り年上で将来の塾をどうするか
決定しなければならない年齢でした。

世間でよく見かけるような「良い組織」を作って
経営に専念したかったのかもしれません。
60過ぎればシンドイ仕事です。

デパ地下の良さが分らなかったのが敗因でしょう。

出した結論が、
若手にシフトすること。
組織的な運営をすること。
これで長期的な安定が得られるはずでした。

この結論を歴戦のツワモノに納得させなければならず
そのために経営コンサルタントを導入するという形を
とったのです。コソクだね。

塾に詳しいコンサルタントという触れ込みでしたが
結論ありきを隠しての「改革」はきつかったでしょう。

そうと気づかぬ私は反コンサルタントの筆頭になって
いました。
自分から進んでなったわけではなく、いつの間にか
他の人たちは後ずさりしていたのです。
私はまた(空気が読めなかった)わけです。
情けないですねえ。

「今までの山口を分析し、良いところは生かす改革
 をしなければならない。
 それでこそユニークな塾としての脱皮である」
何度言ったことか。

会議でコンサルタントに向かって問いました。
「山口塾は成功しているがその要因をあなたは
 どう分析されているかお聞かせ願いたい」

今思うと相当のタヌキだったか、結論ありきで
無能なのを頼んだのか、直接の返事は出来ず
ありきたりの組織を説くだけのオジサンでした。
説得力のある対論など聞いたことがありません。


将来を決定する一番重要な会議のときに独り者のオジ
が死に、葬儀のために私は欠席せざるをえなかった、
なんてオマケもついて、
めでたく新山口塾のスタートとなりました。

新しく動き出した体制の中、私はすぐに塾を辞めました。
円満退社です。

話が長くなっています。
なぜ潰れたか、続きは明日。。。


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2 コメント

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己斐教室の1期生です (yk)
2010-04-03 19:46:57
今年、広島に戻ったとき私の通った己斐教室がなくなってました。ちょこっとさびしくなりました。当初は生徒4人でしたが山口先生はちゃんと毎日きてきれました。今日の私があるのは山口塾のおかげです、みなさま頑張ってください^^
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寂しいですね (井上)
2010-04-04 18:42:35
私は己斐の初めのころは存じません。岡田ビルだったのでしょうか。若かったのであの階段をよく駆けあがっていたものですが。
懐かしいところがなくなると寂しいですね。
初代塾長、二代目の哲弘塾長、みなさんお元気のようです。
思い出してくださる方がおられると彼らも甲斐があったといえるでしょうね。
私も山口の先生方にはお世話になりっぱなしでした。。
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