ソチ五輪が終わりました。
いつもの冬季五輪より盛り上がりましたね。
けれども受験生やご家族はバランスをとるのに
大変だったでしょうね。
受験勉強でピリピリとしている横で
「わー、メダル」なんて騒げないですしね。
○
東京オリンピックのとき、私は中3
日本中が大騒ぎでした。
が!学校の二学期中間試験と重なってしまってました。
「中間」ですし、みんな五輪に向いていきました。
家族も「勉強なんかよいから」ではなかったですかね。
案の定、みんなテストはボロぼろでした。
(結局、相対的には関係ない結果だったかもしれません)
現在でも、参考になるのは、テストの点は
かなり「一夜漬け」的に引き上げられていそうだ
ということが分かったのです。
社会実験の趣がありますね。
半世紀前でもそうだったのです。
今はもっと浅い勉強状況ではないでしょうか。
○
今、塾も一緒になっての「一夜漬け的」「まる暗記的」
学習が横行しています。
ここ広島でも学校のテスト対策で急成長した学習塾が
あります。
学校のテストでは何が出るかを分析し、傾向と対策。
ご丁寧にテスト期間中は早朝から塾でお勉強です。
「この先生の去年の試験問題がコレだ」
そこまで「手とり足とり」世話を焼いてやって
いったいどんな子供が出来あがると言うのでしょう。
ニーズがあれば何でもアリなのかなあ。
サンデル教授が警鐘を鳴らすように「金が儲かるのが
善を示す」とは限らないのです。
くだんの塾長が高級外車に乗るだけが「結果」かも・・・
○
文科省が絶対評価を導入して(根拠は一応分かりますが)
上記の点数対策的勉強に拍車がかかったようです。
何しろ低学年から細かく数字をチェックされて、それが
後々にまで実績として影響します。
何年かの間に力が付けばよい、とはいかないのですね。
よって「点を稼がねば」「今でしょ」
様々な個人がいて、それなりに力を伸ばしてゆく、そんな
教育は大いに劣勢です。
国家が一定の枠内で「教育」し、その中で伸びる
「有能」な人物を拾い上げればよいのです。
安価に。
↑輪切りの学年構成、集団授業が無くならない理由。
一人一人の人間を尊重するしくみにはなっていません。
(例:4月生まれと3月生まれで一年も成長が違うのに
同じ一斉授業です)
学校の先生も分かっておられながら目を瞑ってる。。。
何しろ個別教育は金が掛かります。
適当に誤魔化しておけば定年まで勤めあげられるのが役人。
○
そこで登場した塾の「個別教育」ですが、儲かりそうな
ことを狙って、まず安価に、クレームが来ないように、
生徒や親の受けがよいように、
「すぐに教えてあげます!手とり足とり(親切)に!」
これが現在の主流でしょう。
しかし、何のための「個別」だったのか
◎
あれ・・?
ソチの話じゃなかったっけ。
でもうっすらと(我田引水かもしれませんが)
力を付けている人は「個別」に頑張ってきた人が
多かったのじゃないでしょうか。
いつもの冬季五輪より盛り上がりましたね。
けれども受験生やご家族はバランスをとるのに
大変だったでしょうね。
受験勉強でピリピリとしている横で
「わー、メダル」なんて騒げないですしね。
○
東京オリンピックのとき、私は中3
日本中が大騒ぎでした。
が!学校の二学期中間試験と重なってしまってました。
「中間」ですし、みんな五輪に向いていきました。
家族も「勉強なんかよいから」ではなかったですかね。
案の定、みんなテストはボロぼろでした。
(結局、相対的には関係ない結果だったかもしれません)
現在でも、参考になるのは、テストの点は
かなり「一夜漬け」的に引き上げられていそうだ
ということが分かったのです。
社会実験の趣がありますね。
半世紀前でもそうだったのです。
今はもっと浅い勉強状況ではないでしょうか。
○
今、塾も一緒になっての「一夜漬け的」「まる暗記的」
学習が横行しています。
ここ広島でも学校のテスト対策で急成長した学習塾が
あります。
学校のテストでは何が出るかを分析し、傾向と対策。
ご丁寧にテスト期間中は早朝から塾でお勉強です。
「この先生の去年の試験問題がコレだ」
そこまで「手とり足とり」世話を焼いてやって
いったいどんな子供が出来あがると言うのでしょう。
ニーズがあれば何でもアリなのかなあ。
サンデル教授が警鐘を鳴らすように「金が儲かるのが
善を示す」とは限らないのです。
くだんの塾長が高級外車に乗るだけが「結果」かも・・・
○
文科省が絶対評価を導入して(根拠は一応分かりますが)
上記の点数対策的勉強に拍車がかかったようです。
何しろ低学年から細かく数字をチェックされて、それが
後々にまで実績として影響します。
何年かの間に力が付けばよい、とはいかないのですね。
よって「点を稼がねば」「今でしょ」
様々な個人がいて、それなりに力を伸ばしてゆく、そんな
教育は大いに劣勢です。
国家が一定の枠内で「教育」し、その中で伸びる
「有能」な人物を拾い上げればよいのです。
安価に。
↑輪切りの学年構成、集団授業が無くならない理由。
一人一人の人間を尊重するしくみにはなっていません。
(例:4月生まれと3月生まれで一年も成長が違うのに
同じ一斉授業です)
学校の先生も分かっておられながら目を瞑ってる。。。
何しろ個別教育は金が掛かります。
適当に誤魔化しておけば定年まで勤めあげられるのが役人。
○
そこで登場した塾の「個別教育」ですが、儲かりそうな
ことを狙って、まず安価に、クレームが来ないように、
生徒や親の受けがよいように、
「すぐに教えてあげます!手とり足とり(親切)に!」
これが現在の主流でしょう。
しかし、何のための「個別」だったのか
◎
あれ・・?
ソチの話じゃなかったっけ。
でもうっすらと(我田引水かもしれませんが)
力を付けている人は「個別」に頑張ってきた人が
多かったのじゃないでしょうか。