五輪が過ぎ

2014-02-24 20:09:24 | 塾あれこれ
ソチ五輪が終わりました。
いつもの冬季五輪より盛り上がりましたね。

けれども受験生やご家族はバランスをとるのに
大変だったでしょうね。
受験勉強でピリピリとしている横で
「わー、メダル」なんて騒げないですしね。


東京オリンピックのとき、私は中3
日本中が大騒ぎでした。

が!学校の二学期中間試験と重なってしまってました。

「中間」ですし、みんな五輪に向いていきました。
家族も「勉強なんかよいから」ではなかったですかね。

案の定、みんなテストはボロぼろでした。
(結局、相対的には関係ない結果だったかもしれません)

現在でも、参考になるのは、テストの点は
かなり「一夜漬け」的に引き上げられていそうだ
ということが分かったのです。
社会実験の趣がありますね。

半世紀前でもそうだったのです。
今はもっと浅い勉強状況ではないでしょうか。


今、塾も一緒になっての「一夜漬け的」「まる暗記的」
学習が横行しています。
ここ広島でも学校のテスト対策で急成長した学習塾が
あります。

学校のテストでは何が出るかを分析し、傾向と対策。
ご丁寧にテスト期間中は早朝から塾でお勉強です。
「この先生の去年の試験問題がコレだ」

そこまで「手とり足とり」世話を焼いてやって
いったいどんな子供が出来あがると言うのでしょう。

ニーズがあれば何でもアリなのかなあ。

サンデル教授が警鐘を鳴らすように「金が儲かるのが
善を示す」とは限らないのです。

くだんの塾長が高級外車に乗るだけが「結果」かも・・・


文科省が絶対評価を導入して(根拠は一応分かりますが)
上記の点数対策的勉強に拍車がかかったようです。

何しろ低学年から細かく数字をチェックされて、それが
後々にまで実績として影響します。

何年かの間に力が付けばよい、とはいかないのですね。

よって「点を稼がねば」「今でしょ」

様々な個人がいて、それなりに力を伸ばしてゆく、そんな
教育は大いに劣勢です。

国家が一定の枠内で「教育」し、その中で伸びる
「有能」な人物を拾い上げればよいのです。

安価に。

↑輪切りの学年構成、集団授業が無くならない理由。

一人一人の人間を尊重するしくみにはなっていません。

(例:4月生まれと3月生まれで一年も成長が違うのに
 同じ一斉授業です)

学校の先生も分かっておられながら目を瞑ってる。。。
何しろ個別教育は金が掛かります。
適当に誤魔化しておけば定年まで勤めあげられるのが役人。


そこで登場した塾の「個別教育」ですが、儲かりそうな
ことを狙って、まず安価に、クレームが来ないように、
生徒や親の受けがよいように、
「すぐに教えてあげます!手とり足とり(親切)に!」

これが現在の主流でしょう。

しかし、何のための「個別」だったのか


あれ・・?
ソチの話じゃなかったっけ。

でもうっすらと(我田引水かもしれませんが)
力を付けている人は「個別」に頑張ってきた人が
多かったのじゃないでしょうか。


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